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ソドムとゴモラの話にある戒めは人々の堕落、不道徳な行いにおける戒め、それはLGBT嫌悪の正当化をする道具、ネタではない

旧約聖書におけるソドムやゴモラと呼ばれる町において、それは不道徳が蔓延した人々が集まる場所として表現されている。みだらな行いにふけり、男女入り乱れた不自然な肉欲の罪、神を軽んじて不道徳なる欲望を貪り続けた人々。やがてみせしめのため、人々はヤハウェの裁きにより炎に焼かれる刑罰を受けたとされる。

しかし実際、ソドムとゴモラの話にある戒めは人々の堕落、不道徳な行いにおいての戒めであり、それが同性愛に対してだけ言及された話ではない。その旧約聖書の話を重んじるとするならば世界中殆んどの人々が、その堕落と不道徳な行いとしては完全に当てはまっている。自然なる行為としてある、三位一体からは除外された行いにふけり、拝金主義と物欲、過剰な色欲に溺れ、快楽主義として不道徳なる性を貪り続けている。それは必ずしもLGBTと呼ばれる人々だけの問題ではなく、自分達の罪をかき消す目的で、まさに神が禁じる善悪の知恵と、それによって苛まれる羞恥心、悪魔の囁きによって、自分達の堕落と不道徳、神に対する罪の誤魔化しを行っているだけに過ぎない。

果たして、神との契約としてある十戒、を守れている人が、世界中にどれだけいるのだろうか。

十戒

十戒すら守れていない者達が、聖書における戒めや、神の名を語った許し無き支配を行うなど滑稽も甚だしい、実に愚か。やはり現在の人類も極限に堕落しきっている、これは本当に神による裁きの日、最後の審判が近い事を意味している。もはや悔い改めなど皆無なほど世界中で身勝手な行いが横行、この人々の罪は何をもって償われるのか、実に末恐ろしい。


その同性愛、その他不道徳なる不自然な性交渉などを戒め禁じるのがソドミーと呼ばれるが、これは旧約聖書におけるソドムとゴモラから来た用語。この用語は聖書の影響がある国々の法律でも引用され、不道徳なる性的活動を禁じるソドミー法として、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教では性の道徳規制の基準ともされている。

これが現在のユダヤ教やキリスト教、イスラム教、それを一応は継承している各カルト宗教(統一教会など)、の根本的思想主義、教義にも反映されている。だから同性愛にこだわり、LGBTに対する過剰な嫌悪感と差別意識を植えつけられてきた。

更にそこに、ナショナリズムやポピュリストの思想主義まで加わり、各国で激しいLGBT嫌悪とされる抵抗運動のような事が行われる。アーリア人にこだわりを持った民族主義としてユダヤ差別を行ったナチスヒトラーもその思想主義を持っていて、そういった人達も「働けば自由になる」、とスローガンを掲げられたアウシュビッツ強制収容所に送られ、反政府思想主義者、ユダヤ人と呼ばれた人達と共に強制労働に従事させられていた。

勝手なナショナリズムとポピュリズムに巻き込まれ強制収容所において無理矢理働かされ、あげくに逆らえば撲殺、最終的に粛清される、そんなのはたまったもんじゃない。人間が勝手に自己解釈し強引に決め従わせた物事など、そんな愛の欠片も無い思想主義など神は絶対に許容しない。

ロシアプーチン、中国共産党のインターネット工作員による陰謀論プロパガンダ、そしてそれに影響された陰謀論者達がウクライナをネオナチとプロパガンダしているが、ユダヤ陰謀論が蔓延している国にはそれぞれのネオナチがいる。そこにナショナリズムに没頭するステレオタイプの許し無き偏見者や、オルタナ右翼やポピュリスト、日本では統一教会カルト信者の自作自演となるネットウヨク陰謀論者まで加わり、それ自体がナチズム思想主義となるユダヤ陰謀論やグローバリスト陰謀論によって矛先となるNATO西側、米国バイデン政権民主党を攻撃する。

ネオナチと言うならユダヤ陰謀論を使うマルクスレーニン主義のコミンテルン思想主義者、そちらの勢力側がネオナチであり、グローバルカルト宗教や(FFWPU世界平和統一家庭連合、サンクチュアリ教会、創価学会、サイエントロジー教会、ホワイトパワーのプロテスタント白い福音派等)、Qカルト洗脳された人々、プーチンやドナルド・トランプ、その支持者や個人崇拝をする人達、ロシア、中国共産党、イラン、ハマス、イスラム過激派、BRICs勢力側にある宗教信仰者や思想主義者達の方が過剰なナショナリズムで人々の一切の自由を奪おうと追い詰めているネオナチ、と言う事になる。

まさに彼等が目指すものが、ナチスドイツの第3帝国、その思想主義が掲げられた基となるのが聖書における千年王国であり、マルクスレーニン主義であるロシア国防相、プーチンが目論む世界統一革命。基本的な主義思想理念は中国共産党も同じで、イランやハマス、フーシ派、イスラム過激派等もそれに続くので、お互いに協力し合ってNATO民主主義勢力から世界覇権を奪おうとしている。

それこそがSDGsであり、ネサラゲサラであり、ニューエイジ(新世界)、新世界秩序であり、ニューワールドオーダーであり、第三帝国でもあり、悪魔崇拝者が実現しようとしている悪魔の完全支配下となるバビロン、千年王国となる。

バビロンとは滅び、を意味する言葉。その新世界秩序そのものがバビロンであり、それを築く人類は自ら滅びの道を選んでいると言うこと。


聖書に記されてきた言葉が全て神の言葉であるとは限らない、そこには多くの預言者、人間独自の認知バイアスや固定概念も確実に入り込んでいる。聖書とは全て例え話であり、神が何を望むのか、神にとって何が正しいのかを考え記されてきたものなので、それは間違いなくスピリチュアル的な力が多く込められている本物の神の意志を伝えるための預言書となる。

だから、それそのものが道に迷いし哀れな小羊達に残された、神が指し示す道標となり、それそのものが神道へと続く光となる。しかし、その言葉よりも、そこに記された言葉の中にある感覚、イメージが大事であり、我々はそれによって思い出さなければならない。その思い出した事をあらゆる方法で表現をし伝え残し記し、後の世の叡智として伝承する、それが神学である。その神道を見つけるために、狭き門へと続く道を見つけるために覚る、全てから抜け出し目を覚まし、自身が全てとしてあること、そのために必要なのが神の心である深き愛、その愛を信じる事、それが神を信じる事でもあり、その魂を成長させるための学びとして、知恵よりも重要な神の意志がそこにある。


神は創世記の当初から人々自らが覚り良い選択をする事を望んできた、それが神の深い愛としてなるアガペー、沈黙である。しかし人類は神ではなく、その神が禁じた、禁断の果実により知恵を授けた蛇=獣、つまりルシファーを拝み、知恵を重んじ、666としての人間の刻印をその身に刻み、松果体を拝み善悪の知恵を使い羞恥心により発生する悪魔の囁き、パラノイアに支配される。

人々は今だ愛を、神を信じない。自らの滅びを自らが選ぶ、それがいつの世も同じ過ちを繰り返す人間である。だから人間を拝んではいけない、自然の摂理の中にある愛を信じること、それが神を信じる事であり、個人崇拝、人間を拝むことが獣の刻印666となる。

土星崇拝として悪魔崇拝者が崇める惑星サターン、自分に降りてきたイメージとしては、そこがタルタロスであり地獄となるが、まさにそれと同じ、人々は神道を歩かずに、自ら滅びの道を選ぶ。その道は、自らの魂が永遠なる炎で焼かれ続ける運命をもたらす蛇道。


自分は心の底から神を、その心である愛を信じているので、神の心、愛の代弁者となり預言は話すが、神の名を使った強盗や盗賊のようなお金儲けの行為など一切やらない。カルト宗教などやらないし、神(愛)、を汚す教祖になど絶対にならない。もしも自分がそうなるなら、この首をかっ切って自らを終わらせる覚悟を持つ、神に誓って。

それをここに記す。



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