天鳳における気づき
麻雀の記事です。
なんか気づいちゃったんで書きます。
最近ちょいちょい天鳳を打っていて今七段です。
今打ってて気づいたことを書きます。
個人的には
「これ気付けたのデケーな」
って感じですけど、打牌の細かいこととかの話が好きな人にとっては無価値なので読まなくていいです。
人間の脳(俺の脳)の話です。
なんかしっくり来ないことないですか。
俗にいう調子悪いってやつ。
連ラス続いてて、キレてる、とかじゃなくて
なんつーかいつもみたいに正着が光って見えないぞみたいな。
これ、気づいちゃったんですよね、理由を。
結論から言うと俺は音楽を聴いてる時は調子良くて、喋ってる時も(この意味での)調子はそんなに悪くないんですよ。
一番調子が悪いのは天鳳の音だけを聴いて打ってる時。
で、その理由は前から分かってて今回気づいたのはその先の話。
まずこの話から。
人間には【適切な集中状態】があるって話。
要するに俺は過集中になりすぎるとミスるタイプなんですよね。
その理由は、過集中により得られた情報を合理的に処理出来るスペックが無いから。
これは前から言ってるんですが、俺は脳のスペックがかなり低い。
正確に言うと処理速度は速いけど処理落ちが多い、みたいな感じ。
麻雀での処理落ちはどういう状況かというと"頭の中から打牌候補が消える"。
そしてその後、瞬時にそれまで候補にもなかった牌を切ったりする。
これが処理落ちだ。
この処理落ち、実は過集中状態じゃないとそもそも起きない。
何故なら情報の取得がアバウトだから。
情報過多になりにくいんですよね。これは音楽や喋りに意識を分散させているから。
ちなみに喋ってて現物見落としとかするのは処理落ちじゃないよ、これは逆に集中が少なすぎる状態。
多分天鳳での強さって【処理落ちをしないギリギリの集中状態で打つ】ことなんですよね。
そしてここからが気づきの話。
【調子悪い】という感覚は【適度な集中状態でないさま】だと思ったんですよね。
で、ここまでは辿り着ける。
ここからが天才の気づき。
【その集中状態での最適解を出来なかったことを「調子が悪い」と表現する】
という話。
たとえば
豪雨の中で、ずぶ濡れになりながら打つとします。
この場合
「これは無理だ!!!!打てない!!」
となるでしょう。
いわば集中0状態。
他の事が重要すぎて、正確な打牌など出来るはずがありません。
この場合
【こんな環境で打つべきじゃない】
というフィードバックを得るでしょう。
重要なのはこっち。
超集中しながら(いわゆる本気出すみたいな)打った時に感じる調子の悪さ。
これは自分自身の雀力がその集中状態を維持出来るレベルに達してないのです。
それはどうでもいい。
パッと見で分かる、みたいなやつに時間がかかるのはこのゲームの経験値的な話も多いので。
問題は【【【フィードバックのやりかた】】】だ。
このとき人はこう思う。
「なんか調子悪いな、なんでこれ切れなかったんだろう。これしかないじゃん」
これが違う。
なぜ違うか。
それは【過集中状態のフィードバック】だからだ。
過集中とは読んで字の如し、過度に集中していることを指す。
入り込んでいて麻雀にコミット出来そう、と思われるかもしれないが実態はそうではない。
何故なら
【過集中状態の自分は、そうでない自分よりも遥かに完璧主義者になり、スペックオーバーの完璧さを自分に要求するから】だ。
この自覚を今さっきした。
要するにスペックオーバーのことを時間内に行なうことは不可能なのだ。
簡単にいうと出来ないことは出来ない。
正確には出来なかったことは
「出来なかった」
で終わりなのだ。
それで終わり?と思うかもしれないがそれで終わりだ。
要するに
過集中状態の自分の打牌におけるフィードバックは自身を過大評価しがちだから
「調子が悪い」
なんてことを抜かすのだ。
本当は
「最初からそこまで出来ない脳みそだよお前」
で終わりなのだ。
んで、それを出来るようにするため(スペックオーバーにならないため)に基礎体力を200にして4割の力で80%くらいの力を出せるようになることを目指すべきなのだ。
アバウトな時に調子が悪いとかはあまり思わないのだ。
それはある程度
「ぽえー」
って感じで打ってるからだ。
意識の分散がこの方が適切で、このゲームの実戦で重要なのは
「ぽえー」
のまま精度が高いことなのだ。
木原さんのツイートで弱者と強者の思考みたいな話が前にあったがそれと同じだ。
弱者はあれこれ考えて押し引きを選択するが
強者はパッと見で降りてるみたいな。
要するにこのゲームは
「ぽえー」
なのだ。
全員がそうとは思わないが、少なくとも自分にとっては
「ぽえー」
だ。