自分の目的は、1人でも多く、何者も拝まない支配されない、より鋭く思慮深い思考力を持った人を探すこと
今自分が思うこと、それを話そうと思う。
自分は世界中の陰謀論者の中でもより鋭い考察力、思慮深さがある人を見つけたい。それは知識があるとか、学があるとかではない、ニューエイジやスピリチュアル等ではない感覚的なものを重視できる人。
今まで語られてきた全ての陰謀論に執着しない、固定概念化させていない、認知バイアスの偏りに操られていない人、そんな人を探している。そういった人々でなければ、自分の語る内容を理解する事ができない。
それは代表的有名な陰謀論者、アレックスジョーンズ、デービットアイク、ベンジャミンフルフォード、リチャードコシミズ、他有名人、芸能人など、そういった人達すら超越し疑う事ができる、それを越える思考力と思慮深さを持った人でなければいけない。
そういった人達を拝んでいる状態にいる人は、とてもじゃないがこの領域には絶対に来られない。だからこそ、自分はそんな人を1人も見つける事ができなかった。それは当然と言えば当然、自分のように真底神を信じ、神の意志に導かれ覚れた人など自分ぐらいしかいないと思う。
それを疑うなら疑えばいい、そんなのはどうでもいい、だからこそ、この領域に来られる人がいない、見つけられないわけだから。
右翼左翼、ニューエイジ、スピリチュアル、占星術、陰謀論、宗教、偽物の日本神道、カルト宗教、団体、集団、偉人哲学、科学信仰、あらゆる思想主義に閉じ込められている人は自分の話を全て理解するのは無理だと思う。それらの固定概念を全て0とできるぐらいでないと、とても全てを覚るのは不可能。
もちろん、ずっと語ってきたように、羞恥心を捨てられる人、そのパラノイアとなる悪魔の囁き、承認欲求に負けない、善悪を利用してマウントに立ったり論破をしようとしない、何者も拝まない己としての自我を持ち続けられる人。人を拝めば終わり、その人には羞恥心が戻り、善悪の知恵に負け、承認欲求と拝金主義に溺れてしまう。
お金を絶対としない、それはかなり難しい、愛を1番とするのも難しいもの、だからこそ覚るのが難しい。本当は簡単なもの、しかし悪魔の囁きに支配された人間にとってはそれはかなりのハードルとなる。それを克服するには、とてつもない悲しみや苦しみ、凄まじい恐怖を体験すれば近道とはなるが、あまりそういった事は簡単には身にふりかからない、たとえその状況にあったとしても、既に愛を薄れさせていたなら、その必要な感情や感覚を得るチャンスを逃してしまう。
どう例えたらいいか、例えば募金箱があったとして、その箱にお金を入れてる姿を誰かに見られ良い行いをした気持ちになる、それが承認欲求であり、優越の気持ちともなる。
SNSなら人よりフォロワーの数字が多い事に優越を感じる気持ちとか、単純なところで言えばルッキズムの優越、物質的価値観や金銭的な優越など、そういった感情が無くならなければ覚る、どころか悟りすら得られない。
自分は…、これは自分だけのイメージとして見たものだが、愛をキリストに教わり、覚りを釈迦に教わり、欲望をサトゥルヌスに教わった。この三位一体が自分をより高見の意識となる神の道へ向かわせてくれる。
普通に考えてほしい、こんな話しは羞恥心があればとても話せない内容、カルト的、頭が変、メサイアコンプレックス、妄想、心の病、そう思われ、言われるのが解っているような内容、自分はそれを平然と語っている、誰にどう思われようがお構いなしに。
だからこんな話を平然と話せる自分は羞恥心を持たないと言うこと。理解できないなら仕方ないし、理解できる人が1人でもいたならラッキーぐらいでしかない。
だからと言って誰かを洗脳しようとしているわけじゃないし、何度も言ってるようにカルト宗教、カルト教祖をやろうとしているわけでもない。
自分の目的は、1人でも多く、何者も拝まない支配されない、より鋭く思慮深い思考力を持った人を探すこと、それだけではなく愛と優しさ、許しと思いやりの心を持つ、神の心をちゃんと感じられる人で、羞恥心からのパラノイア、悪魔の囁きに負けない、心の強いエクソシストの素質が持てるような人、そんな人をずっと探している。それぐらいの人でなければ覚れないから。
自分の言う覚るとは、仏教のそれとも違って、全てから目を覚まし、全ての苦しみから解放され解脱する、といった感覚は似てはいるが、それとも違って、何て言うか、自分が全てとしてあること。それは中道と言う意味でもなく、右翼左翼両翼を持つ全てとしてあること、キリスト、釈迦、サトゥルヌス、そして神の心を全て受け入れ理解できる心。
蛇が植えつけた羞恥心の鎖に縛られず、臆せず躊躇せず自分のはっきりとした言葉と、様々な表現方法で物事を伝えようとできるような、そんな心が必要。誰かからの指摘や批判などにうろたえる気持ちは、そう簡単に克服するのは難しいもの、考えることはたくさんある。
陰謀論の認識とすれば、まず下の画像の意味が解らないようでは何者かの主義主張、思想から受けている何らかの洗脳支配から抜け出る事はできない。この1つの画像に全てが表されている、これが陰謀論の全てとなる。
今頃になって、デービットアイクがイーロンマスクを疑うような事を言っているようだが、おそらく、それも今後に起きる何かに影響する思惑が潜んでいると自分は見る。
そんな陰謀論者ですらその段階、自分はそれを遥かに超越する。彼はアダムとイブ、そして聖書と獣の刻印、神の言葉の真実に気がつけないニューエイジ悪魔崇拝思想の無心論者。そもそも偏った思想主義を持つアレックスジョーンズと話をしている時点でその程度の思考認識力しか持てない人物。むしろ彼は元々からビジネス陰謀論者なので、彼自身が陰謀に加担しているチェスの駒である可能性はかなり高い。
自分の話は陰謀論ではなく、陰謀推理なので漠然とした話は語らない。インターネット上に出てくるような、強引な結びつけ、アポフェニアやパレイドリア、エコーチェンバー、伝言ゲームによって語られる、誰か個人にレッテルを貼る差別的なもの、政治的な策略が潜む思想主義が根底にあるもの、カルト宗教教義が影響しているもの、そういった陰謀論などは話さない。だから、自分の話は「そう、その通り、正解、よく言ってくれた」、誰かの承認欲求を満たすためのエコーチェンバーになる内容とはならない。
例えばマンデラエフェクト、これはまったく不思議な現象でも何でもない、当たり前に起きるべくして起きている現象で、人の記憶力などその程度、だと証明しているだけの現象に他ならない。自分の記事を読めるような段階にいる人なら、マンデラエフェクトぐらいは知っていると思う、だからここではそれについての説明はしない。それを知らない場合は検索すればすぐに出てくるので、自分の言葉足らずの説明を読むよりWikipediaなどを読んだ方がそれを把握しやすい。
では今回は最後に、このマンデラエフェクトとは何か、を話して終わりにしようと思う。
マンデラエフェクトとはたんなる記憶違い、それはアポフェニアとパレイドリアの真ん中に位置する脳内で起きている自己修復作用、記憶の穴埋めである。
同じ認識を持つ人が多いのは、インターネットが普及し「実はわたしもそう」、といった同じ記憶の認識を持つ人を見つけやすくなったからで、それはたんなるインターネット上で起きているエコーチェンバー現象。人の記憶とは絶対なるものではない、事実と異なる記憶を持っていたのは単なる固定概念や勘違い、思い違い、別な何かと勝手に融合したり置き換えたり、勝手に脳内で記憶を補うパレイドリアと似た自己修復作用でしかない。
ピカチュウの尾っぽが黒と認識したのは、耳が黒いから、それと混同しただけであり、オーストラリアの位置としては、自分は東南アジアからもっと離れた海にあると認識していた。そう思い違い、記憶違いをしている人は他にも多くいる、それが不思議だと言うなら普段の生活の中で起こる思い違い、勘違いなどの現象自体不思議な事になる。世間でよく見る喧嘩の原因がそれである。「昔あの場所にあの店があった」『違うよ、それはあそこじゃない、別な場所』、そういったやり取りから始まる喧嘩は世間のあちこちで起きている。それは自分の記憶が絶対としている人々による頑固さから来るもの。
例えば、自分が何かの冗談を思いついたとする、それをインターネット上で検索すれば大量に出てくる。それがマンデラエフェクトであり、世の中には、思いの外、今自分と同じことを考えてる人々は結構な数でいると言うこと。それが世界規模になればかなりの数となる。
誰かが怒り「うっせぇわ!」、と言えば、それを見た多くの人はだいたい頭の中で、あの一時期流行った『うっせぇわ』、の曲が流れ出す。そういった現象は自分1人に起こる事ではなく、同じ記憶を持つ人は脳内にある記憶の中にある欠落した部分に同じ自己修復となる手短な記憶を入れる。だからマンデラエフェクト、のような現象が発生する。
自分は陰謀論者でもスピリチュアリストでもニューエイジでもないので、そういったものは、はっきりとした認識で語らしてもらう。それを無理矢理不思議な現象、の枠組みには入れない。それが自分のポリシーであり、一切ぶれない、この心の天秤から導き出した答えである。
しかしスピリチュアル、ニューエイジ、陰謀論、都市伝説など、全てを完全否定はしない。その中に間違ったもの、正しいものが多く紛れているのでその選別を決して怠ってはいけない。