人は今を生きるために産まれ、幸せを感じるために生きている
自分は、たった1人でもかまわないし、賛同者も、仲間も友達もいらない。何にもいらない、数字なんかいらない、言わなきゃいけないことをただひたすら綴る。
何者に邪魔されようが、何者に罵られ蔑まれ馬鹿にされようがかまわない。自分を信じ、神を信じ言葉を尽くす、ただそれだけのことで、どれだけ一生懸命頑張って言葉を尽くしても伝わらないなら、理解されないなら仕方がない。それが自分の力不足となるなら、それを受け入れるだけ。
自分を、ここに書いてきた内容を疑うなら疑えばいい、その気持ちは大事。騙されないように、懐疑的になるのは必要なこと。
しかし自分は嘘などつかないし、誰かを騙そうなどとは思っていない。本気で神とキリスト、全てにおける精霊の導きを信じている。
愛を信じることが神を信じること。
愛は永遠、愛は不動、愛は全てであり人生そのもの。
恥じることなど何もない、愛することは自然なるもの、恥ずかしい心を持ったわけではない。美しく汚れなき純粋なる愛を守ることが神の心を守ることでもある。
我々は神に救いを求めるが、神を守り救おうと考えることをしない。メシアとは人間だけを守り救うわけじゃない、全てを守り救う、それが真のメシア。
これはメサイアコンプレックスなどと表現された人間の考えた概念によって話してる内容ではなく、自分が救世主と言ってるわけではなく、そのメシアを我々の愛が誕生させると言っている。
小さな種から美しい花を咲かせる、そのために三位一体による愛の聖杯から溢れるキラキラと光る美しき聖水を注ぎ続ける、それこそが最も自分が大切にしてきた心。
愛が産み出し、愛が育て、愛がメシアを誕生させる。この哀しい世界を変えるのは我々の子孫たち。そのメシアの種を大切にすること、それが命を授かった我々の使命。
これはカルト思想じゃない、キリストの言葉から教わった神学の教訓。間違いなく神の意志を伝えるための表現方法。
教祖などやろうとはしていないし、カルト集団を作ってお金儲けをしようとなどしていない。誰かに崇拝されようとはしていないし、何かの数字を欲しがってもいない。0でも自分が言うべきこと、話すべきことを綴る。
支配的権力など欲しがらないし、誰かを利用して我欲を満たそうとも思ってはいない。お金など自分で何とかするし、欲望から成る性的な搾取も必要とはしていない。カルトなど絶対にやらないし、誰も洗脳しない。
何を話しても恥ずかしいと思う心など持ってはいない。自分を信じ、愛した人を信じる、たったそれだけのこと。何処に恥ずかしさがあると言うのだろうか。
当たり前にある本能と心がこうさせている、何者かのマインドコントロールを受けてこんなことをしてるわけではない。子供の頃からある自分の心を信じてきた結果こうなった。
どんなに言葉を尽くしても伝わらないのは、既に知っていたこと。それでも諦めない、自分も人間なので、今を生きるために、幸せを感じるために生きている。
我々は今のこの瞬間を生きるために産まれ存在し、幸せを感じるために生きている。全ての生命はそのために存在している。これが「なぜ、何もないではなく、何かがあるのか?」、その答えとなる。
必要だから今を生きている、自分が望むから今生きてここに存在しているし、幸せのために頑張り求め続けてる。自らが望んでいるから誰もが幸せになりたがる、今を生きたいから苦しみを悲しみ、辛さを乗り越えたがる。
何が幸せか、それを考えるなら、その人はそのために今を生きてると言うこと。不幸になりたくて生きてる人はいない、想いも願いも叶わないと諦めて生きてる人なんかいない。
きっといつか幸せは叶うと信じて生きている、始まりから終わりまで、ずっと、いつまでも信じ続けている。
自分は、いつか必ず、この世界で最も愛する人と共に時を過ごすことを夢見ている。いつかそうなれると信じて、愛を信じて今をひたすら生きている。
幸せを求めること、それを願うことは間違ったことじゃない。何よりも愛し守りたい心、誰よりも一途に貫き通す普遍的なる愛。
全ての生命、人間に等しく与えられた神の秩序アナーキー、無秩序が自然の法則、自然の摂理としてある本能の決まりごと、これが神による宇宙の法則、絶対なる自由。無秩序が秩序となる神による赦し。
愛するなら愛せ、生きるなら生きよ、幸せを求めるなら幸せのために生きること。そこに人間の支配、邪魔などない。
人間が遮り遠ざける、愛を引き裂く不自由など神の秩序に反している。どんな人間にもあるせつなくて苦しい愛は哀しみを越えた先にある究極の自由の中にある。
この想いは、産まれた時から最後の時まで変わることはない。この命燃えつきるまで、いつまでも変わらず、永遠に。
願っても、願っても叶わない想いは、愛の聖杯から溢れる涙となり生命の根っこに命の水を注ぎ続ける。自らが枯れないように、愛は常に潤い、その心から滲み出る。
恥ずかしさなどない、愛して恥ずかしい誰かを愛するわけじゃない。
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