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あなたが忘れた哀しみの涙。それは遠く離れた声のない遠吠えだった

洗脳とは、とても残酷で悲しいもの。人との繋がりを断ち切り、平和的な心と世界を脅かす。何を言っても通じない、言葉が届かない、どんなに懸命に話しても聞く耳も無ければそれを見る目もない。

耳も無く目もないからやみくもに周囲を攻撃する。洗脳された状態は、自分が信じる何かのために全てを敵と見なすこと。


他者を見下し、馬鹿にして蔑み、憎しみ怒り、混沌の牢獄に閉じ込められ、そこから出ようとしても出られない、逃げたくても逃げられない状態にされてしまう。


陰謀論につきまとう集団ストーカーとされる言葉、それこそが洗脳そのもの。何か、自分が不快になる現象が発生し、それが何者かが自分に対して行ってる嫌がらせだと思い込む。その憎しみの対象となった人は、なぜ憎まれてるのかも解らず、その睨みつける目に脅え、自身も集団ストーカーのようなものに嫌がらせを受けていると思い込む、そんな負の連鎖が発生し、終わらない憎しみと怒りに支配され人々の心を苦しめ続ける。


自分達に従わず、反発するものを皆工作員と言う、それと同じで自分自身が集団ストーカーのアメーバになっている事にも気がつけない。人の心は繊細で傷つきやすい、ガラスのように壊れやすく赤子のように弱い。


だから、あまり乱暴には扱えない。すぐに傷ついてしまうから、自分の指紋すらつかないように気を使う。

そんな弱く傷つきやすい心を守るなんて、とても大変なことだと思う。それでも守らなきゃいけない、たとえこのガラスのハートが粉々に砕け散っても、他のガラスのハートは守らなきゃいけない。


小犬は、どんなに小さくても主人を守るために必死で吠える。自分が守ってるんだって、自分がいなきゃ守れないって、あんなに小さな体で、あんなにかわいい声で必死に吠え続ける。主人の平穏を脅かす何者か、に対して。それを見るととても愛しい、あんなに健気でかわいい生き物、我々が大切に守ってあげないといけない、もっと弱い生命だから。


猫は本当に優しくてかわいい。心を許してくれた猫は、何もかも全てをさらけ出して全身で愛情を表現し惜しげもなく注いでくれる。どうして、動物とはこんなにも愛しくかわいいのだろうか。


左右の対立は、犬と猫の争いそのもので、どちらも守りたい何かのために必死になってる。そのために、世界中で多くの人々が苦しみ、悲しみ続ける。


なぜ自由に生きられない、なぜ誰かに従い生きなければならないのか。どうして洗脳されなければならない、操られなきゃならない、利用されなきゃならない。それぞれの小さなピラミッドの頂点にいる誰かのために。


何でそんな支配下になった、なぜ自分で気がつけなかった、どうして自分を守れなかった。自分を守れるのは自分しかいないのに、いつも誰かが見守ってくれるわけじゃない、誤った道に行かないように正してくれるわけじゃない。

自分を守るために神を信じなきゃいけないんだ、それが信仰だから。自分の力だけで全てから自分を守らなきゃいけないから、神を信じる心が必要なんだ。

それでも人を信じてしまう、信じた結果騙され利用され、使い物にならなくなったら簡単に使い捨てのように切り捨てられる。


道に迷いし、哀れな小羊のために、ユダヤ教がありキリスト教があった。

その全ての基本には神を信じる心がある。実在するかとか、そんなことではなくて、神を信じるとするその純粋な心が大事なんだ。


自分が好きな人の心を守りたいから、自分で自分を守るんだよ。どんなことしても傷つかないように、汚されないように、必死で守るんだ。裏切らないように、悲しませないように、苦しませないように、大切な人のために自分を守る。


守れずに自分の心を傷つけ汚したら、もうそれで終わりなんだ。美しいもの、眩しいもの。その眩きものはくすみ行き、光は消えてどす黒い何かに変わってしまう。


どす黒いものに呑まれた者は他者の眩き光を貪りたがる。そんなものから守るなんて不可能で、だからそれぞれが自分で自分を守れなきゃいけない、ガラスのハートではなく、キングダムハーツにならなきゃいけない。


普通はとか、常識的にはとか、そんな悪魔の囁きに耳を傾けなくていい、自分の心は自分で守らなきゃいけない。何者かの思想主義になど従う必要なんかない。

怖がらず逆らえばいい、逃げられるなら逃げたらいい。獣のようなどす黒い自分を支配する者に従う必要なんかないんだよ。


お金なんか関係ない、経済なんかどうだっていい、一番大事なのは人の心。

愛は支え合い、許し合い、助け合い、協力し合い、変わらぬ想いを維持して、小さなものを積み重ねる。小さな幸せはやがて大きな幸せへと成長する。

「あなたに足りない所はわたしが補い、わたしに足りない所はあなたが補う」

愛とは自分の利益だけのためにあるわけじゃない、我欲を満たすためにあるものじゃない、お金を稼ぐためにあるものじゃない、人気のためのステータスの蓄積なんかじゃない、支配するための道具じゃない。

愛は、お互いを守る尊い糸、絆。愛を守ることが自分の心を守ること、その神の心を守ること、神を守ること、神を信じること。


自分の全てを守ることは、愛する人を信じ、守ること。

その小さな光、自分を慕い共によりそってくれる小さな生命、犬や猫を守ること

それが愛情であり優しさ、思いやり、道徳心であり義、それを失えば、我々は何のために存在している。


愛を失う、そんな寂しいこと、他にあるだろうか。










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