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母が事故に遭った日
突然の母との別れ
娘が4歳の誕生日を迎えたばかりの2月、母は交通事故に遭ってその一週間後にこの世を去った。まだまだ元気で、明るくて、人生を楽しく謳歌していたのに、私が母を呼んでしまったために母は事故に遭ってしまったのだ。
旦那の実家を出てアパートを借りて3人で住み始めてからまもなくことだった。私はこれで気兼ねなく母を家に呼べるとばかりに母を雑用に呼びつけていた。母は娘(孫)かわいさに口では嫌そうにしながらも内心まんざらでもないようだった。その日はとても晴れた日だった。
娘が初めてのインフルエンザになる
前日娘の体調がおかしく病院に連れていったところインフルエンザと診断された。娘がインフルエンザになったのは初めてだったし、その頃はまだ予防接種も打っていなかった。怖くて怖くてしょうがなかった。先生には
「必ず時間どうりにこの薬を飲ませてください」
と強い口調で言われた。
薬を飲んでくれない娘にパニック状態になる
しかし熱で調子の悪い娘は翌朝飲まなければならない時間にぐずってなかなか薬を飲んでくれなかった。私は生理の前の不安定さも重なりパニック状態になった。旦那は仕事に出かけてしまい、絶対に「義母を呼ぶなよ」と念を押されていた。
母との最期の会話
でも旦那が仕事に出かけたとたん私は母に電話をした。
「娘が薬を飲んでくれない。どうしたらいいかわからない。お母さん、今すぐ来てほしい。」
と。母は電話口で「今日は体操教室に行くから無理だよ」と珍しく来るのを渋った。それを聞いてますますパニックになった私は
「お母さんが来てくれないなら、もう●●子がどうなっても知らないから!」
などと言って母を脅した。それを聞いて母はしぶしぶ
「しょうがないな。じゃあ行ってあげるよ。」
と言ってきてくれることになった。それが私が聞いた母の最期の肉声だった。
救急隊員の方からの突然の電話
母が来てくれると思うだけで私の気持ちは落ち着いた。その気持ちで娘に向き合って薬を飲ませたらすぐに飲んでくれた。ホッとして20分くらい経っただろうか。母に「もう来なくてもいいよ」と実家に電話したら父が出て「お母さん、今朝ごはんも食べずに慌てて出て行ったよ」と言われた。
そのうち来るかなと洗濯をしながら待っていたけどいっこうに来るようすがない。どうしたのかなと思っていたら電話のベルがなった。救急隊員の方からだった。最初私がパニックになって泣きわめいていたから近所から苦情でも来たのかと思った。
でもそれは母が交通事故に遭ったという悪い知らせだった。
「呼びかけても応えられない状態です。」
と言われ、よく意味がわからずに「命に別状はないんですか?」と聞いた。
「はい、命に別状はありません。でもすぐに病院に来てください。二次の事故になるといけないのでゆっくり気を付けて運転してください」
と言われた。どうして私のところに一番に連絡がきたかというと母の持ち物の中に万一のためにか私の住所と名前を書いたメモが入っていたからだった。私はすぐに旦那に帰ってきてもらうようにして、娘の面倒を見てもらい、父と兄に連絡を取った。
待っていたのは最悪の状況だった
私が病院に駆け付けたとき、エレベーターから降りてきた父と兄に「もうだめらしい」と神妙な面持ちで言われた。エレベーターの中でへなへなと腰がくだけて倒れそうになってしまった。私はてっきり命に別状がないとのことだったので、きっと骨折程度なのだろうとタカをくくっていたのだ。
すぐに救急の待合場に行った。手術はしていたが脳の中枢の大切な部分に損傷を受けているとのことで医師からは
「植物状態になるか、亡くなるかのどちらかです。」
と告げられた。手術を待っている間中自分がおかれている状況があまりにも現実離れしていてつらかった。長椅子で不安で待っているとき、医師二人が談笑しながら目の前を通っていった。ここは救急の待合の場だとわかっているはずなのに、配慮がない態度に怒りが湧いてきた。
その後加害者の主婦がお見舞いということでシュークリームを持ってきた。こんな状態でシュークリームなんて食べられるわけがない。怒りが湧いてきてそのままゴミ箱に捨てた。
兄に、
「私のせいでお母さんがこんなことになって、、、」
と言ったら「わかってるならいいよ。」と冷たく言い放たれた。
そして今私にできることとは
あれから20年近くたった今、この事故によって私が私自身を責める気持ちはなくなってきた。それは母が望むことではないと思ったからだ。母は事故に遭う最後の最後の瞬間まで娘(孫)のことを想いながら亡くなっていったのだ。
今の私にできることは交通事故を絶対に起こさないよう細心の注意を払って車のハンドルを握ることと、お母さんが大切に大切に思ってくれた娘のことを今度は母の代わりに私が守るのだと。それが母に対する私が唯一できることだし、天国の母はそれを笑顔できっと見守っていると信じている。
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