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親のではなく、自分の願いを叶える


心の声を、無視しない。

人から何を言われても、自分の気持ちを優先させる。子供のころ、なりたかったものは何?やりたかったことは何?

習字の先生になりたかった。じゃあならなかったのは、どうして?

親が止めた「習字の先生になりたい」と言ったときに親が「そんなのやらなくていい」と言った、だからやめた。


あ、そうか、親のために習字の先生になろうと思ったんだね。


親のために習字の先生になろうと思って、それで親が「やらなくていい」って言ったのなら、やらなくていいよ。

え、ちがうの?親のために習字の先生になろうと思ったんじゃない、自分がやりたくてなろうと思ったの?

ならやればいいよ。だって自分が、やりたいと思ったんでしょ。


親に反対されたとか、誰かに何か言われたとかで、自分がやりたいと思ったことを、やらないと決めてしまうのはなぜ?

アナタは親のやって欲しいことをやるために、生まれてきたの?他人が好む自分になるために、生きているの?


人が生きる意味、それは

自分を喜ばすため

自分を喜ばす← ここポイント。誰のことでもない、自分のこと


自分のやりたいことが分かるって貴重なこと。やりたいことが分からない、なんて人はいる。けっこういる。周りに少し聞いてみたら、きっと1人はすぐ見つかる。

そんな中、アナタは自分のやりたいことが、分かってる。それをしたら自分が喜ぶってことが、分かってる。

だったらそれは・・・やらないといけないことなんじゃないの?


親が過干渉の場合はとくに、子供を自分の願い通りにしようとするね。でもそれと同時に、子供には幸せになって欲しいとも、願っているはず。

子供自身が幸せを実感して生きるためには、その人が好きなこと、やりたいことをやって生きること。やりたくもないことを、毎日ひたすらやっていたら、魂が腐る。

だから子供が「やりたい」と言い出したことに、親が「やらなくていい」と決めることは、子供に「お前の人生、腐れ」と言っているのと同じこと。

それ、我が子に願っていることではないね、まずはそれを、理解してもらう。

親として、子供が生きる人生に「幸せ」を願うなら、親である自分がではなくて、子供が喜ぶことが何かを知ること。

そして親は、それができるようにサポートすること、応援すること。

それが、子供が幸せに生きること=親が願っていること。


それが理解できたなら、親に反対されたからやらないということが、親の願いを叶えないことだと気づくはず。親不孝なことだと気づくはず。

もし親が、そこを理解できないようなら・・・教えてあげるしかないでしょう。子供であるアナタが、教えてあげる。

分からない人には、分かる人が、教えてあげるもの。学校でもそう、分からない子に、分かる子が教えてあげて、皆で理解を深めていく。


自分を喜ばせないことは罪。自分の心の声を無視して、親や周りが同意してくれないからと自分が自分の気持ちを曲げるのは、自分を生きることに向き合わない、怠慢もいいとこ。

もし、親に教えてあげても、説得を試みても不発に終わる場合には、もう視点を自分に向ける。そして、行動。

自分を喜ばす道を信じ、それに集中し、突き進む。自分を喜ばす道を選んだのなら、例え結果が出なかったとしても、魂は喜んでいるはず。

そんな時間を生きるアナタはきっと、活き活きしている。結果ではなく、その生きる時間を楽しんでいる。そんな姿を、同意してくれなかった人に見せた時、やっと理解してくれるのではないか。

「本当はあれがやりたかった」ことを封印し、なんのために別のことをするの。自分の心の声にフタをして、相手に合わせて生きるために、アナタは生まれてきたの?

行動で示せばいい。幸せに生きている姿を、見せればいい。

幼い頃は可能性に満ち溢れていたはず。好きなこと、やりたいことがすぐにいくつも言えたはず!

心の声に無視を続けていると、本当はあったはずの「やりたいこと」を忘れてしまう。なんだったのかが思い出せなくなる。

そんなことを続けていると、生命力は影を潜め、いつも疲れていて、表情に喜びはなく、できない理由を探す習慣が身につき、行動力がなくなる。

子供の人生は、親とは別。子供のやりたいことが親の考えと違っていて当たり前。

それに親がいちいち口を出していたら、この子は、本当は何が好きで、何がしたくて、何が楽しいのか、探すこともしなくなり、生きる希望さえ見失う。

オモチャ売り場で「なんでも好きなものを選びなさい」と言っておきながら、子供が選んだものに「これ?う〜ん、こっちの方がいいんじゃない?ね?」と結局は親の意思で選んだものをレジへ持っていく。

子供のために良かれと思ってすることだけど、それは親の都合。

こんなことが繰り返されるから、また「なんでも好きなものを選びなさい」と言われても「どうせ選んだってボクの思い通りにはならない。結局は親が決めたものになる」と学習し、無気力になっていく。

好きなもの、得たいものを考えなくなっていく。

そのまま、大人になる。それからやっと、

「アナタの好きなことをやりなさい」

今更そんなこと言われても。




そこを脱出しなければ。

子供も、親に「無理だ」と言われたくらいで諦めるな。リスクを避け、悪いことがおきないように、でもその代わり喜びも発生しない人生を強要されても、従うな。

人は、どこか「変化」することに過敏になるところがあるから、長年慣れ親しんだ環境、状況、思考を変えたくないと、心のどこかで望んでいるものだ。

変わらないでいることは、ラクだから。

今のままでもじゅうぶんだ、幸せだと、変わらなくて良いことを正当化する。そんな催眠術にかけられて生きていると、死ぬ時に後悔が残る。

あれがしてみたかった、こんなこともしてみたかった、と。



やりたいことがやれた、良かった!楽しかった!と喜びの人生を生きるのか、親や周りの気持ちを優先した時間を過ごすのか、それを決めるのは自分自身。

自分の心の声を無視することが、親孝行になるのではない。

奇跡ですら、行動した人の所にしか、起きないのだ。




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