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5,000年前の縄文土器に触れてみた

土器を博物館などで見る時に、ガラス越しやちょっと遠くから眺めると、素材感や重さなどを感じとることは難しいですよね。
もっと近くで見てみたい、実際に手にしてみたい、と誰でも少なからず一度は思ったことがあるのではないでしょうか?

そんな願いを叶えてくれるのが、神奈川県秦野市のはだの歴史博物館「さわる展示コーナー」です。

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ここには、本物の土器の破片が並んでいます。
縄文中期、縄文後期、古墳時代~奈良時代に作られた須恵器の3種を、触ってその違いを感じてみよう!というコーナーです。

須恵器とは、古墳時代後期になって朝鮮半島から伝わった窯を使って、1,000℃以上の高温で焼かれた土器です。
窯は斜面に作られ、原料は山の粘土であったと考えられています。
特徴は青灰色っぽい色味で硬く、貯蔵用の甕や祭事用などの特別な土器として使われていました。

須恵器に対して、それ以前の古墳時代初期から中期の土器を土師器はじきと言います。
土師器はじきは、弥生時代からの流れをくむ方法で、 たき火の上を土や藁などで覆って700~800℃程度の温度で野焼きする方法です。
もろい反面、火に強く、赤っぽい色味の薄手でやや軟質に焼き上がり、普段の煮炊き用の土器や食器などに使われていました。

さらに遡って縄文土器は、火の廻りに土器を置いただけの、たき火のような形で土器を焼いていました。火の温度はだいたい600℃位の低い温度で、火に強く煮炊きに適していました。

最初に、縄文中期のものから手に取ってみます。
慎重に、ちょっと持ち上げてみます。

ずっしりとした重み。
表面はゴツゴツ、岩のような感触。
土器に施された渦巻きや羽状縄文は、しっかり、深く刻まれています。

土に何か混ざっているようで、全体的に目は荒くザラザラしています。
一言で言うと〝無骨で荒々しい土器〟

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断面を見ると、かなりの厚みがあります。
表面は荒く、空洞が多く見られます。

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土器の裏側には、微細な割れ目がいっぱいあります。端のほうには繊維質が見えます。
繊維質‥これは土器を作る際に、土を粘土にするための混和剤として植物や動物の繊維が混ぜられたものと思われます。
ただその分、土器に空洞が多くできてもろくなります。

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大胆で深くしっかり刻まれた文様や重みが、いかにも縄文土器といった感じがしますね。

次に、縄文後期の土器を手にします。
先ほどのものより、全体的にすっきりした印象です。
装飾にも工夫がこらされており、貝殻状のものや動物の骨などで開けたと思われる押圧紋や、引っかき傷のよえな刺突紋様が見られます。

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厚みや重みは中期のものの7割ほどに感じられます。繊維がとても多く含まれているようで、端はかなり毛羽立っています。
右の土器には、小さなヘビのようなものが付いていました。

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縄文後期の土器は、縄文中期で盛んに付けられていた文様などの装飾が次第に少なくなっていきます。
この傾向は弥生土器へと移行していき、やがて弥生時代や古墳時代の土器にはほとんど装飾が見られなくなります。

装飾よりもより実用性に富んだもの、使い勝手の良いものへと移行したと思われます。
稲作が始まったことで、食料保存や調理の方法などが変わり、土器の使用方法にも変化が生じたのかもしれません。
また、その時代ごとの土器にこめる精神性や美意識の違いもありそうです。

最後に須恵器を触ってみます。
表面には装飾はいっさいなく、縄文土器より空洞が少なくきめ細かく滑らかな質感です。
厚みもやや薄くなり、固く焼しめられている土器のように感じます。
現在私達が使っている陶器に近い感じもします。

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底の裏には、土器の下に敷かれていたと思われる布の跡がくっきりとついていました。

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3つの時代の本物の土器を一度に手にできるとは、おもしろく貴重な体験です。
実際に土器を手にすることで、時代の流れと共に土器が少しづつ変わっていることがよく解ります。
私達が日常使っている陶器や磁器も、この縄文から続く〝器〟の流れをくむものと考えると、手に伝わるぬくもりが一層あたたかく感じられました。

最後まで読んでいただき有難うございました☆彡

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