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詫びに行く

 ある時、シフトを上がってからお客さんの家を訪れた。その頃自分はパスタ屋の店長で、料理が冷たかったと本部にクレームが入ったのである。
 当該お客さんにお詫びに伺う旨電話をすると、今晩だったら家にいると云う。その対応が終わったら食事に行こうと、バイトを三人ばかり連れて行った。

 当時はまだカーナビが普及する以前で、目的地を道路地図で調べて行っていた。個人宅の細かい住所をよくそんな地図で調べられたものだと感心するけれど、あの時分にはそれしかないのでしようがない。
 運転の際に地図を見ながらというわけにはいかないから、「◯◯の交差点を右、二つ目の交差点を左、またすぐ左」といったようなメモを書き、細かい道に来るとそれを見て確認した。
 この時もそういうメモを作っておいたのを、バイトの小野田に渡した。
「これに道筋が書いてあるから、曲がる所で教えてくれ」
 小野田はそれをまじまじと見て、困ったような顔をした。
「全然わかりません」
 何がわからないものか、わからないと思うからわからないだけで、わかるつもりになればきっとわかる、気持の問題だと云ってやったら、「だって、すぐ左、またすぐ左とか書かれても、どこのことだかわかりませんよ」といよいよ困った顔をする。それを聞いて、大塚と芳本が噴き出した。
 なるほど、そう言われればそうに違いない。書いた当人は地図を見てわかっているけれど、知らない者にそのメモだけを渡して道を辿れと云ったって、それは困難なのに決まっている。
 結局案内させるのは断念し、自分でメモを見ながら行き着いた。

 小野田たちは車で待たせおいて、お客さんの玄関前で丁重にお詫びした。幸い先方はもう怒っておらず、つまらないものですがと食事券を渡すと「これはどうも」と言った。
 それからバイト三人とジョナサンで食事をして帰ったのだけれど、今考えるとどうもおかしい。
 小野田も大塚も芳本も深夜帯のスタッフで、彼らが一緒だったということは閉店後、午前二時を回っていたことになる。そんな時間にお客さんの家へ行くはずがない。
 全体自分はどこへ謝りに行ったものかと思うと、何だか変な心持ちがする。

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