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ページをめくる手が止まらない・・・!驚きのドストエフスキー体験。

読書子のみなさまこんばんは。

突然ですが、ドストエフスキーといえば、押しも押されもせぬロシアの大文豪、長くて暗くて登場人物多くて大変、なイメージではないですか・・?!
わたしも最近までそう思っていました。

それがなんと、『悪霊』を読み始めたらページをめくる手が止まらず、、、
それについてnoteを書こうと思っているのに、
読むほうが楽しすぎて、読み終わったらすぐ次に『白痴』を入手してしまい、最後まで読んでからの今日です。

今回のnoteでは、わたしの過去のドストエフスキー体験と、今回の読書の経緯について書いていきます。具体的なものがたりの内容と感想や、これって現代の日本やん・・・と思った話などは、回を改めますので、気になる方はそちらへ飛んでいただいても。

ではまず、今回『悪霊』を読み始めた経緯。
たしか、翻訳家の鴻巣友季子さんだったと思うのだけど、、、いま該当の記事が見つからなくて恐縮ですが・・・ 
「ドストエフスキーは『悪霊』から読め!」(大意)みたいな記事があって。
『カラマーゾフの兄弟』とかより全然読みやすいし、最初はちょっと状況説明が続くので退屈かもしれないけど、途中からは面白くてもう止まらなくなるよ〜(大意)みたいにおっしゃっていました。
まさに、その通りでしたよ!!教えてくれてありがとう!

わたしが最初に読んだドストエフスキー作品は『罪と罰』、中学生〜高校生くらい。もちろん新訳は出ていない時代。文庫で上下巻とかだったか、でも若者なりになんとなくわかった気にはなったと思う。いやまって、ちょっと『車輪の下』(ヘッセ)と混同してるかも・・・(汗)

大人になってから、光文社古典新訳文庫で『カラマーゾフの兄弟』が出たので勢いで全巻購入。一応、完読はしたものの、「うーん・・・(部分的には面白いところもあるんだけど)ぶっちゃけあんまりピンと来ないなあ。メンズ向けなのかもしれんなあ」くらいな感想。

その後、たまたま図書館で、『罪と罰を読まない』っていう本を見つけて読んだら面白かった。うろ覚えで本の内容について語り合う読書会。
”ラスコは中二病”とかね(笑)

で、じゃあ本物の『罪と罰』も読むか〜、となって、図書館にて新訳を借りまして。
たしか、娘の大学受験についていったとき、待ち時間に大学のカフェでひたすら『罪と罰』を読んでいた変な親でした。
(本当は観光できたらしようと思っていたんだけどとーても寒かったんです)

二回目に読んだ『罪と罰』でいちばん印象に残っているのは、登場人物のひとり、スヴィドリガイロフが「永遠とは」とか言い出したところ。「永遠とは、誰も住んでいない家の、蜘蛛の巣が張った風呂場みたいなものかもしれませんよ?」などと語るところ、背筋がゾクッとしてなんともいえない気分になった。こういうの好き。

からの、今回久々のドストエフスキーさま、『悪霊』でございます。
読書好きの主治医に話したら、「体力あるね〜。人が大量に死ぬ話でしょ?!」とのコメントをいただきました・・・ご心配ありがとう。
センセーは夏目漱石ファンだからなあ。微妙に話が合わないのよ。
(わたしも『夢十夜』は大好き。)

『悪霊』もはじめは図書館で借りたんだけど、あまりに良すぎて買ってしまいました。
というわけで、安心してゆっくり再読しながらnoteを書けるというわけです。ほくほく。

では、扉の不穏な文章を引用して、以降は次回といたします。

 ところで、その辺りの山で、たくさんの豚の群れがえさをあさっていた。悪霊どもが豚の中に入る許しを願うと、イエスはお許しになった。悪霊どもはその人から出て、豚の中に入った。すると、豚の群れは崖を下って湖になだれ込み、おぼれ死んだ。この出来事を見た豚飼いたちは逃げ出し、町や村にこのことを知らせた。そこで、人々はその出来事を見ようとしてやって来た。彼らはイエスのところに来ると、悪霊どもを追い出してもらった人が、服を着、正気になってイエスの足もとに座っているのを見て、恐ろしくなった。成り行きを見ていた人たちは、悪霊に取りつかれていた人の救われた次第を人々に知らせた。
               「ルカによる福音書」(第八章三二〜三六)

ドストエフスキー『悪霊1』光文社古典新訳文庫




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