わたしの本棚141夜~「過渡の詩」
角川書店の月刊誌「俳句」の2021年の12月号に、「必読の俳論1970-2020」という50年間での俳論、この一冊という特集記事がありました。総論含めて、7名の論客の方が素晴らしい文章を執筆されていますが、その中でも総論の澤好摩氏をはじめ、大井恒行氏、黒岩徳将氏が書かれているのが坪内稔典氏の「過渡の詩」と続く「俳句の根拠」です。絶版になっていて読めなかった「過渡の詩」は、今年、松山たかし氏の象の森書房の協力で、電子書籍、紙書籍ともに発行されました。読み終えて、高柳重信氏、大井恒行氏が書かれている「正岡子規によって出立した俳句形式を、過渡の詩と洞察しながら、いわるゆ現代俳句の実情に鋭い批評を加えてやまぬ坪内稔典氏の存在は、戦後三十数年の俳壇史においても、きわめて出色ものである」は同感でした。
☆「過渡の詩」 坪内稔典著 象の森書房 2134円(税込み)
浅学のわたしは、片言を唱える坪内稔典氏のは俳論を、いつものエッセイのような優しい語り口でとらえていましたが、その奥に、その前に、こんな深い思考があったとは、と読んでびっくりしました。松山氏から、各論になっている2章から読み進めていくとわかりやすいですよ、とアドバイスをいただきました。2章は、日野草城、山口誓子、石田波郷、伊丹三樹彦、鈴木六林男、桂信子、藤田湘子、赤尾兜子の各俳人の論であり、個々の俳句にそって論じられるので、なるほど確かにわかりやすいです。この中では、伊丹三樹彦氏の章が、文学との関係にたくさん触れており、好きでした。
1章の、俳句その思想で、「定型詩である俳句は、国家意思による侵蝕という危機を、定型との葛藤として表現にまで高めなければならない」これは、高柳重信氏によると、「俳句形式の名に値するものは、もはや如何なる言葉の流入も流出も許さぬような表現の一回性を獲得し、それがエンドレスに回転してやまないという円環的な言語構造を備えていなければならない」へと置き換わります。読んでいくと、坪内氏がこの本を書かれた1970年代に構造が語りつくされ、その後、多くの俳句が詠まれていき、淘汰されていくのですが、残っているものは、果たして時代の過渡の詩となりえているのだろうか。重厚感あふれ、読んだあと、深い洞察を呼ぶ本でした。
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