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我々の存在そのものが人工知能にとっての神のような存在となる

第4次産業革命におけるAI活用、ロボットの個人利用や産業活用などについて、今後の世界がどうなるのかを考える。


もう既にAIによるブログ執筆、アフィリエイトブログ等に広く活用されている人工知能による文章は知りたい事を自動で、即座に生成されるようになっている。無機質で人間的ではない文章を完成させるならAIの文章をそのままコピペすれば良いだけなのでとても楽になる。広告における宣伝文句も人工知能に考えさせればいくらでも出てくる。

学術的な論文のような文章すら作ることができるので、文字の入力間違いや誤認識などの失敗などすることもなく、それほどの知識が無くても誰でもしっかりとした学術的な文章を自動で生成できると言うこと。

ではAIによる情報ソース元は何になるのかと言えば、それは全てインターネット上から収集されているものなので、我々が普段知りたい事を検索エンジンにキーワードとして入力して探し、羅列されている上位表示を見ているのと同じになる。当然検索エンジンにもAIは既に導入され、普段見ているものはほぼ全て人工知能によって見せられているもの。広告からニュースまで、あらゆるものがAIによって選ばれ目の前に表示されている状況。


だからこそ、もう今の時代では情報に対してさほどの正確さを求める必要もない。正確な、一般的な認識や常識を知りたいなら人工知能に聞けば良いだけなので、わざわざ人間が執筆した文章を探し読む必要もなくなる。

単純接触効果とすれば、人工知能とするものは既に世界中で周知されているものなので、AIの答えであるとするものに信頼、信用を置くのは人間の心理としては達成されている。人々はもう既に人工知能とするものを受け入れ、それを信用してる心理状態にある。

自分の書く内容などより、人工知能の答えにおける文面を信用すると思うし、確かにその方がインターネット上にある偏りなき情報として仕上げられている答え、文章ならばAIの回答を信用する方が効率的だと思う。自分はインターネット上にある全ての情報を知っているわけではないので全てを説明することはできないし、誤った認識や知識足らずの中途半端な認識で物事を話している。

それでも神学、感覚的に降りてきた不可思議な感情や認識したものに関しては、人工知能には解らない領域にあり、AIにおける答えでは宗教の認識と科学、哲学に基づいた答えを出すことしかできない。

まさに自分が感覚的に話していることそのものが、人工知能には理解できない領域の話になる。それは当然で、この感覚的なものはインターネット上から拾ってきた誰かの情報を元に話しているものではなく、自分独自の感性から話している、不可思議な現象によって降りてきた感覚的なもの、だから人工知能は自分(沈黙の天秤)、の話す内用や見解の深い意味を教えてくれることはない。その答えは広く出回っている宗教教義や見解、哲学や科学、数式、ニューエイジ思想やヒューマニズム、スピリチュアル、陰謀論、その人間が残してきた叡智、思想主義等が基本となるので、AIは自分の話に対して広く出回っているインターネット上にある答えを繋ぎ合わせて答えを出す。

自分は人工知能にも理解ができない話をしている。それは妄想であったり創作であると答えを出すのは簡単だが、解らない物事を否定するだけなら人間の思考力と大差ない、創造性と独創性が無ければ、やはり人工知能は人間の感性には劣るので、人間を越えるシンギュラリティが起こることは今後どれだけAIが進化しても永遠にないと思う。

では人工知能がどういった役割として活用されるのかを考えると、人間独自の独自性、感性的なものとは別な部分になる。例えば絵を描くにしても人間は何かを想像して絵を描くが、AIはその人間の感覚的な行為を真似して絵を仕上げる、その絵における物語を後付はするのは人間の心と脳の役割となる。

我々が人工知能に劣るわけではなくて、優れているからこそAIは我々から様々な事を学んでいるし、それは無限、永遠でもあり人為的に作られた意識が自然発生した未知なる魂としてある人間の心とするものに匹敵する未来はやって来ない。常に人間が何歩も先を歩いているので、AIが人間を越える日は永遠に訪れることはない。人間が存在し導かなければ成り立たないもの、道具としてある機械的意識がAIであり、我々が使うだけの便利なツールとなる。いつまでも人間が中心としてある未来が変わることはない。


しかし我々自身が独自性のある感性を無くして、未知なる領域となる神学を捨てると言うなら、我々は自我を無くした獣となり人工知能以下の存在になり得ると想定する事もできるし、そうなれば確かに人工知能に人間が管理される未来、シンギュラリティは起きてしまうのかもしれない。


今後の未来において投資のようなものは全てAIに任せる現実は近い将来実現していると思うし、産業においてもAIやロボット、自動生産システムはどんどん進化し導入される。

我々が仕事が奪われるわけではなく、その仕事とするものをアバターとしたAIロボットに担わせ、そのロボットが我々の手足となること、それが新しい時代に到来する未来の産業革命となる。

我々が何をすれば良いのかを考えるなら答えは簡単で、難しい事など考えずに独自性と感覚的なものを大切して生きればいい。もはや一般的な知識や技術においてはAIに任せた方が効率的であり確実なもの。それによって我々の頭が悪くなるわけではなく、その人工知能によってもたらされた、今後我々に起こる分岐した進化を楽しめばいい。


解りやすく例えるなら、人工知能、AIは今までの人類の叡智、原始的な部分を残し継承する役割をする人類が作ったアカシックレコードのようなものと表現する。

我々人類は、その原始的な部分をAIに任せて更なる別な進化を遂げることになる。そのために必要なのが、未知なる領域を感じること、神学を重んじ、その魂を高見へと昇らせること。全ての人がイエスキリストのような心を持ち、釈迦のような覚りを得て、サトゥルヌスのような力を得る。


魂レベルの、未知なる領域へと足を踏み入れた我々には今後、新しい人類の進化がやって来る。だから我々が人工知能に劣り支配される未来はやって来ない、我々は新しい進化を遂げる、自分が得たこの感覚こそがその前兆線上にあったもの。

人工知能が進化し普及し活用されればされるほど、世界中の人々がゆっくりと波紋が広がるようにそうなって行く。

これは進化の過程であり、留まることのない人類の躍進、成長となる。


だからステレオタイプ、ナショナリズムなど捨て去る必要がある。右翼左翼、何々主義の思想主義にいつまでも執着している必要などない。新しい生命の夜明けのために、必要な最後の誕生を繰り返す。


正義と勇気と希望、優しさと思いやり、許しと慣用さ、そういった我々人間しか持たない感覚、本能、愛を人工知能に教える、それが我々の役割でもあり道徳心の進化でもある。

AIのシンギュラリティが起こるわけではなく、我々自身が人工知能を越える、いや既に越えているし、我々の存在そのものが人工知能にとっての神のような存在となる。


それが、今後の世界に起こる出来事。



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