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自ら命を絶たない理由/簡単すぎてキョトンとする話

おはようございます。まいです。


以前の記事で、
「人を無下に消してはいけない理由」のお話をしました。

今日は、逆に私が「自ら命を絶たない理由」
「エゴとお遊び」視点からお話したいと思います。



私の過去の例があり、ややしんどい表現があるので、
道徳的(エゴ)なことは少し横に置いておいて、
「そういう事もあるんだな」くらいでお読みくださいね。




死のうとすると、すごい痛い


私も「ああ、この世から去りたい」と思ったことは、
たくさんあります。

重く重く足が地面に食い込んでいるんじゃないかと思えるほどの重さと、
頭の中がぐちゃぐちゃすぎて、
むしろすっからかんになる感じでした。
なにも見えなくなるんですよね。


なにも考えたくなくて、頭を壁に打ちあてたときは、
自分でもなにをしているかわかりませんでした。
すごく、痛くて気持ちが悪いんですよね(笑)
半年以上、吐き気がして、
かといってなんだか病院に行くのも恥ずかしくて
(こんな時までエゴ発動)、
ひきこもるしかできませんでした。

そんな時にも、生きている意味とか考えて、
自分を否定する、苦しい、の無限ループに陥るんですよね。


…エゴが。
(エゴが苦しんでいるだけなんでね…くそぅ…悔泣)


その時は気づかないのです。
エゴと一体化しているからです。



そう簡単には死なせませんよ


当時の私に言いたいのは、
絶てば楽になるんだから、絶てばよかったんです。

ただ、絶てなかった。というか、絶たせてもらえなかったのです。
エゴによって。

家族が悲しむからとか、残すものがあるからとか、
そもそも死ぬの怖いとか、痛いの嫌だとか、
まだ楽しいことがあるかもしれない…みたいなものまで。

憎き存在になりがちなエゴは、
私を生かしてくれた恩人なのです。

最高かよ

そして、身動きが取れなくなったわたしは
エゴと一体化した自分ごと、放り出して、
奥の自分に投げやったのです。

奥の自分を思い出したわけではないのですが、
奥の自分にまかせたのです。

これが、もうどうにでもなれ!となった瞬間です。
勇気なんていらないです。
「この世を去る」
ことさえ選ばなければ、
助けのサポートが必ず入るんです。
そうできているんです。

任された奥の自分の答えは一つです。
「物語を進め、感情を感じたりして、わいわいキャッキャしたい」

身体は自然に動き出します。
生きる方を絶対に選ぶんです。



エゴ的な理解の仕方ですが、こんな風にとらえる事もできます。


…例えば、命を絶ったとしましょう。
軽く自由な魂に戻るだけです。
可も不可もない、良いも悪いもない魂の世界です。
その世界が面白いかどうかはわかりません。
魂だけの頃の記憶がないんですから、わかりません。

しかし「私、魂の頃の記憶あります!」という方でさえ、
すぐ命を絶っていないということは、
そんなに面白くないんじゃないかな、と、わたしは思っています(笑)
(私の考え方ですよ^^)

物語を進める身体(器)がなくなるということは、そういうことです。
身体から完全に出て行ってしまったら、同じ体には戻れないんです。
道具は持ち主を失うと、いずれ消えてなくなりますから。
(身体はこの世を生きる為、物語を進める為の『乗り物』…というのは、わかりやすいです。エゴを優しく刺激され、大切にたくなる表現ですよね。)

しまった!やっぱり戻りたい!と思っても、遅いんです。だから、


命を自ら断つこと、それは、
「ほんと、もったいない」。それだけです。

はぁ~ もったいないもったいない

今、どんなに大変と思われる状況でも。です。

もし、今、大きく問題だと抱えている方がいたとします。
そこにある問題は本当に問題でしょうか?

絶つ、絶たないで思い悩んだことで生じる感情ですら、
奥の自分にとっては「なにそれ!こんなに重いんだね!すごい!」
と、キャッキャしているだけだとわかってしまったら…

あれ?(笑)って、なりませんか。
(なんか、ちょっと悔しいくらいに…)

(この記事ではどんな状況でも自分で選んでいることについてお話しています↓)


あなたの「目的地」が、軽やかさや安堵感だとしたら、
今の大変だと思える状況さえも…ただの「通過点」なのです。


このお話で、
身体(器)を大切にしたいと感じませんか?(健康)

エゴは悪いものではなくて、
 使い方を選べばいいだけと感じませんか?(思考)

健康や思考の話題に惹かれるのは、人間にプログラミングされているから…と表現されるのも納得できます。
エゴを刺激しやすい内容なんです。
このあたりで悩みを抱えている方は「エゴ探し」「エゴとお遊び」で、エゴとの一体化を解除してほしいのです。

目が覚めるはずです。


「エゴとお遊び」の視点からみると、
自ら命を絶つのは「とにかく、もったいない。」
それらを引き起こしている内容でさえ、
目的(
軽やかさや安堵感)への通過点でしかないのだから。

エゴとお遊び まい


エゴを見つけ「エゴとお遊び」してたら、
ほんとうに軽くなります。
重いところには戻りにくくなってしまいますが、
(家族、友人と話が合わなくなる場合があります(笑)。)


興味のある方はぜひ、お試しくださいね。
軽くなった後は「エゴとお遊び」自体忘れたって、離れたって良いんです。
だって、奥の自分にとっては良いと思われる出来事も、悪いとされる出来事も全部最高で完璧、オッケーなのですから。


誰かを消してはいけない理由はコチラの記事でお話しています↓



以上、「エゴとお遊び」まいの「自ら命を絶たない理由」でした。
最後まで読んでくださりありがとうございました!

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まい |エゴとお遊び 
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