25歳の私と26歳
一昨日、26歳になりました。
いつもと記事のテイストは変わりますが、現状を備忘録として、書き記しておきたいと思いました。
知らない人の振り返りなんて見る価値もないと思うかもしれませんが、皆様の人生においても再現性のある内容であると思いますので、一度目を通していただけると幸いです。
まずは25歳をざっくりと振り返り
25歳の一年間を振り返ると、大まかに破壊(10月~2月)→自己嫌悪(2月~4月)→再生(4月~)のような流れでした。
破壊のフェーズでは、体調不良で会社を辞め、一人暮らしを辞め、パートナーともお別れをし、それまで積み上げてきたかりそめの経歴をぶち壊しました。
自己嫌悪のフェーズでは、うまくいかなかったことに対して、自責の念が生まれ始めました。悔しさから学びへの興味が芽生えました。
ここが一番しんどかったけど、今一番役に立っているのは、この期間で全てを受け入れて、自分の足元をしっかりと見て現状を確認し、切り替えて、自分の意思で学びを始めたことだと思います。
再生のフェーズでは、環境と体調を整え、自分の興味がある事を自分が選択して自分で始める事を意識しました。
この当時は教育や体を動かすことに関心がありましたので、まずはアルバイトから始めてみました。
そして、今はありがたいことに教育関係のお仕事にアルバイトで自分のペースで従事しています。
トレーニングは、昨年12月頃から継続してやっていて、少しづつ身体に変化が表れ始めています。
各フェーズでどんな事を意識していたのだろうか
破壊のフェーズでは、療養のため、関東地方の色々なところを観光しました。
そんな中、少しずつ日本文化に興味を持ち始めました。
その当時は、忍者や日本の都市伝説の本を読んでいます。
この頃からビリヤードに興味を持ち始めて、ほぼ毎日練習しました。
破壊のフェーズでは、関心の持てそうなことを手当たり次第に片っ端からやっていきました。
ある程度の興味は各方面に持てるけれども、それをどう形にしたらいいのか分からずに、もがき苦しんでいました。
この頃から社会復帰に意欲はあったのだと思います。
自己嫌悪のフェーズでは、一人暮らしする資金が底をついてきたので、まずは環境を整備しようと考え始めました。そして、転居する準備を始めました。
この時には、なぜだか希望も湧いてくることはありませんでしたが、惰性で引越し準備をしていたことはよく覚えています。
パートナーと離れることも辛いし、会社を辞めたことも情けなくて悔しくて、引っ越し準備もしなくてはならない。
私の人生の中では、きつい時期だったと思います。
3月くらいに渋沢栄一先生の『論語と算盤』を読み、社会で生きていくうえで必要なことと自分の信念について深く考えさせられました。
この頃から自分の意思により、真剣に生きていこうと決意しました。
再生のフェーズでは、引越しをして、今度は自分の足でしっかりと歩いていくことを決めました。
それまでは大事な場面で自分の心に問うことなく、当たり障りのない決断を他者に委ねていました。
ここからは、どんなことがあっても、自分の意思の指す方向へ、忠恕の心を持って、突き進んでいこうと強く思っていました。
これは今でも変わらずに持ち合わせています。
そんな心構えで生活していると、教育業界に携わることが出来ました。
未だ数か月しかこの業界には居ませんが、私は大きな可能性を感じました。
この頃から、学びを通じて積み重ねて経験してきたものが、全て自分を支えていることに気づき始めました。
一番大事なのは社会的地位や身に着けている物や一緒にいる人ではなくて、自分自身の精神であるということ。
これは、学びの実践という鍛錬を経ることにより、誰であっても得ることが出来うるものです。ここに教育の可能性を感じました。
カマキリに学んだ生き方
身体を動かしたかったので、少し遠くまでランニングしに行きました。
その道中で大きめのカマキリとばったり遭遇。
あらかじめ伝えておきますが、私は虫が苦手なんです・・・
でも、疑問に思ったのです。
その苦手なものは、貴方が実際に嫌な体験をしたから苦手なのか?
そんな考えが頭をよぎり、大きめのカマキリを触ってみようと決心します。
私がカマキリに対して敵意を向ければ、カマキリも私に対して敵意を出してくると思ったので、心の中で‘‘仲良くしたいだけだよ。”と伝えた。
震える手を差し出しても、警戒してこちらへ近づいては来ない。
そんなやり取りを30分ほどした後、埒が明かないと思い、意を決して、しっかりとカマキリに対して手を差し伸べてみた。
すると、警戒するそぶりもなく、すんなりと乗ってきてくれて、恐怖心もさほど感じなかった。
この経験から抽象的に思った事が三つある。
①苦手だとか嫌だとか思っていることを克服する楽しさは凄まじい
②成長するチャンスはいつだって至る所に転がっているのに、閉ざしているのは実は自分だった
③苦手だと思ってたことも、ふたを開けたら平気だったり、むしろ得意になったりする
そんなこんなで26歳は、先入観を無視して、やってみる癖をつける。
忘れられないもの
私がまだ会社員になりたての頃、厳しかった上司から「かっこいい男にしてやる」と言われました。
多分上司は、どうにかして私に対してやる気を出させようとしたのでしょう。
会社を去り、考える時間が多くなりましたが、ふとした時に私の頭の中に出てくるのは「かっこいい男」という文字。
上司に言われたからではないけれど、なぜか忘れることはできない。
でも、小さい頃からかっこいい人になりたかったなと思い出させてくれました。
私が思うかっこいい人の像は、まだぼやけていて鮮明には見えていませんが、今の私はその方向へ進んでいることは何となく分かります。
そしてこれからもこの言葉が頭に残っているうちは、かっこいい自分へと近づいていくのでしょう。
最近気がついた自分のこと
私は毎日を出来るだけ同じリズムで生活するように意識しています。
そんな中でも体調に合わせて、やる事を変えてみたり、マンネリ化してきたら新しい事にチャレンジしてみたりと工夫はしていますが・・・
そんなほとんど変わらない日常を過ごしていると、自分の事が段々とわかってきます。というより、ピントが自分にあってきて、自分に些細な変化に気が付くようになります。
この行為をしているときは心地が良いとか、どんな時に喜びを感じるのかとか、不思議と分かってくるのです。最近、ようやくその境地に至りました。
現時点で私が解明した自分の事を書き記しておこうと思います。
・積み上げているという感覚で自信が持てる。
(例:トレーニング、読書、職場での人間関係構築など)
・他者への貢献により、強い幸福感を感じる。
(例:自閉症気味の子供との関わり合う中で次第に子供が明るくなる)
・長めの文章を書くことが出来るようになった。
(毎日、何かしらの学びをnoteへ投稿しているからか、以前よりも文章構成が容易に感じるようになった。)
・傾聴力が向上してきた。
(論語から得た学びの成果だとは思うが、聞き上手と言われるようになった。)
日常における些細なことに対しても、己と対話しながら、向き合ってきた。
そして、自分の成長を素直に喜べる自分がいることに気が付いた。
このような実体験から得る収穫には、時間がかかるし、余裕も必要ではあるのですが、きっと一生ものになるだろう。
読者の皆様へ
いつもお世話になっております。
直接的に読者の皆様へ私からアプローチをしたことはありませんので、この場を借りて、諸々の説明をさせていただきます。
ありがたいことに、執筆活動を始めてからフォロワー様が徐々にではありますが、増えてきています。
ここで一つ伝えたいことは、私が物を書く理由は、お客様の為ではなく、私自身の為であるということです。
これからもそういったスタンスで文章を綴ろうと思います。
そういった中でも、記事を見てくださる方を私は積極的に受け入れていきたいですし、去っていく方がいてもなんとも思いません。
私個人の意見としては、自己活動を通して、皆様に少しでも良い影響があれば、それは大変に嬉しいことだと思っています。
また、一年間の振り返りをしてみて、知らず知らずのうちに自分というのは変わり続けているという事を気づかされました。
皆様も忙しい日々をお過ごしかとは思いますが、定期的に自分の行動や想いを振り返ってみると新しい気づきがあるかもしれませんね。
これからも皆様と共に学び合えることを心よりお祈りしております。