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バレるような嘘や欺きなどしない、バレないようにするから陰謀は成り立つもの
俺は、カッコ悪い男にはなりたくない、男らしくて器が大きくて、正義感があって弱き心の者の味方をする、そんな男でいたいと願った、そうなろうとした。
偏見など持たず差別意識も持たず、何者にも媚びずに従わない、自分として生きるためには男らしくいる必要があった。
物事を正しく判断するにはそれなりに勘が鋭くなければいけないし、その他大勢の同調圧力に流されていてもいけない。
賢さより愛を大切にした、許しと優しさを、何事も躊躇せずに許容する器の大きさを持ちたかった。何も解らないわけじゃなくて、解ってるから陰謀論を否定するし、右翼保守主義も左翼リベラルも極端になり過ぎるなら指摘する。俺はヤジロベエのようにゆらゆらしているので、どちらにも寄らない。
しかし思想主義に縛られてる人を見ると、その鎖を引きちぎりたくなる。不自由に見えるから、その思想主義に支配された人々がとても不自由で不憫に見える。洗脳されてる、そう見えるんだ。
群れることはない、数人のグループにすら入る事はない、自分はいつも1人壁に寄りかかりタバコを吸っている。ただ人の話し声を聞いていたい、笑い声が心地いい、そんな中でウトウト眠りたい、そんな性格だった。
時にふざける時もある、冗談を言いおちゃらけたりして、人の笑い顔が見たかったから。
酒はあまり飲まない、若い頃に飲み過ぎた、あの頃はまだウイスキーをロックで飲むほどだった。翌日にはいつも「もう飲まない、二度と酒など飲まない」、そう思った。
そう思った最後の日から、何年たったのか、今はいつの間にか、本当にたまにビールを飲む程度になった。それよりもタバコが増えた、声も若い頃より少しシガラ声になり、潰れてるような気がする。
人種性別関係なく誰も嫌いたくない、みんな幸せでいてほしい、笑ってほしいと願うことはおかしなことだろうか。本気で言ってる、何でだか、自分は子供の頃から人の笑ってる顔と声が聞こえてると安心していられる。
それはまるで子守唄のようで、なんて言えば良いのか、賑やかな場所の影の所でウトウトしていたい、それがとても気持ちいい。母のお腹の中にいるような、そんな感覚がある。
きっと、親が酒飲みで、毎週友達や親戚と集まりワイワイ酒を飲んで騒いでた、そんな音が母のお腹の中にいる時から聞こえてたんだと思う。だから、母の笑い声と幸せそうな人達の声が、自分にとっては子守唄になった。
小学生の時もそうだった、みんなが騒いでる端の方でうずくまり、丸くなって眠った。そんな日々が懐かしい、幸せな感覚の中に包まれていた。
それでも時に喧嘩になる時がある、今まで笑ってたのに急に怒鳴り声が聞こえて、自分は目が覚めて不安になり人々の顔を確認する。みんなこわばった顔をして、不安そうな顔をしてる、嫌だったそんなの、大きな声で罵り合って、罵倒が飛び交って、物まで投げる「ガシャーン!」、人がもめ始めると不安になる、眠れなくなる。
だから、怒ってる人を見ると、何で怒ってるんだって言いたくなる。ケンカなどするなと、もめるのはやめろと、分断対立などするのはやめろと、争うなと、俺は怒る。
今まで生きてきて、自分は世の中が優しい世の中になった時代など見たことがない。歴史的に見てもそうで、いつの時代も人々は怒り、不満を持って愚痴を言い、批判や文句ばかりを言ってきた。
本当の左翼なんて概念、見たことも聞いたこともない、そんなもの無かった、ずっと無かった。あるのは右翼とする厳しい、優しさも許しもない、許容する器も小さい、権威主義的な支配ばかりだった、何処へ行っても何を見ても世界中の全てがそうだった、自分の目からはそんな風にしか見えなかった。
それは当たり前なんだ、世界の東西、左右を支配し操る者は知恵を重んじるグノーシス主義の錬金術者達、だからこの今の世界に左の翼なんか存在しなくて、あるのは常に右の黒い翼だけ、地を這う蛇、ルシファーの翼しかない。元から無いんだ、我々は既に片翼を失ってる、だから左右共に、どちらに寄っても同じ支配に誘導される。どちらも黒い翼だから、赤い紙、青い紙どちらを選んでも結果は同じ支配下。
こんな苦しみの世界を作ったのがバフォメット、バアルのような知恵を授ける悪魔を拝む、密教悪魔崇拝者、フリーメイソン&イルミナティの基本的思想になるグノーシス主義だった。この世界を苦しみの世界にしたのは神ではない、人間の支配欲がそうさせた。
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反キリストで失った左の翼があれば、人類はこんな社会、こんな理不尽な支配世界など作ったりはしなかった。この世に左翼なんてないんだ、本当の左の翼、天使の翼なんかない。イエスキリストの愛こそ左の翼だった。
例えば、人に対する許しと思いやりを持つ人々は、いつまでそんな無理をし続けなきゃいけないのかな。いくらそうやっても、多くの人が気がつけないなら、ずっとその人達は我慢をしながら許しの心を持ち、他者に優しさを無償で提供し続ける。
いつか解ってくれる、そう思い続けても人々は何も変わらない、どれだけの時間がたっても分断し対立し争い続ける。
思想主義に属さないと罵られ、馬鹿にされて、揶揄され見下され、排除される。それは違うと、間違ってると言わせない、言えば排除される対象とされ、それが思想主義の不自由な鎖になる。
そんな無重力のシーソーゲームなんか降りたらいいんだ。意味のない左右の引っ張り合いに参加する必要なんかない。そんなもので遊んでも、人々は常に眉間にシワを寄せて生きて行くだけ。
本当の陰謀なんて、そんな簡単に解り得るようなものじゃない。映画でも小説でも、解りやすくしてるから、これは陰謀だと多くは見抜けるけど本当のリアルな陰謀はもっと巧妙で簡単には解らない。バレるような嘘や欺きなどしない、バレないようにするから陰謀は成り立つもの。映画やドラマで出てくる明らかな悪人、そんな人間が行うような陰謀など無くて、本当はもっと巧妙で解りにくい。
準備周到に、完全な騙しのための演出をするのは当たり前。だからこそ、コロナやワクチン、それにからむ陰謀論、ロシアやウクライナ、イスラエルやパレスチナにおける戦争、トランプ現象まで全てにおいて巧妙に仕組まれた罠と偽り、騙しがある。
騙すために行う事なんだから、騙されて当たり前、たとえ自分のような者がその騙しを見抜いて主張しても誰も信用しない、自分自身に降りかかるガスライティングになるだけのこと。
それでも、おかしいと思うことをおかしいと誰も言わずに、見抜かずに長いものに巻かれてしまうなら邪な心を持つ者達に支配されてしまう未来を防ぐことなどできない。
「これは陰謀です」と言って陰謀を企てる者などいない。「あれは陰謀だ!」と言ってる当事者が陰謀を企てている場合だってある。
自作自演など当たり前のように行う、人々を騙すためなら映画の演出のようなシナリオで、小道具まで駆使して陰謀論の自作自演を行い人々を騙すことなど雑作もない。騙すためなら何でもやる、そんなことなら誰でもできる、大きな機関、政府、政治家、大統領のポジションの奪い合いでその巧妙な演出を行わないはずがない。
支配のためなら人の命すらも犠牲にする。それが知恵を重んじる悪魔崇拝者、カバラ黒魔術を使い、この世界の全てを支配しようと画策するオカルティスト達。
当然思想主義もその支配の目的のために活用してきた道具でしかない。この世界に信用できる情報などはなく、見せられている全ては我々の心を操る目的で仕込まれてきたもの。
そんな巧妙で複雑な支配を見抜けるほどのIQを持つ賢い人はいない。支配したがる者には世界有数の叡智が集まっている、そんな知恵の集団に浅はかな陰謀論者ごときが暴き逆らえるわけがない。各国の政治家、首相や大統領のポジションにいる人物達ごときが、知恵を重んじるグノーシス主義錬金術カバラ、黒魔術を使うニューエイジのインテリジェンスカルトに逆らえるわけがない。皆操られているだけのチェスの駒でしかない。
チェスの駒を拝んでも、その魂が救われることはない。支配されるだけの運命しかなく、何処の国のどんな人間も決して逆らうことはできない、それほどの知恵によって支配されてきた。
だから、それほどの知恵に逆らう術は、IQ、賢さではない、知識力でもない、陰謀論の知識でもない、知恵に勝るものは愛しかない。
愛とは神の心そのものであり、その愛を使って知恵に挑むから打ち勝つことができる。知恵を重んじる支配する者達に立ち向かえる力があるのは、愛のみ。叡智となる知恵に挑むには並大抵の知恵では足下にも及ばない、その知恵の魔物に立ち向かうには愛を持って立ち向かう、それしか抗う術がない。
悪魔の知恵に負けない心、罵詈雑言に屈しない、見下しに揶揄、緑色のヘドロを吐かれても臆することのない強き愛の心、正義の心を持って知恵の魔物と対峙する。
それが神の側に立ち、魔物の知恵、悪意ある支配に立ち向かう勇気と正義、愛となる。