ここ数年、教員研修などで、
「これからは『答えのない時代』です」
という言葉を聞くことが多い。
令和3年(2021年)1月に公表された中央教育審議会の答申の中でも、次のように述べられている。
しかし、今でも「答えのある」問いは身近にたくさんあるはずだ。
その一方で、
「昔は『答えのない』問いなどなかったのか?」
といえば、けっしてそんなこともないだろう。
たとえば、文学作品を見てみよう。
英国を代表する劇作家が描いたハムレットも、明治の大文豪による『草枕』の主人公も、答えを求めて苦悩しているのである。
続いて20世紀の歌に目を向けてみよう。
やはり、答えが見出せない問いに直面したり、一度出した答えが正しかったのかどうかで迷ったりしているのである。
結局、昔も今も「答えのある」問いもあれば、「答えのない」問いもあるのだ。
さらに言えば、「答え」だと思っていたことが実はそうではなかったということも、昔から変わらずにあるだろう。
ほんの100年ほど前までの日本では、
「主人の命令に従う」
「親の跡を継ぐ」
「親が決めた相手と結婚する」
ということが当たり前だった。
つまり、「答え」は主人や親が用意していたのだ。
もしもその意に背いて自らの「答え」を探そうとすれば、命懸けの覚悟が必要になることもあっただろう。
それに比べれば、現代のほうがずっと真面だと思える。
戦争、環境汚染、貧困、差別・・・。たしかに、「答え」は簡単には見つかりそうもない。
けれども、
「答えのない問いにどう立ち向かうのか」
などと肩肘を張らずに、
「答えなんて、昔も今も簡単には見つからないものなんだよ」
と開き直ったほうが、案外うまく最適解や納得解が見つかるような気がするのだ。
いつだって答えは風に吹かれているし、別れても好きな人はいるのだから。