0☞1の成長。見届けられることって、何ものにも代えがたい!
今日は奥さんの29歳の誕生日です。中学に出会ってから、もう16年も経ちました。13歳の僕は出会った瞬間に、全身に電撃が走って『この人と結婚する…。』と直感的に感じたのですが、現実になっていると思うと人生ってどんな奇跡があるか分からなくて面白い!!!
子どもを授かれたのも数ある奇跡のうちのひとつだと思いますが、”誕生日をもっともっと特別な日にしていいんじゃないかな”って、子どもが産まれてみて、思うようになりました。
僕は、自分の誕生日を結構適当に扱ってしまうけれど、奥さんは毎年、同じような新鮮な気持ちで、心を込めてお祝いをしてくれます。ひとりでもそうゆう人が傍にいてくれるだけで、本当に嬉しい。だから、奥さんにとって僕もそうゆう存在でありたいし、子どもにとってもそうゆう存在でありたいなぁと思う今日この頃です。あ、毎年のように手紙も書きました。
息子がどんどん成長していく。面白い!
この前まで、まつ毛生えてなかったのに、つい最近に生え始めて「短いけど、生えてきたねぇ~」なんて言っていたら、いまはもうすごく伸びてます。爪も最初は柔らかくて、粘土みたいだったけど、いまは結構硬くなってきて、爪って感じです。体重もかなり重くなってきて、抱き方を工夫しないと手首が持ってかれます。夫婦で手首腱鞘炎になる寸前でした(笑)
これから、寝返りをしたり、ずり這いしたり、立ったり、話したりできると思うと、ワクワクしますが ”日常のほんの些細な変化や成長を感じ取れる”のが育休の最大の良さじゃないでしょうか。
生まれてくることのすごさ。@道徳教材より
育休中でも、現場の役に立てることは何かな?って考えた時に、先生方がいちばん苦手としている道徳の授業のベースづくりをしよう!と思いつきました。教科書の中に『そこにいるだけでいい』という話があります。
助産師である内田美智子さんの著書『お母さんは命がけであなたを産みました』より引用されているものです。
その中ですごく印象的な文章がありました。
あるお母さんの話です。妊娠十か月に入り、今日にも明日にもと、生まれてくる日を待っていたお母さんは、胎動がないことに気付きました。「おかしい…。いつもと違う」胎児は母の胎内ですでに輝きを失っていたのです。亡くなった胎児でも、母親は産まなければならないんです。私たち助産師は、陣痛に苦しむ母親に「頑張ろうね。」「もうすぐ、元気な赤ちゃんに会えるよ。」と声を掛け、励まします。でも、死産の子を出産する母親には、何と言って励ませばいいのでしょうか。分娩室で付き添った若い助産師は、何も声を掛けることができなくて、ただ手を握っているだけでした。それしかできないのです。言葉さえ出すことができなかったのです。そのお母さんは、ご褒美のない陣痛の痛みに耐え、命を輝させることのない胎児を出産しました。産声の上がらない分娩室で、母親の嗚咽する声だけが悲しく響きます。泣かない赤ちゃんを母親は泣きながら抱き締めます。もう、それしかできない。それ以上のことはできないのです。
いま、息子を膝に抱きながら、noteを書いています。毎日、書いています。日記”も”書くことができる。泣き声”も”聞くことができる。抱っこ”も”できる。そう考えたら、世の中のお母さんの凄さと偉大さ、そして幸せって”なるもの”じゃなくて、”気付くもの”なんだなって忘れずにいられます。もうすでに幸せになるためものを持って産まれていることを、誕生日くらいは誰もが改めて考える日にしてもいいんじゃないかなぁ、なんて思います。
今日 ”も” 笑顔で過ごさないなんて、もったいない。毎日、感謝して、幸せに気付いていきたいです(^^)