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支配されることを手放せば、本当の自分に出会える。
昨日1ヶ月の帰省から帰宅し、パキラちゃんから
「主が帰ってきたみたいよ」と声が聞こえた今朝。
久々にカーテンをあけたから、待ちに待った太陽光といった所か。
まさかこんなに長く帰省することになるとは、
予想外だったから、お留守番になってしまったのだ。(夏なら連れて帰ってたけど。)
植物の声が聴こえるようになるって本当なんだな。
夜中もトイレで目が覚める度に、混乱した。
あれ?ここどこ?あ、そっか。自分の家に帰ってきたんだったわ!
もうフリーになった私は、
時間や空間に縛られる生き方をしていない。
だからどこにいても、オンとオフが不明確なくらいにグレーな生き方をしている。
取り急ぎで帰る必要もなく、ただただその日その日をのんびり暮らしていた。
赴くまま起きたい時に起きる、寝たい時に寝る。
その日のスケジュールも特に決めず、ドライブに行きたいと思えばそうする。
そうして車を走らせている時に、チャネリングが始まったり、なんやかんやでその辺に車停めて書き始めたり。
これぞまさしくオンとオフのグレー化。
私の望んでいた生き方でもあった。
長いこと時間と場所にとらわれて生きてきたからこそ、この生き方がとてつもなく開放的なのだ。
時間を会社に売った対価が、毎月定額で得られる収入。
言い換えればどれだけ熱意を持って会社に貢献しようが、それだけの対価。
それはそれで必要な経験ではあったが、もう戻れないだろう。
今の私は、過去1幸せだから。
お金では満たせないものがたくさんあることを
知ってしまった以上、もう社会の決めた枠の中に自分を閉じ込めて生きることは不可能。
昨日自分の自宅に戻ったら、ホッとした。
この1ヶ月も、居心地の良さ、自然の豊かさ、家族の温かさに毎日がほんわかしていた。
いつも寒い中で星空を眺めていた。
子どもの頃からずっと、あてもわからないままに
どこかに帰りたいと思っていたけれど、
もうそんな気持ちにはならなかった。
私には帰る場所がいくつもある。
複数帰る場所があるからこそ、その瞬間にいる場所に幸せを感じられる。
もし帰る場所がひとつしかなかったら、こんな幸福感は得られなかっただろう。
過去の自分では、何事にも目的や根拠がなければ選べなかった。
そこに行く目的が明確で、それを終えたらさっさと次のことに切り替えて、ただただ時間に流されて生きる感覚。
でも先を急かされることもない。
その瞬間その瞬間で、自分のしたいように生きてるだけ。
他者からしたら、そんな1ヶ月も退屈じゃね?と思われるかもしれないが、
全く退屈どころか日々発見だらけで、一度も退屈さを感じることはなかった。
だって私の魂の目的が、親子関係をテーマにしているんだから。
苦しんだ過去が癒やされ、アダルトチルドレンを克服し、やっと子どもとして子どもらしく生きられるようになったのだから。
ドライブしていても昔のような退屈さはそこにない。
追い風が吹けば、私宇宙に応援されてる!
追い風だ!このまま波に乗れってことね。
横風が吹けば、横槍が入ってもブレないくらいに
しっかりと強い自分軸を保たなきゃ!
もうこじつけと言われようがなんだろうが、
その瞬間その瞬間を全てが宇宙からのエールにとらえて生きている自分は、ちょっと面白くもある。
だけど人生において、無駄なことは何ひとつ存在しない。
偶然という概念も存在せず、全ては必然で起きている。
自分は魂の目的に完全に沿って生きていること、
意味のないことはこの世に起きないこと。
その法則を腑に落としてしまったら、何が起きても動揺もしなくなった。
ただただその瞬間に、自分がどう感じたのか?
その感情や感覚だけに目を向ける。
誰がどうとか、何がどうとか、そんなことにさえ意識が向かなくなった。
その代わりに、寿命がくるまでにあと何をする必要があるのか?
悔いなく生きるためには、何をどうしたいのか?
そんなことばかり考え始めた。
そういえばあれほど毎月、有給で寝込むほどだった生理痛もかなり軽くなってきた。
寝込むことなく日常を送れている。
病は気から…それは本当だった。
本人は自覚がないからこそ、潜在意識が体調不良という現象を通して「気づいて!」と必死にサインを出していたのだろう。
体調にも敏感になって、今身体のここがきついわ〜ってそこをほぐすとツボ効果で、
全く関係のない場所が即座に反応する。
10年以上前から東洋医学に関心を持って、かなり研究した。
それも過去にガッツリ西洋医学を学んだ職歴があるからこそ、東洋医学もすんなり受け入れられたのだろう。
もはや健康オタクみたいになりつつあるが。
今は体調を通して、自分の潜在意識やエネルギー状態を自覚するバロメーターになった。
元は小中高12年間皆勤を通すほどの健康体だったのに…と思ったこともあったが、
それは自分の体調不良にさえ気づけないほどに
自己犠牲が度を超える生き方をしていた証なんだと思う。
休まないことが偉いのではない。
自分にそれだけ忍耐を強いてきた。
自分をそれだけ奴隷扱いしてきた。
だけどあの頃は、そうやって自分を守ろうとするしか生きられなかった。
自分を守る?守るなら不登校になってたはずでは?と思われるかもしれないが。
私は自分の心を守るために、そうやって自分に鞭打って、根性論で強く振る舞う生き方しかできなかった。
その根底には、やはり幼いながらに無意識に身につけてしまった思い込み。
子どもにとっては、周囲の大人たちが全て。
大人がいてくれなれけば、自分1人では生きられないことを知っているからこそ。
その大人の機嫌を損ねるわけにはいかなかった。
先生や親に嫌われないように。
いい子でいないと自分は生きていけない。
だからこそ自分の「感情」を感じることを封じ込めた。
私はただ、まわりの大人に認められる生き方をしていれば、なんとか生きていける。
見捨てられたら私1人では生きられないから。
そうやって、自分の心を封じ込め、まわりの大人たちのご機嫌をバロメーターに
常に周囲の他人の顔色を伺う生き方がすっかり習慣付いていった。
無意識に蓄積したその思い込みをベースに、
社会にいかに適応するか?
社会の枠にハマる生き方をする人間が優れているという、「世間の常識」に自分を合わせに行く生き方。
そうして私はある時、適応障害という診断を受け、あれほどバリキャラだったところから一変して、仕事に行けなくなる経験を通じて
真剣に自分の人生と向き合う流れを経て、今に至る。
診断をつけられた時は絶望した。
だけどその経験を通じて思ったのだ。
結局誰も自分を守ってなんかくれない。
自分を守れるのは、自分だけ。
それなのに自分が、自分を奴隷扱いして、味方になってあげないって…もうそれって自分のこと完全に見捨ててる。
自分が自分を見捨てて奴隷扱いしていれば、
その周波数に波動共鳴した人が周りに集まる。
同じように自分を雑に扱う人に囲まれる。
そうやってどれもこれも、良くも悪くも自分が全ての現実を創り、引き寄せ続けていた。
そこに気づくためのキッカケ、起爆剤になったのがツインレイ。もう1人の自分。
ツインレイは、自分の眠らせてしまっていた魂を目覚めさせるための強烈なスイッチ。
身体も感情も完全に麻痺していたところを、
強烈に傷みを通じて覚醒させる存在。
電気ショックのような存在とも言えるかもしれない。
闇と光は常に一体だからこそ、その反対側を知ることで、本当の自分に戻っていく。
本当の自分とは、幼少期から無意識に蓄積されていった思い込みを脱ぎ捨てて、
生まれた時の純粋な魂に戻っていくこと。
本当の自分を知ることは、それまでずっと見ないようにしてきた自分の陰の部分を直視させられることでもある。
だから覚醒のプロセスは傷みを伴うのだ。
世間的にはおかしいと思われるようなことを、
ひとつひとつ受け入れていくことだから。
けれどその先に待ち受けるのは、
誰の支配も受けない。
自分の生きたいように生きること。
ある意味では責任も伴う自由とも言える。
この社会の決めたルールに乗っかって生きていれば、責任からは逃れられる代わりに、自分を捨てなければ生きていけない。
確かにかなり時代も変化し、人類全般が覚醒に進む流れも加速はしているが、
みんながみんなそうしなければいけないわけでもない。
私はもう誰かのご機嫌や顔色を伺う生き方、自己犠牲を伴う生き方には限界だった。
だからそれをやめる道を選択しただけ。
今苦しくない人は、今の生き方を続ければいい。
ただもし今が苦しいのであれば、
それはその苦しみを手放して、本当の自分を取り戻すタイミングが来ている合図。
その苦しさは誰のせいでも何のせいでもない。
ただ自分が自分を、拒絶しているからこそ感じる苦しみ。
その無意識の思い込みを手放すことは、
生きながらにして生まれ変わる経験。
「思考は現実化する」という言葉がある。
その思考の基盤は、幼少期の大人との関わりを通じて作られている。
子どもは大人がいなければ生きられないからこそ、
無意識に自分の心を閉ざして、大人に従順に生きることで生命を守ろうとしてきた。
けれどもう私たちは大人であり、もう周囲の誰かに守ってもらわなくとも生きていける。
大人になるとは年を重ねることではない。
周囲の支配から抜けて、自分で自分を立たせて律していくこと。自立、自律。
(それができていないと自律神経も乱れる。)
私はこれからの人生、同じような苦しみを感じて生きてる人に届くように生きることを決めている。
年齢的には大人でも、誰かや何かに支配されて苦しんでいる大人たち。
年齢は子どもでも、生きづらさを抱えている子たちにも届くように。
支配されて生きることをやめれば、本当の自分に出会える。
本当の自分に早く出会ってあげてほしい。
本当の自分を見つけたい方、ピンと感じた方は
セッションへどうぞ。