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東京から疎開する #東京疎開 のススメ

30歳を超えてからわかることが増えたはずなのに、自分一人で決められることは減っていた。ブルだのベアだの振り回される事業、目の下にできるクマ。マチアプまわして空振りしても、ターンテーブル回せば忘れられるし、ChatGPTはいつも即レスだった。そうやってバランスを保っていた。

POPYOURSに出てくる若手のヒップホップアーティストが、金や自己実現について真っ直ぐなリリックを歌う時、僕はオンラインから静観していた。

チケットなら価格を見ずに買えるけど、ケチって買ったチケットを握りしめて、フロアで心酔する昔の自分は見えなくなっていた。

街録チャンネルに出れるほど壮絶な人生を送っている訳でもなければ、NewsPicksやReHacQで激論を交わすような権威性も持ち合わせていない。

自分は、それなりの人生をそれなりに送っている一般人だと思う。

そして、ぼくは寝れなくなった。


気づいたら、朝4時まで絶対眠らないマンになった。運動しても、サウナ行っても、整体に行っても寝られなかった。

おやすみ、ラジオで検索したヒーリングラジオみたいなの聞いていたが、気づいたら全部聴き終わってしまっていた。

全ての環境が原因であるように思えたし、他方、一つ一つの問題の重要度と緊急度でいくとそんなに高くないようにも思っていた。

5月10日(金)この村の1日目

15:00この村と校舎

https://www.town.nishiaizu.fukushima.jp/site/nishiaizu-artvillage/

この村には、学校をリノベーションして会議や、芸術展示として使っている古い校舎があり、そこに案内してもらって、飲み物片手に挨拶も足早にこの村についての説明をしてもらった。

4時間くらい色々話してもらった気がしたが、相変わらず不眠状態+移動疲弊だったので、頭がぼーっとしていて、あんまり覚えていない。

ただ、この村で祭りを作ったという話を聞いて、10年くらいやってたらそれっぽくなったというエピソードだけは覚えている。祭って10年やったらそれっぽくなってきて作れるらしい。

18:00この村のご飯屋さん

夜は村のイベントごとがある時だけ開かれるという飲み屋さんにお邪魔した。

そこには、相棒の終わりの方とかに出てくるようなセットと素敵なお姉さんが切り盛りしていて、ご飯をたくさんたべさせてもらった。

よそものの僕は、ご飯をガツガツ食べるの恥ずかしいなと思って、おにぎり3個とお惣菜のプレートみたいなのを食べてあとは我慢してた。

外に出て、ふとタバコに火をつけて夜空を見上げた。完全に夜空ノムコウまで見えていた。綺麗だった。

帰り道にセブンイレブンに寄って、買って帰った牛丼めちゃめちゃ食べた。

現地で食べる、素材そのものを生かした料理もとてもおいしかった。他方、コンビニで買ってきて食う口馴染みの牛丼も特別な味に思えた。

昨日も朝4時まで寝れなかったわけだが、長旅のため爆睡。静寂に体が沈み込んでいくようだった。

5月11日(土) この村の2日目

11:00この村で起床

僕は目覚ましもGoogleカレンダーも使うのをやめていた。もちろんNotionでその日のto do 管理なんてやるわけもやく放棄していた。

ひねる蛇口、浴びるシャワー、寝起きの体を浸すこの村の水は、特別だった。素人でもわかるくらい肌感触がまろやかでキメが細かい。

なんかよくわかんないけど、この頃の僕は、東京でなんかあっても逃げ切れる自信が養われていた。

適当に寝て適当に起きる生活は東京でし飽きてたと思ってた。よりエクセレントな堕落に至るためには、その生活をどこか罪悪感を感じなければならないという、ぼんやりとした無意識的な東京の都市性を引きずらないように、捨て去らないと到達できないんだなと思った。

時間通りに来る電車や、リアルタイムでつながるアプリケーションによる連絡、効率的に設計された都市構造そういったものの利便性を享受するとともに、体感時間の最小単位が、分、秒単位で設計されていたのかもしれない。

こうして僕は無事、安心安全の暇を手に入れることができたため、風呂上がりには、山を一望しながらコーヒーを飲んだ。

昔ひろゆきが、YouTubeショートで、東京のちょっと離れたところに住むと水がうまいから料理してもなんでも美味いみたいなことを言ってたのを思い出して、水道水でコーヒーを入れてみた。

12:00この村で何もしない

このとき僕はもう時間もタスクも全てを捨て去って、次何するかもテキトーだった。迎えにきてもらえるしまあいいかみたいなテキトーさに罪悪感を感じなくくらいには、田舎に適応し始めていた。

何よりリマインドされない、そして自然を無限に見てられるから飽きない。もちろん誰かを慮って配慮をするほど半径に人がいない。

東京だと忙しく、脳がフルオートで回転してるから、充電5%の最新スマホ片手に、次はこれ次はこれ、脳がバックグラウンドで稼働し続けていたし、銀座線や、吉野家、google カレンダーとslack、大手町はそれを許してくれていないようだった。

スマホの中や東京の街には、コンテンツもたくさんあるけど、長時間見るというより短時間勝負のものが多く、視聴、体感耐性が強くないので常に何かを探していた。

とわいえ、この町でもスマホ中毒が消えることはなくTikTokやInstagram、Twitterや、Cryptoチャートなとなんとなく見てみたが、どうでもよくて、すぐ飽きてしまった。

自然は1画角に収まる情報刺激で行くと明らかにコンテンツと呼ばれるものは少ないと思う。でも永遠に見ていられた。

14:00この村の人

お昼は村一番美味しいラーメン屋さんにラーメン食べに行った。漫画のナルト主人公が食ってそうなラーメンだった。

そういえば全然東京で食わないなこの形態のラーメンと思った。久々に食べたラーメンは、凄い美味しく感じた。

だいたい東京にいると、クラブやライブ帰りの渋谷の金伝丸とか道玄坂のマンモスとか、そういう、ラーメンばっかり食べていたから、妙に新鮮で。そしてラーメンとしても旨みが強く美味しかった。

この村の人は、クロージングしてくる。そして、とにかく、お店のおじいちゃんおばあちゃんたちはよく話す。

自分のそろそろ、ここら辺でおいとましますか、のタイミングから10分は喋る。足が遊んじゃって体勢もわかんなくなってくるくらい話す。

そして、この村に移住してください、この村を盛り上げてくださいねという具合に話は締まる。

口裏を合わせているかの如くスタンドアローンで個人個人が、どこの誰かわからないような人に温かく迎え、話し、サービスして、さらに、村への貢献を丁寧にお願いまでする。

この村は、移住者の数が増えている数少ない村だと聞いたが、その理由を納得できるような光景だった。

あとから考えると、ここら辺から、僕の記憶はバグり始めていたのかもしれない。(後述)

16:00この村の川

川綺麗だった。僕は浅瀬でぱちゃぱちゃやってただけだったが楽しかった。上流から大根が流れてきた。そんなことあるんだって思った。僕以外のみんなは、すごい大根でキャッキャしていた。

僕が桃太郎のお婆さんだったら桃拾えないサイドの人間だなと感じながら、STUTSの曲流してテキトーに過ごしていた。

この村には、ファストパスもダイナミックプライシングもない。PayPayが使えないが代わりに、ものを買うとなんかもらえる。ラーメンを食うと惣菜がついてくる。絶景に人はいない。勝手に行ったらどこへでも行ける。

僕たちが普段こねくり回してるマネタイズポイントが行方不明になっていて、ホモエコノミクスなんてこの村にはいないし、お金を使うタイミングがほとんどない。

細かいマネタイズポイントによって享受できる、ちょうどいいサービスも好きだけど、数字に置きかえない、曖昧な中でやり取りされる価値の交換は想像以上に心地よかった。

そして、何より、川上から大根が流れてくる。

19:00この村の夜空

お世話になってる方が企画してくれた焚火大会が執り行われた。

薪を割るところから始まって、僕もやらせてもらった。炭治郎ってスパーンって割ってたイメージあったけど、全く割れず、日頃のジムの成果を感じながら、薪すら割れない僕たちはただただ眺めていた。

頭上では、星の主張が強すぎて、地球に星が張りついでるんじゃないかと思うくらい濃淡がくっきり見えた。地球を覆う空が移動してるだけだから、星がくっきり見えるんだよと説明されていたら、信じてしまっていたかもしれない。天動説。

その後、現地で採れたトマトベースのカレーをみんなで食べて、何かが起こるわけでもない宴は、結局深夜3時くらいまで続いた。

5月12日(日)この村の3日目

13:00この村とNetflix

この日も引き続き爆睡していた。(ほんとは、現地のお蕎麦をみんなで食べにいく予定だったのですが僕が爆睡しすぎて、僕だけ永遠に寝ていました。)そして、この頃には、明らかに顔の色も、肌のツヤも良くなっていた。

魔法の水道水を毎日全身に塗りたくってた甲斐があったのかもしれない。

いつもの如く風呂に入って、シャワーを浴びて、特等席で大自然の中でNetflixをみてみた。

大自然の中で見る映像は特別だった。高級な額縁に当てはまった絵画のような気持ちでスマホを見入った。画面の中のフリーレンは、いつも通りだった。抑揚のない声で仲間たちと旅を続けていた。

15:00この村のカフェ

コーヒーを飲みに村のカフェへ田んぼ見ながら話してたら3時間くらい経ってた。カフェに長居しても誰も止めないし、なんならみんなでしゃべってた。

18:00この村の家

知り合いの子が、この地に馴染みに馴染んで、1人で7LDKくらいの家に住んでいて、ここを改装して宿泊施設にするといって、草を刈ったりなめこを育てるための木を準備したりしていた。

東京でできないこと全部できるなと思って好き勝手な要望を全部言ったら全部できると言っていた。ここにウサギ小屋は無いし、8万払う必要もなかった。

川にサウナ作って、ここに泊まって、DJやって、現地の食材で飯作って食ったら最高に楽しい宿になるなとみんなで談笑するなど。(僕も手伝うつもり)

そしてだだっ広い大きな家の中でポツンと一人、お化けに怯えながら、安心して爆睡していた。

世界は繋がっていっている

僕たちは今後もなんの因果もない他人からの評価を受け続けて、駅を歩いているとよくわかんない他人にぶつかられ、勝手に世代で括られて世代闘争に巻き込まれたり、ポリコレで自分自身を縛って行くし、自分の意見やスタンスを詳しくもないのに、ポジションをとりながら生きている。

そして、今後もずっとストレス発散に刺激中枢の高いジャンクな娯楽を享受して生きて行くんだと思う。

この都市で生きるために、不遇に翻弄されて自分の不幸を嘆いたり、自分のことを大きく見せたり、相手を知るために開口一番MBITをきいたり、いいねのために人生捧げることに関して否定しない。むしろ肯定寄りだと思う。

確かにバズるといいねがたくさんきたりDMで褒められたり、有名人扱いされたり楽しいこともたくさんだ。

傷ついた心身を癒したいという欲望に、東京という都市は敏感で、勝手に自己増殖して、キャンプやサウナみたいな、疲れを癒す術をこれからも増やしつづけていくだろう僕たちはそうやって都市を自己保管して、東京依存になって行くんだと思う。

そうして、都市は似通ってくる。

だからこそ僕は、人間が疲れた時に羽を休める場所があるべきで、それは都市的なアーキテクチャーから離れているところだと思っている。

アメリカの大都市も、東京の都心の商業施設も、中国の繁華街も入ってるテナントはみんな同じだ。慕情で塔が立つわけない。効率都市は全て同じに収斂して行く。

世界は親切だから、学者から素人まで、僕たちが老後にいくら必要かも教えてくれるし、本が読めなくなる理由も教えてくれる。日本の経済の衰退の原因も100通り教えてくれて、おじさんからお金をもらう方法までマニュアル化されてしまう。

村というでかい空洞

この村にきたからと言って、別に明日から農家になる必要もなく、オーガニックにこだわる必要もない。飽きたら変えればいい誰も止めない。

ただただ田舎に行ってセブンイレブンの牛丼を食えばいいし、いいねを集めるために山に登ればいい。

村人全員と仲良くなる必要もなければ、いいところだけかいつまんでエンジョイしたらいい。これからの季節、川の冷たい水に足を浸しながら、Netflixを見るのも最高だ。

僕はこの駄文を最後まで読んでくれたあなたに、シンパシーを感じていて、同じ救いが在らんことを願うので、ぜひお勧めしたい。

僕たちはまともだから、円が下がって資産価値がゴリゴリに減ろうが、月の給与をジリジリ税金で絞られようが、よくわからない他人にクソリプされようが、ファイトクラブを作る気もないし、反体制的な活動に身を投じるほど直情的でもない、狂っていく自分を他人に迷惑かけることなく癒す空洞が必要だと思う。でかい空洞。

東京から疎開する #東京疎開 のススメ

僕はこの村から帰りたくなくなっていた。いつでも、どんな時でもこの村があってほしい。そうすればまたなんかあっても帰って来れる。

このままの形で残っていて、いつ行ってもおんなじ風景がおんなじ人がい続けて欲しかった。

これが地方の根底の熱であり、自分にとっての故郷なんだなと思った。という具合に、勝手な記憶改変をしつつ都市に帰っていくのであった。

このような機会をいただいた、矢部さん、長橋さん、森田くんなど、ありがとうございました。

この村で、プロジェクトを起こしていくために、コラボレーションや、行きたい人を募集しています。

詳細はDMまで

https://twitter.com/0xyoshi1991


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