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悪意を見抜く目、カルトの擬態や成り済まし、支配欲と差別主義を見抜く目を

善悪の知恵、セフィロト(生命の樹)、クリフォト(邪悪の樹)、フリーメイソンとイルミナティはソドムとゴモラ、バビロンそのもの。


やはり以前からそうだが、TwitterXを見ていると酷い有り様に憤る。どんなに見ても批判や文句、揶揄、見下しに罵詈雑言、差別や偏見、そんな許しなきものばかりが目立っている、どうしたものか。

そんなのを見てるとまるっきり旧約聖書におけるソドムとゴモラそのものにしか見えない。終末ならバビロンそのもの。どんなに道徳心を説いても誰も聞かない、聞く耳がない、目にも入らない。思い思いに勝手に主張し好き放題言い、多くの人がそれにより苦しみ悲しみ、その言葉の刃物により心をズタズタに引き裂かれる。


それが言論の自由なのだろうか。自分の思う不満や愚痴、偏見や差別、怒りや憎しみをインターネット上にぶちまける、そんな自由などあるか。

十戒


人間は自分自身を神としてはならない、神ではない自分自身を個人崇拝させてはいけない、神の肩書きを使いカルト宗教をやってはいけない、愛もないのに愛があるふりをしてはいけない。

人間は人間の奴隷ではない、誰にも労働は強制はされないしそれを拒否する自由は誰にでも保証されている。自分で選ぶことができる、それが民主主義であり、何かを強制されるならそれは民主主義ではない人間の支配者が統治するバビロン、帝国主義。

友愛とは人を許す気持ちを持つこと、思いやり、優しさ、気づかい、日本人が他者に対する礼儀そのものが友愛になる。

家族愛は血の繋がり、絆、家族の伝統やしきたりを守り継承し家系を守る。父と母に敬意を持ち感謝し大切にすること、兄と姉、妹や弟との大切な血の繋がりを守る。それは昔から日本人が守ってきた道徳心であり、家族愛は世界共通認識となる普遍的な公共の福祉。

人が戦うのは大切な何かを懸命に、必死に守る時だけ、たんなる憎しみや怒り、憎悪だけで敵対心を持ち、許しなき争いなどしてはいけない。誰かの土地を奪う必要もない、従わないから殺し合う戦争などしてはいけない。無駄な殺生などしてはいけないと仏教でも教えられていること。


誰でもいいからで色欲など満たしてはいけない。これは自分だけの問題ではなく誰もが共通して持っている悲しみや苦しみを引き起こしてしまうから。とても愛する人が自分以外の誰かと関係することは、誰しもが悲しくなるし辛くなると思う。

男は女を愛し、女は男に愛される。男が女を全身全霊で愛するから女は男を愛することができる。一途に永遠なる愛を誓い合う、いつまでも変わらない思いでお互いを心の底から信頼し合い、激愛を持って愛し合い続ける。それが人間の愛であり男と女の純粋で綺麗な、美しいエロスになる、その愛が聖杯となり、かけがえのない尊い愛の結晶を産み出す三位一体となる。

奪うことなどしてはいけない、その尊い愛に羨み憎み、憎悪し強引に奪い取るような行為などしてはいけない。誰かが大切にしている何かを奪うこと、金銭も含めて略奪や強奪をするのは誰かを悲しませ苦しめる行為であり、そんなことはしてはいけない。


憎しみ嫌悪する誰かを貶めるために嘘などついてはいけない、何かを偽造したり、自分が属するカルト宗教のために成り済ましたり、擬態したり、プロパガンダを多用して多くの人を洗脳したり、特定の思想主義による政治活動のために悪意を隠したり、偽旗作戦を行ったりダブルスタンダードを使ったり、属する組織的な思惑で政敵を貶めるための情報を自身の影響力を利用して広めたり。

陰謀論によるレッテルを貼ったり、無理矢理にネガティブな情報を作り出したり、崇拝する何者かのために数の暴力で人の心を操り批判を増やしたり、ディープフェイクや加工画像を使ったプロパガンダによる印象操作、群衆心理操作などをやって優位になろうとしてはいけない。

組織的な支配欲、自身が属する、関係している悪意ある邪で不純なる動機を持つ、人間による支配を望むカルト宗教、組織、団体や集団のための活動、その思惑で人の心理を操り支持者を集め、何より宗教的、政治的な思想主義のために反対者、敵対者に対する悪意あるレッテルを貼ってはいけない。許しなき心で簡単に人をブロックしたり拒絶したり排除したり、強引に人を自分の属するナショナリズム、民族主義に属させようとしたり人種差別や性差別、移民嫌悪、LGBT嫌悪や戦争による残酷行為の正当化、差別主義を煽ったり、そんなことをしてはいけない。


支配欲のために領土拡大、武力行使のない侵略も含め、民主主義を求める国における強引な取り込み、侵略などしてはいけない。何もないところに何かの問題を作り出し、それをきっかけに侵略するための理由を作り出す。

何もなければ何もない、何かがあるから攻めいる理由を作れる。物事には必ず原因がある、その原因を自作自演して強引に支配するための理由にする。なぜ、何もないではなく何かがあるのか?

殆んど無神論の支配者に統治されている国、中国やロシアはそれを行う、それは強引に支配するための策略であり民主主義ではない。民主主義は自分で選択して決められる自由があるもの、その選択肢がないのならそれは独裁であり強引な支配、民主主義の淘汰、世界規模で新しい秩序として実現しようとしているのがそれであり、少なくもと我々にとってはそれは間違いなく悪意と脅威となる。

善は善であり悪にはならない、悪は悪であり善にはならない。善のように見える悪もあれば、悪のように見える善もある。善を装い、悪を装う、それが善悪の知恵によって行われる自作自演の支配統治方法。それは神による善悪ではなく、人間が善悪の知恵によって作り出した東西の善悪に他ならない。



これは善悪二元論の話ではない、神が禁じた禁断の果実によって得た善悪の知恵によって行われるフリーメイソンとイルミナティにおける陰と陽のウロボロス、セフィロト(生命の樹)、クリフォト(邪悪の樹)、によるカバラを使った分割統治支配方法について。



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