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きらきらひかる【ネタバレあり】睦月の善良

まずは、これまでの江國香織さん作品(短編を除く)の読書歴、「ホリー・ガーデン」→「落下する夕方」→「きらきらひかる」。

「きらきらひかる」、、、正直言うと、1回目読み終えた時、自分には響かない作品だった、という印象でした。
それでも、2回目を読んでみて、読みやすいうえに温かい気持ちになれる作品、という印象に変わりました。

そんな「きらきらひかる」(1991年)のなかで、気になったことは”睦月の善良”についてです。

「ホリー・ガーデン」(1994年)のでも「落下する夕方」(1996年)でも”善良”という言葉が印象に残っています。
「ホリー・ガーデン」の”中野の善良、中野のカインドネス。”、「落下する夕方」でも梨果が感じる健吾の善良さが印象的でした。
果歩から見た中野、梨果から見た健吾、読んでいた時は、どちらの善良もよい印象が色濃く、すこし含みを持たせるような、私はそんな受け止め方をした記憶があります。

しかし、「きらきらひかる」における睦月の潔癖なまでの善良は、そのうらがわで誰かが追いつめられる、というような、側面も強く描かれていました。

特に印象に残っているシーンは、笑子が両親に、睦月が恋人と別れた、と嘘をついて、それに対し睦月は、笑子の両親にそういう嘘はつけない、と言ったあとのシーンです。

”睦月はまるで、良心という針をたくさん逆立てたハリネズミみたいだ。睦月はほんとうのことを言うのをこわがらない。勿論私はそれが死ぬほどこわくて、言葉なんてほんとうのことを言うためのものじゃないと思っているのだ。ものすごく悲しかった。どうして結婚なんかしたんだろう。どうして睦月を好きになんかなったんだろう。”

嘘をつくことをなんとも思わない、という笑子と対極的に、善良な睦月をあらわした大好きなシーンです。
それと同時に、極めて純粋な笑子をあらわした大好きなシーンです。

善良と純粋、ホモとアル中、脛に傷を持つ者同士。
現実の社会にも大なり小なり、脛に傷を持つ人は多いと思いますが(自分も含め)、笑子と睦月を好きになれる、温かい物語だと思いました。


ところで、「きらきらひかる」とは直接的には関係ないのですが、先ほどのシーンの

”どうして睦月を好きになんかなったんだろう”

で思い出した曲があります。
シューマンの幻想小曲集 第3曲「なぜに」です。

「きらきらひかる」では、親族会議が終わり、紺を呼んでお好み焼きを食べたあとに、電気を消してシューベルトの幻想曲を聴いていましたが、シューマンの「なぜに」もすごくいいですね。

ちなみに、たまたま思い出しただけで、私はクラシック音楽に造詣が深いわけではありません(笑)。

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