わたしの本棚112夜~「桑原武夫と「第二芸術」青空と瓦礫のころ」
言葉は、常に何らかの文脈とともにある。一つの文章の中だけではなく、他の文章や書かれた時代へ、文脈をたどっていくと、言葉は新たな意味を持ち始める。今や「俳句用語」として整理されているかに見える「第二芸術」は、どのような文脈で書かれたのだろうか。
はじめにで著者が述べられている文章です。俳句を学んでいると、戦後の「第二芸術」論争は避けて通れない論考だと思います。著者の鈴木ひろし氏は1957年生まれで、大阪外大卒業後、大阪府立高校教員をされ、俳句グループ「船団」の先輩でもあり、ご恵贈いただきました。帯には、俳人で唯一、桑原武夫学芸賞を受賞された坪内稔典氏が「屈強の相棒を得た気分だ」と書かれています。
☆「桑原武夫と「第二芸術」ー青空と瓦礫のころー」 鈴木ひさし著 創風社出版 1500円+税
「第二芸術」をもう一度、書かれた時代と場所に置きなおし、デユーイ、リチャーズ、アランはもちろん、桑原の言及した芭蕉、三好達治、鶴見俊輔にも文脈をたどり、読み直してみたい、という主旨で書かれた本です。巻末には、桑原が影響受けたデユーイ、リチャーズ、アラン、とともに、桑原武夫、三好達治、鶴見俊輔の年表が、時代背景とともに載せてあり、読んでいくうえで指針になりました。
あとがきによると、桑原武夫氏の「第二芸術」は講談社学芸文庫では20ページ足らずのエッセイだけれど、文脈をたどって調べていくうちに、自身の解釈は原稿用紙約300枚になった、とあります。そして、「第二芸術」の文脈から現れてくる人達(デユーイ等)は、その人生と学問、あるいは芸術と密接な関係にある、と論考されます。これらの人物達の作品や主張にいたるまでに要した時間、労力、葛藤に比べれば、俳句が「安易な創作態度の有力なモデル」と見えても無理はないだろう、と結論づけられます。
桑原武夫氏が学校教育で、特に文学の果たす役割を重視していたことに、注目しておきたい、と、国語教師ならではの視点からの言及があり、「第二芸術」を「国語教育論」として読むのが自然な読み方であると書かれています。もし、タイトルが「第二芸術」ではなく、「国語教育への提言」であったら、俳人たちは、もっと冷静な読み方をしたかもしれないとも。ただし、これほど話題にはならなかったかもしれない、とも。確かに、「第二芸術」というタイトルは、インパクト大きく、俳人たちからの反論の帰着は、このネーミングゆえという意見は、共感でした。
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