富士山

思いっ切って外に出ろ!(富士登山編)

自分の指導を振り返る。Vol.2

教員3年目(12年前)の当時の生徒へ向けたメッセージ。

12年という時の経過は何の変化をもたらしたのか?

 「富士山にでも登るか!」と思い立ったのは、二日酔いの目覚めの悪い朝10時。ちょっとコンビニまで、という感覚と似ていた。頭の回らない状態というのも手伝って、「ありえない」という行動に至ったのだと思う。「ありえない」という行動は、加藤らしさなのかもしれないと最近思う。2年前の「カレー事件」のように…。(興味のある人は加藤まで。)
 思い立ったら行動に移す。これが加藤のモットーである。まずは、アウトドアショップに向かった。準備も、知識も無かったからだ。山ド素人の人間が、今から日帰りで行けるのかを尋ねた。時刻は11:30。「登れますよ。」即答。もっと考えてほしかった。そのときの、体調と精神状態をものともせず、ありえない行動に挑戦しようとしているのに、ショップ店員には普通の出来事のように答えたからだ。悔しさのあまり繰り返し聞いたが、陽気な口調で「大丈夫ですよ。」と念を押された。悔しいという感情は、自分の心の小ささを露呈しただけであった。

器の大きい人間になれ!俺。

 富士山の五号目に到着。時刻は13:30。山頂に着いたのは16:30。すごい!という感情を抱いてもらうために、書いた自分が嫌だ。
 山頂に近付くにつれて、大声で何かを叫んでいる男の存在に気付いた。歩を進めると、テレビカメラが数台設置されている。富士山頂で、取材が行われていたのだ。もう少しで山頂という辺りで、アナウンサー(大声の男)と目が合う。間もなく、5からのカウントダウンがアナウンサーの合図で始まった。山頂までの、私の歩数カウントダウンである。疲労もピーク、足場も悪い富士山において、このカウントダウンは最近の言葉を借りるのであれば「KY」(空気が読めないの頭文字)である。しかし、テレビの取材ということが励みになり、単純な私はリズムを刻み、ゴールと同時にアナウンサーとハイタッチを交わした。我ながら見事なハイテンションであった。孤独に耐え、登り続け、最後にここまでの元気な姿を振舞えた自分に万歳である。後日、テレビ放送を楽しみにしていたが、期待が実ることはなかった。

 アナウンサーから山頂に展望台があるとの情報を仕入れた。出会いに感謝。そこは、見下ろせば雲一面、周りを見渡せば視界を遮るものは何一つない空。

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 感動に浸っていると後ろから女性が現れ、「素敵ですね。」と話しかけられた。私ですか?いや、違いますと言わんばかりに彼女は景色に夢中であったが、運命か?と期待は高まった。日本一高い所で出会うなんてロマンチック!という考えに至るまでに時間はかからなかった。しかし、その感情はすぐに打ち破られた。後ろの方から、男の声がするのである。彼氏であった。突然、カップル間の喧嘩勃発。時刻は17:00。内容は、彼氏が展望台に登るか、否かというものである。彼氏は展望台に登らずに暗くなる前に帰ろうという意見を出す。彼女は、この絶景を見て共に感動を分かち合いたいという意見をだす。彼女優勢であった。なぜならば、展望台まで5秒で上れるし、懐中電灯もしっかり買ってきたそうだ。彼氏は、高所恐怖症なのだろう。高所恐怖症は恥なのか?付き合っているのならば、隠してもしょうがない、オープンでいいじゃないかと老けた考えを抱いた加藤であった。
 

 私の周りには、面白い人が現れ、面白い出来事が起こる。私が、特別な人間であるのではなく、人一倍外に出ている結果、人より確率が高くなっているのであろう。人は色々な考えを与え、事件は色々なことを考えさせる。そのような場を通じて、私は成長していると思う。もっともっと外に出掛けようと思う。
 当然いつでも外に出会いや笑いが転がっている訳ではない。私が外に興味を持ち始めたのは、高校時代に出会った一人の店員さんである。「自由人」という言葉が当てはまる人間で、その自由に生きている様が加藤を魅了し、成長させた。すごいと思う人間との出会いが、何か自分への刺激になっているのに気づいたのである。もっと色々な人に出会い成長したいという感情を抱いたのが始まりである。時には、一人で外に出て、意外な出会いや事柄を体験してもらいたい。そこで自分はどのような感情を抱くのかを大切にし、成長に役立ててほしいものです。



いや~変わってないな~。行動力が!。

ただ言えるのは、現在も継続して行動に移しており、考える幅が比較にならない程成長している。変化を遂げている。

比較するのは他人ではなく、過去の自分

まさにである。

さ~次の12年後は、今の自分に勝っているのかな?


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加藤利光
生徒に還元😁子供に還元😆

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