「しあわせ運べるように」を知るすべての人に届けたい。 この歌に込められた想いと記憶について
臼井真先生は、震災が起こる前から、「しあわせを運ぶ天使の歌声合唱団」という子どもが地域の人や学校の先生に歌のプレゼントをする企画をしていた。阪神淡路大震災では、自宅が全壊。代表曲「しあわせ運べるように」は震災の復興を願う歌として神戸市すべての小学生をはじめ、世界各地で歌い継がれ、2021年1月17日より神戸市歌に指定される。これまで小学生のためにオリジナル曲を400曲以上作詞作曲。
あの時震災が起こると思っていましたか。
「全然思っていなかった。」これが、臼井真先生の答えでした。臼井先生は、当時、小学生の早朝練習のために、毎日4時半に起きていました。1階で食事を済ませ、2階に上がって、2、3分たったときに阪神淡路大震災が起こり、1階が2階にすべて押しつぶされました。もし、あと数分階段を上がるのが遅ければ、死んでしまい、歌を作ることもできなかったと語ってくれました。
臼井先生は「あのとき2分前に1階で何かをしていたら、即死だったか、あるいは息はあったが誰にも助けてもらえなかったか・・・。(1階にいたら)自分が死んでいたっていうのはわかってて、それを考えたらもう震えたんですよね、死の時間みたいなこと考えたことなかったんで、だから本当は九死に一生を得たっていう感じでした。」と。だからこそ「亡くなられた方の悔しさもすごくわかった」と仰っていました。この体験があったからこそ、「しあわせ運べるように」という、聴いた人みんなの心に思いが届く歌ができたのかもしれません。
あの歌ができるまで
「しあわせ運べるように」この歌ができた背景には、臼井先生が「子どもの純粋性の力」「歌の人の心を動かす力」を知っていたということが大きく関わってきます。それは、ある音楽会で体験することになります。震災前、夏休みや朝練をして、臼井先生も生徒もお互いが全力で練習していたそうです。本番を迎え、エンディングで臼井先生作詞作曲の「みえない翼」を歌うと、男の子が思い詰まって泣き出してしまい、周りに連鎖して全員が泣いている状態になってしまいました。「子どもって本当に純粋で、感動して泣けるっていうことを知ったんですよね」と臼井先生は仰っています。
その経験がある中で、震災当時、ニュースで三宮が崩壊している姿を見て、突然こみあげてきた思いをメモ帳に書き記してできた曲が「しあわせ運べるように」です。この歌には「子どもたちがしあわせ運ぶ天使の歌声合唱団のプラカードを持って学校の避難所の真ん中で歌う曲っていう確固たるイメージがあったんですよ。大人の自分が歌うんじゃなくて」という想いがあったのだそうです。そして、このような背景、想いがあったからこそ、こどもたちの歌声を通して、阪神・淡路大震災を経験したすべての人の心に強く響く曲になったのです。
しあわせ運べるようにから学んだこと。
それは、「歌の人の心を動かす力、奇跡」だと臼井先生は仰いました。初めて、この歌の力を感じたのは、震災が起きて間もないころ、ボランティアの方にプレゼントとして、この歌を届けたときに、多くの方が涙をこぼしてくれている姿を見たときだったそうです。そして、震災当時、親戚の家で夜に作り、たった一人で歌っていた曲が、震災から1年目にワールド記念ホールで行われた追悼式で5000人がいる中で歌われている映像を見て、この「歌の人の心を動かす力、奇跡」をより実感したそうです。1つの歌に「思い」「願い」「祈り」「決意」など様々な人の気持ちが込められていることに。
このほかにも、上海の万博でスピーチをしたり、海外の国連の方や皇太子天皇陛下、皇族の方もこの歌を歌ってくれていたりと、本当に奇跡のように伝わっていったこの歌の持つ圧倒的な力に、「自分は26年経って今は、後をついていっている状態だ」と仰っていました。現在では、神戸市歌に登録され、この歌が永遠に生き残り続けることを受け、「こういう歌が生き残って、これが私が生き残った意味だったのかな」と思うところもあるそうです。
このように、作者ですらも予期していなかった力がこの歌にはあります。
臼井先生からのメッセージ
臼井先生は、「しあわせ運べるように」が大切に歌われなくなっている現状を危ぶんでいます。神戸の出身じゃないから震災のことを教えることができないという先生や、曲の題名を間違うような先生もいて、歌詞の意味を教え、その一つ一つに思いを込めるように教える先生が減ってきていると感じるそうです。そうではなくて、震災を経験していなくても、学んだことを心に入れて、自分の思いで当時の震災のこと、自分の命を守ることを話すことで相手に伝えることができると仰っていました。
そして、臼井先生は私たち、震災を経験していない世代に向けて、「この曲を聞いたときに、何かを感じてほしい。命のこととか、生きられなかった多くの人がいたんだよということと、自分が生きていることに感謝したりとか、そういう風に思っていくきっかけになる曲としてこれからも感じてほしいと。阪神・淡路大震災の記憶をとどめている曲だと思うので、この曲をどこかで聞いたら、阪神・淡路大震災で亡くなった6434人の人の生きたくても生きられなかった方々の命のことを、思い出してほしい。」というメッセージを送ってくれました。
この歌を震災を経験していない世代へ
私は小学生の時に「しあわせ運べるように」に出会いました。この歌を、震災の日が近づくと、音楽の授業で歌っていましたが、歌の歌詞を意識して歌ってはいませんでした。音楽の先生から、どういう風に教えられたのかは覚えていませんが、上手に真面目に歌うことだけを心掛けていた記憶があります。そして今回、この歌ができるまでの背景や、込められた思いをお聞きし、小学校の時に心を込めて歌えていない自分に何かもどかしさのようなものを感じました。これから先、機会があるのなら、歌詞に込められた意味、6434人に亡くなられた方のことを思い、歌いたいと思います。
こういった後悔を今の小学生、震災を経験していない世代にしてほしくないです。特に、初めてこの歌に出会う小学生に、震災のことや、この歌の歌詞一つ一つの意味を学ばせない、考えさせない、雑に歌う、そんな世の中にはなってほしくないと心から思いました。子どもが考え学ぶことのできる権利を大人が奪ってはいけません。それは、教師でなくても、私たち、震災を経験していない世代にも言えることだと思います。これからの時代、震災を経験していない世代が震災を経験していない世代へ、震災のことを伝える機会が増えてきます。その時に、少なくとも私は、臼井真先生がこの歌に込めた思いを、6434人の亡くなられた方の悲惨な記憶を、周りの友達、家族に伝えていきたいです。そうすることで、震災の記憶の風化を防ぐ手助けができたらいいと思います。そして、この記事を読むことで、一人でも多くの人が自分の命のこと、阪神・淡路大震災を考え直すきっかけになってくれればと思います。
(文:大原 武人)
《臼井真さんのプロフィール》
1960年、兵庫県神戸市東灘区生まれ。神戸市内の小学校で音楽専科経論を務め、2021年3月に定年退職。現在は、神戸親和女子大学で教員として、教師を目指す大学生を指導している。最近では、コープ神戸の創立100年記念ソング「やさしさ つむいで」を作詞作曲した。
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