東京、朝の電車、生活、何もかも納得できない。
何度でも言うけど、朝の電車がこの世で一番嫌いだ。何もかもが正しすぎる。毎朝どうしようもない気持ちになってはその正しさの前で自分の無力さを痛感する。現実が目の前に茫漠と横たわる。詰め込まれてくる人々はどこへ向かい、何を考えているのか。
それを知るにはあまりにも若すぎて、凡人すぎた。何になりたいかも分からない。ただ、今は誰の何にもなりたくない。朝の電車で座れるだけで嬉しい。そんなことが少し幸せ。でも毎日座れるわけではない。幸せは続かない。たとえ小さくとも。
幸せ以外のことの方が多いのが人生で、ひと握りの幸せのために今日も生きてる。明日への期待を諦めることが出来ない。だから今日も起き上がる。
私は今日も電車に座れない。何もかも正しくて辛い。揺られる時間の中で私の存在が危うくなるのを感じる。
朝が来る度、自分という存在の定義に失敗している。
冬は愛の季節ではない。
春は別れの季節にしたくない。
秋は皆が寂しそうな季節。
夏にはみんな馬鹿になる。
夜はいたずらで朝は砂漠。
私もあなたもいつかみんな死ぬ。俺もお前もみんな死ぬ。どうして生きて、どうして死ぬのか、考えるのを辞めちゃいけない気がする。
友達に、恋人に、家族に、会いたいと思った2秒後に通り魔に刺されて死ぬ。車に轢かれて死ぬ。その世界に納得できない。
急に寂しくなったり、虚しくなる。どうしようもなくなる時が必ずある。「東京」を歩く度に感じる。でも、だからこそ私は今この絶望に負けたくない。抗っていたい。どんなに希望に溢れていても、そういう瞬間は必ず来る。そして、そう感じる度に私はその瞬間死ぬことに納得できない。
何もかもがいつか終わる。
大学に入って一年、何も得ることが出来ないでいる。
「東京の無関心さはお前だよ。何でも出来たのに何も出来なかったお前だよ。お前の目に、どうして都会が寂しく映ると思う。それはお前が何者にもなれないくせに、何者かになれると期待しているからだよ。諦めてからが人生だ。お前は自分が何も出来ないということを心に刻むべきなんだ。
そして、何者にもなれない自分がどうして生きて、どうして死ぬのか、考え続ける必要がある。」
「東京の姿は人口の数だけある。当たり前だ。いいか、もう一度言う。東京が無関心に見えたならそれは紛れもなくお前の姿だ。その無関心さに救われたことはあるか。なんでもある東京で何者にもなれない疎外感を感じたことはあるか。子供の頃、お祭りで迷子になったあの感覚を、都会に行ってみて感じたか。」
行動力のない高校生の私にとって、電車で新宿に行くことすら旅行だった。あの時のことをいつまでも覚えている。
2018年冬。澄んだ空気の中、イルミネーションがキラキラしていた。みんな、ゆっくり歩いていて、どこかへ向かっている。誰もマスクなんかしていなくて、各々が各々に夢中だった。その時の私はきっと、どこへでも行けて、何者にもなれたのかもしれない。地元から出ないで生きていた私にとって、その日は真に初めての東京だった。
紀伊国屋書店で本を二冊買って、何かを考えながら弾き出されるように帰った気がする。何を考えていたかは覚えていない。
私はこんな痛々しく、虚しい一日を幾つか拾い集めるために生きてる気さえする。
なんとなく、くるりの東京を聴いている。
ドン底はお遊びじゃないと映画をみて思った。承認欲求を満たすものでも、自分を魅力的にするものでもない。一度自分を諦めて、己の不可能性を心に叩き込む。
諦めてからの悪あがきこそ、人生なんじゃないかと思う。でも、そんなことを確信を持って言えるほど、私は生きていない。
自分が若く幼いからこそ、歳上の男性に惹かれてしまうのだと思う。
私は、馬鹿な期待で生きていたい。
会いたいと思ってる人には会えないし、行きたいと思ってる場所には行けない。やりたいと思ってることは出来ない。なりたいものにはなれない。幸せになりたいと思った瞬間、私は幸せになれない。願望は呪いでもある。人生、都合のいいタイミングも、都合のいい人間も現れないらしい。
何をしても、何を見ても、何を聴いても、虚しく、それら全てが眩しく見える。私は今、何をするべきなのか。どうあるべきなのか。わからない。だからこそ、どうあるべきで、何を手に入れるべきなのか、どうして生きて、どうして死ぬのか考えるのを辞めたくない。眠れない夜を超えて迎えた朝との戦い方も、SNSとの戦い方も、考え続けなきゃいけないと思う。
納得できないこの生活を愛したい。そして、いつか後悔すると思う。何をしても満たされないと思う。納得できないと思う。誰かの諦めと、静かな怒りを拾い集めながら生きてみたい。きっと、何もかもどうにもならない。そんな静かな諦めと怒りを、私は沈めることが出来ないでいる。真っ白な手帳を投げ捨てて。
納得出来ないなりに、静かに、時に過激に、今をさまようのが嫌いじゃない。むしろ、居心地がいい。まだ若いからだと思う。
ずっと悪あがきをしていたい。例え一人でも、誰に見られずとも、私が納得できる悪あがきを。
みんな、いつか誰かと見た花火のことを忘れられないでいると思う。果たしてそれは悲しいことなのだろうか。
一度、寂しさに完全敗北してみるべきだ
ところで、いつまでも過去に執着する人の特徴は一体なんだろう。
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