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歴史屋さんとしての私
歌と演劇と歴史を愛するアラサー男子、sky_flatです。
ご覧いただきありがとうございます。
今回は自己紹介第3弾のような感じで、「歴史」をテーマに書いてみます。
歴史を本格的に学ぶきっかけ、そこでの悪戦苦闘、そこで得たものなどなど。
歴史って、ただの暗記科目だと思われがちですが、そうじゃない使い方もあるんだなぁと思っていただける方がいらっしゃればうれしいです。
1.得意科目は歴史
小学校4年生くらいだったろうか、
学校の図書室にある「漫画日本の歴史」や伝記漫画のシリーズを読み漁ったのが、歴史に興味を持った最初の記憶です。
細かい知識を吸収するというよりは、人生の大先輩が夢や希望(野望)をもって目の前の状況を切り開いていく様子にワクワクしていました。
中学生になってもその興味は消えず、暗記が苦にならなかったことも相まって、歴史が得意科目になりました。
得点源にできるから楽しくて勉強時間も増え、さらに力をつけていきました。
この頃は、人の営みとしての歴史というよりも
新しい知識を身につける喜びと、それが点数として評価される喜びを原動力として勉強していた気がします。
2.高校2年生での衝撃
高校2年生になると、選択科目で「日本史B」の学習が始まりました。
この時出会った先生が、私の人生を大きく変えることになります。
その理由は2つ。
1つは、先生が「知識の泉」であったことです。
歴史はもちろんのこと、時事や教養、娯楽ネタを含め、あらゆる知識を蓄えていました。
何を聞いても必ず明確に答えてくれるし、授業を脱線して披露してくれる話が面白くてしょうがないんです。
私は先生の授業に夢中になり、一言も聞き漏らすまいと必死でメモを取るようになりました。
2つめの理由は、先生が郷土史に精通していたからです。
「この辺りは昔、豊前と豊後の国境(くにざかい)で、君たちの通学路から見えるあの山にある山城からお互いに監視してたんだ」
「戦国大名の支配下には国衆というやつらがいて、この辺では○○氏とか○○氏がいた。今も地名に残ってるだろ?」
など、教科書にはまったく書かれていない歴史を教えてくれました。
知識としてではなく、実際に生きた人間の営みとして歴史を身近に感じることができたことは、大きな刺激となりました。
この先生の授業を受けるにつれて、
大学でもっと歴史を勉強したいと考えるようになりました。
3.文学部歴史学コースへの道
日本史を本格的に学べる大学を探し始めた私は、早速壁にぶつかります。
当時の家計事情と履修科目の都合上、
「国公立大学で、数学を使わない受験」という条件が必要だったからです。
結果、AO入試で日本史1科目のみの利用という形態を選び、何とか合格までたどりつくことができました。
大学に入学はしたものの、本番はここからです。
ほぼ漢文のような史料を読み込んだり、古文書を解読したり、調べたことをまとめて発表したりと、悪戦苦闘の日々が始まりました。
自分が好きなテーマならやりやすいんですが、よく分からないものにあたるともう大変です。
発表前日には徹夜で準備し、それでも調べきれずに教授のお叱りを受けたりともうバタバタの日々でした。
しかし今振り返ると、この経験があったこらこそしんどい時に踏ん張ることができるようになったと思います。
学部の4年間はあっという間に過ぎていきました。
だって、合唱団の活動が忙しかったんだもの…
※合唱三昧な学生生活についてはこちらをご覧下さい。
それでも、卒論には真剣に取り組みました。
博多の商人による自治組織を取り上げ、古文書や茶会記を資料として豊臣政権との関わりについて考察しました。
指導教官が同じテーマで論文を書いていたので、自分が手を抜くとすぐにバレます。
逃げようのない環境で同じゼミの仲間と一緒にお互い励ましながら(時に傷を舐め合いながら)必死で研究した時間は、苦しくも充実したものでした。
証拠資料を積み上げて論理を構築していくしていくことに楽しさを覚え、いつしかもっと研究したいと思うようになり、両親に頼み込んで大学院に進学しました。
進学後は、後輩のサポートやら学会運営の事務仕事やらをこなしながら、合間の時間で演習準備を進め、それが終わってから自分の研究を地道にやるという2年間です。
最初の1週間で
「来る場所を間違えた」と思いました。
が、結局必死でやっていると自分のキャパシティが広がるもので、ここでも人のご縁に恵まれて楽しく勉強できました。
4.図らずも教育の世界へ
目の前の大好きなことに夢中で取り組むことしか取り柄のない私は、「就職活動」で大苦戦します。
こういう時、ありがたいことにいつもご縁に助けられて何とかなるのが私の強み?かもしれません。
最終的に、教育の世界でお世話になることになり、大好きな歴史を教えるという仕事をいただきます。
かつて高校の恩師から言われた、
「お前は教育者にはなれない」
という言葉が頭をよぎりましたが、働かない訳にもいきません。
ここでもやはり、キャパの120%の仕事を必死でこなすといういつものパターンです。
能力の不足は時間で補うしかありません。
歌や芝居が大好きなので、即興の演技を取り入れるなどして全力で伝えていると、不思議とファンが少しずつ集まってくるようになりました。
職場はいくつか変わりましたが、最近ようやくこの業界の楽しさがわかってきた気がします。
先生には向いてないって言われたけど、何だかんだで私は教育畑で生きていくんだなぁ。。。と思っています。
おわりに
今回は、歴史屋さんとしての私の過去をまとめてみました。
大好きな歴史を勉強しながらお仕事に励みつつ、ライフワークとして歌の活動にも精一杯取り組んでいきます。
最後までご覧いただきありがとうございました?