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「苦しい」と向き合うことを、「ありがとう」の語源から考える。

悩み、苦しみ、悲しみ、辛さを感じるとき、それは人間が正常でない状態にいないことから生じて、その時に伴う苦痛のおかげで、その状態に陥っているということを知ることが出来る。

仮に多量出血状態になったとき、肉体的な痛みを感じない場合、治療や止血をするという行いを忘れ、いつの間にか致死量に達して、死んでしまう。
「痛み」とは、人間が人間でいるために必要な要素である

精神的に感じる苦痛のおかげで、「人間が本来どういうものであるべきか」ということを、心に捕らえることが出来る。

「ありがとう」を漢字で書くと、「有り難う」になる。
この語源は、仏教が由来とされており、有る事が稀である、滅多に無い事、という言葉からきているものと言われている。
友人や家族に何かを施してもらったときや、会社の同僚に仕事を手伝ってもらったとき、ごはんをいただくとき、自然を慈しむとき、生きていることに感謝するとき、色んな場面で、「ありがとう」と言う機会があるが、それは全て、有る事が稀である、滅多に無い事だと、思うことが何より大事である。

「難しい」ことが「無い」人生のことを、「無難」と解釈し、
「難しい」ことが「有る」人生のことを、「有り難う」と解釈することも出来る。

つまり、悩み、苦しみ、悲しみ、辛さを感じることが出来るのは、有り難いことなのだ。それと同時に、その人自身が、真っ当な人間であることを、もしくは真っ当な人間であろうとしている証拠でもある。

人間が本来、人間同士が調和して生きてゆくべきものでないのであれば、どうして人間は自分たちの不調和を苦しいものと感じることが出来るのか。お互いに好意をつくしあって生きてゆくべきなのに、憎みあったり、敵対しあったりしなければいけないから、人間はそのことを不幸と感じ、苦痛が伴うのだ。人間が、こういう苦痛を感じたりするのは、人間がもともと、憎みあったり敵対しあったりすべきものではないからだ

何か大切な物を失くしてしまったときや、大切な人が亡くなってしまったときも、本当に、本当に悲しいと感じるが、それも「有り難い」ことだと考えることも出来る。なぜならば、その事実を悲しいと思うことが出来るような関係性を作れたこと、その人と出会えたこと、それまでにかけがえのない時間を過ごせたこと自体が、とても素晴らしいことだからだ
産まれてから一度も幸福を感じることが出来なかった人。極端なことを言うと、出産後にすぐに亡くなってしまう死産になった場合は、不幸を感じることすら出来ないのだから。

そして、こういう苦痛の中で、一番人間の心に突き刺さるのは、自分が取り返しのつかない過ちを犯してしまったときだ。自分自身の誤りを認めるのは本当に辛い。だから、たいていの人は、なんとか言い訳を考えて、自分のせいではないと思い込むようにする。

しかし、自分の過ちを認め、そのために苦しむことは、人間だけが出来ることだ。人間が、元来、何が正しいかを知り、それに基づいて自分の行動を自分で決定する力を持っていないのであれば、自分が犯したことを反省し、それを悔いること自体が、無意味なものとなる。自分の過ちを認めるのは辛いことだが、その過ちを辛いと感じる心の中に、人間の立派さもある

もし仮に、良心や倫理観を持ち合わせていない場合、そもそも自分が行っていることを過ちだと気づかず、もちろん辛い思いをすることもない。それは、先に例えた、肉体的苦痛を感じず、いつの間にか多量出血死をしてしまうようなことと同じである。

人間は、自分で自分を決定する力を持っている。だが人間である限り、過ちは誰にだってある。しかし、人間は自分で自分を決定する力を持っている。だから、誤りから立ち直ることもできるのだ

以上のことをまとめ、苦しみとの向き合い方を考える。

今抱えている問題や悩み、苦しみ・悲しみを取り除く方法や答えは、他人から出てくることはない。相談をすることや、話を聞いてもらうことは出来ても、その悩みや苦しみを真の意味で解決することは他人には出来ない。そもそも、今抱えている悩みや悲しみを解決する一過性の答えなんてものは、この世にないかもしれない。
答えは、自分の中にしかなく、自分が考えて導かなければならない。そして、導き出した答えを、自らが行動に起こし、解決に向かわせるしか、その悩みや苦しみから解放されることは無い

結局は、自分でどうにかするしかないという、身もふたもない結論なのだが、難しいことが無い人生、すわなち「無難」であれば、悩みや苦しみも少ない分、幸せや喜びも少ないということになり、難しいことが有ること自体が「有り難い」人生であるということ。そもそも、不幸を感じることが出来ないくらい過酷な環境ではないというようなことを、認識することが出来れば、今感じている悩みや苦しみに対して、少しは楽な気持ちになれるのかもしれない

強い人間である必要はない。多かれ少なかれ悩みは尽きないものだ。誰にだって過ちを犯すことはある。
ただ、どんなときでも、考えることを辞めず、小さな一歩でもいいから、行動に起こしていくことが、悩みや苦しみから解放される手段なのだ。


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