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この闇は、いつ終わりが来るのだろうか。この闇に包まれた現実が終わらないなら、それは黙示録

世の中には偏見者が多い。自分が一番物事を解ってると思い込んでる人達ばかりだから、その人の持論に反する事を言うと排除の対象とされる。

それはつまり、その人物を崇めとする命令のようなもので、自分の持論に従い支配されろの意思表示になる。従わなければ敵認定される。その仲間に属さないと許しが得られず反乱者に対して虐待を行おうとする、それは右も左も同じで、共にまったく許しなき心を持っている。

俺は誰も拒絶などしないし、どんな言葉でも受け止める、誰も無視しないし誰も見えなくはしない。だから自分がエコーチェンバーに陥る事は絶対にない。

自分と、その支配欲旺盛な偏見者の違いは、許しの心があるかないか、自惚れはあるかどうか、自分を何か特別な存在か何かと思ってるか思っていないかの違い。その支配欲旺盛な人々は自身が賢いと思い込んでるが、自分から見たらまったく賢くは見えない。


だからこそ自分を恐れる、何も言えないから、とりあえず見えなくしたがる。図星で痛いところを突かれるから、恐ろしくて俺の相手ができない。相手を軽視しているなら鼻であしらえるはずだが、重い言葉を受けるものだから心が痛くて仕方ない。なぜそうなるのかと言うと、自分が悪魔祓い師だから、悪魔に心を支配された者達が自分を嫌悪するのは当たり前。

特に他の人が自分を認めたりするのが気に入らないらしく、それがあるとより攻撃的になる。敵対心を持つようになる。

別に敵対心を持たれてもかまわないが、こちらはそんなつもりはないし、その人達があまりに未熟に見えて解っていないと思うから素直に指摘しているだけに過ぎない。それは違うと思うなら奥歯にものが挟まった言い方などせずはっきりと言う。はっきりと言わなきゃ何も伝わるわけがない、何となく、の中途半端な言葉で誰が気がつける。解らないなら教えないといけない、自分はそれをやってるだけで、攻撃をするために誰かに言及してるわけじゃない。


例えば社会経済の評論家等は、わざとらしく難しい言い回しをして表現し、自分の持論を権威あるようなものに見せたがるが、言ってることは単純であり、簡単な表現をしようと思えばいくらでもできるはずだが、自分は特別賢いと思い込んでいるのでわざわざ解りにくい言葉をチョイスしたりして、読み手に伝わらない言い回しで煙に巻いたような表現方法を使う。しかし、単純な話、それも回りくどい陰謀論混じりの机上の空論、持論に過ぎない。人は誰しも誰かを支配したがるので、自然に洗脳を施すための話術を使ってしまうもの。

医者もそう、外科医なら実際人体の構造を把握すれば、不具合が生じてる場所を突き止めてそこを切ったり縫ったりすれば良い、後は自然治癒力と薬の誤魔化し作用に頼れば良いだけ。物事を深く知れば、どんな事でも、特別な知識など必要もなく誰でもできるようなこと。人体の部位など解らなかったら、本でも見ればいい。本を見ながらでも手術は成り立つ、手先が器用なら、その説明を理解できるなら誰でもできること。

内科医なら、どの薬がどんな作用があるかを把握すれば、とりあえず薬を出しておけばたいした知識など無くとも町医者など成り立つもの。それは半導体工場で長年勤めてきた社員や、基盤製造に従事してる作業員の知識等と大差ない。どこに何が繋がり、そこにどの部品を使えば良いのか事細かく把握できるから誰でもそんな仕事ができる。

我々が特別賢いと思い込んできた人達も、工場で長く働きその仕事のあらゆる知識を持っている人達も、まったく変わらない、同じだけの専門的な知恵と技術を持っている。

だから医者だから、専門家だから、で臆する必要なんかない。それぞれが専門の知識などを持ってるなら誰もが同じくプロフェッショナルだと言うこと。迷う必要なく、違うと思うなら素直に指摘し、おかしいと思うならおかしいとはっきりと言う権利は誰にでもある。人の上にも下にも人はいない。


それぞれの分野と異なる物事、例えば政治論や陰謀論など、その権威的な肩書きになど臆する必要もない、違うと思うなら違うと言えばいい。何で肩書きやステータスを持つ誰かにぶら下がる必要があるのか、なぜそんな偏屈で頑固者に従いひれ伏さなければならない。そんなのは絶対的におかしい、なぜ従わなければならない。

知恵のマウントに立つぐらいなら誰でもできるが、それは相手を殴り飛ばして喧嘩に勝つのと大差ないこと。力自慢と同じで、その行いは猿の行いとなり、群れるならチンパンジーの集団となる。



自分はそんな次元には無いので、そんな猿の惑星になった集団を見ると、無性にからかいたくなる。悪ふざけしたくなる。何故なら、いくら真剣に言葉を尽くしても猿になってしまった人達から返ってくる言葉は歯茎をむき出しにした威嚇の言葉ばかりになるから。


人間とは道徳心があるから人間としていられるし、許しと優しさ、思いやりがあるから他者に対して人道的な対応ができるもの。従わなければ、属さなければ人を人として見ない、もうそうなるならチンパンジーの集団だと見て諦めるしか術がない。


だからこの社会とされるものは、こんなにもカーストのような現象で溢れている。自分はそんな低次元なカーストの中で争いたいとは思わない。特にTwitterは昔から、あからさまにそれが見えていた、だからあの中を見れば見るほど激しい憤りを感じていた。それは今でも変わらないし、今はその憤りがより激しくなっている。


何故人は理不尽な支配に甘んじてしまうのか、なぜ一度支配されると抗う気持ちを失ってしまうのか。その感情の中に劣等感があるから、その劣等感を刺激して人を支配したがる者は世の中には大勢いて、まるで擦り傷にカッターナイフをねじ込むようなやり方で人を貶め支配し、優越に浸りたがる。


その心理操作の応用がXでも使われている。全て同じ方向へと誘導する目的。過去にあの都市伝説のテレビ番組でミスター都市伝説が語っていた「ゾルタクスゼイアンフクロウの卵運び」、人工知能による心理操作、今それが使われている。

フクロウとはフリーメイソンとイルミナティが特別視する知恵の象徴であり、人工知能の事を指している。ゾルタクスゼイアンとはグノーシス派のカバリスト、ニューエイジ思想を使い社会に経済歴史も何もかも、人々を完全に支配したがる錬金術シオニスト、フリーメイソンとイルミナティの事を言っている。


その心理操作は実に巧妙で、ありとあらゆる手法がふんだんに盛り込まれている。わざと不快なものを見せては人の感情を刺激したり、人の心をかき乱すようなものを意図的に、全面的に見せたりもする。

それに抗おうとすればするほど、より激しく不快なものを見せ続けるアルゴリズムがしっかり構築されている。人々の怒りと憎しみの感情を誘発する目的。これがあるから、あの中では分断と対立が絶える事がない。

TwitterはXになり、より多く人工知能による心理操作、人の心を操る黒魔術の支配が行われている。自分はそれを解ってる。


どこを見ても理不尽極まりない物事ばかり。どこを見ても不快な言葉や表現ばかり。どこを見ても特定の思想主義に没頭し翻弄された人々の言葉ばかり。もう、いい加減にうんざりする。人工知能を使ったガスライティング、心理的虐待。

本当にうんざりしている、憤り嘆いている、この世の中の全て、人々の怒りや憎しみの蓄積、それにより発生する誹謗中傷。


この地獄のような現実は、いつか終わりは来るのだろうか。この現実が終わらないなら、それは黙示録だと言うこと。この理不尽で不快極まりない現実がアポカリプスとなる。





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