また。
中学の頃仲良くしてくれていた女の子から一年に一度くらいのペースでLINEが届く。特に用はなく暇つぶしらしい。私が引きこもりすぎるから、生存確認とも言われる。
憂鬱で寂しかった三月の深夜、缶コーヒーを片手に散歩をしていた時にLINEが届いた。
普段話さない人から、久しぶりにメッセージが届く夜、嬉しいけれど、寂しい。その人とはきっと二度と会うことはないからだ。
近況を聞かれ、淡々と答えていた。
「大学で何を学んでるの?」
「文化とか文学とか。なんで学んでるかはわからない」
「みんなそんなもんだよね。地元の駅、同級生に全然会わなくない?びっくりだよね」
「たまに中学の同級生は見かけるよ、基本見て見ぬふりしちゃうけど」
「私も見て見ぬふりする時あるかも。例えば誰に会った?」
「名前も知らない人とか、もう会っても話してもない同じ部活のやつとか、あなたのことも一回だけ見かけたよ」
仲良くしてくれていた中学の頃、私たちは下の名前で呼び合う仲だった。しかし、今の私はそう呼んでいい関係性ではないような気がした。私はいつも友達の呼び方に困ってしまう。距離は近すぎないだろうか、キモくないだろうか。どんな友達でも、呼び方を気にしてしまう。
例え友達だった関係性でも、久しぶりに話す男が名前呼びしてきたら不快だろうと思い「あなたのことも一回だけ見かけたよ」と返信した。
夜、私たちはいつも寂しがっている気がする。急に誰かからメッセージが届いて欲しい。もしくは誰かにメッセージを送る。もちろんメッセージなんて来ない。赤い通知も青い通知も光らない。既読は付かない。たまにすぐ返信が来る。そうやっていくつもの夜を殺して、朝を迎える。その繰り返しが人生だとしたら、それは悲しいことなのだろうか。そうして夜を殺し続けて、いつしか友達との関係が変わっていく。いつか、もう会えなくなってしまう時が来るかもしれない。その事実が夜、明瞭になって私たちの頭を巡る。それが寂しいの原因の一つな気がする。大学に絶望していたらいつの間にか二年生になってしまった。今思えば一年、何も出来ずに一年が経ってしまった。
きっともう二度と会うことはないだろうなって人からメッセージが届いた夜、眠れなくてコーヒーを啜る。
そうして返信は途絶えた。