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【読書トーク#1-2】オリヴァー・サックス『妻を帽子とまちがえた男』後編
脳疾患の診療と神経科学の研究という二刀流の使い手同士による対談。
神崎狛:日本の辺境で古い文献とかを読んでる妖怪。専門は神経心理学。
荒神ヤヤ:アメリカで脳研究してる陽キャ。専門は認知症と画像研究。
今回は神崎狛がプレゼンターとして書籍を紹介する回の後編です。
同内容の音声版も配信中。お好みの形式でどうぞ。
前回までのおさらい
今回の紹介書籍:オリヴァー・サックス『妻を帽子とまちがえた男』
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(書影はAmazon商品ページより)
この記事は書籍紹介の後編です。前編未読の方は以下リンクからどうぞ。
音声版もあります。
数値にすると失われてしまうもの
狛 症例報告ってかなり無味乾燥なんですよね。
ヤヤ そう、本当に無味乾燥。なんか、その人の属人的な要素っていうのが、できる限り排されるようになってるよな。
狛 まさにまさに。現代の症例報告って、本当に人間的なところを削ぎ落として、「何ができて何ができなかったです」「脳のここに異常がありました」って提示することに徹してるんだけど、そういうふうにすると零れ落ちちゃうものをすごく残してるのが、オリヴァー・サックスの良さというか味だなって。その典型的というか、身につまされるエピソードなんだけど、「詩人レベッカ」っていう話がある。
言ってみれば知的障害なんだけど、「本当にこの子は知的に不十分な人間なのか?」みたいな話で。世の中のコンテキストとか、実際の世界の流れ、ナラティブなもの、そういうところから切り離されたテストで、一体何が分かるんでしょうね?って話をしてるんですよ。
私は、われわれのアプローチや評価が、とほうもなく不適切だったことをさとった。それらは、欠陥を見つけるだけで能力を見いだそうとはしないのだ。音楽、物語、演劇のように、それ自体に内在する力で自然に進行していくものこそ必要なのに、それらのテストは、たんにパズルや図表を示すだけなのである。
ヤヤ オリヴァー・サックスのその提言って多重知能理論の人と同じ問題意識だね。確かに「その人にとっての能力」っていうのを、四則演算とか空間認識みたいな「社会に役立ちそうな能力」で図ることの問題意識っていうのは、ガードナーの多重知能理論の主張と相通ずるところがあるね。
狛 確かに似てる。でも結局ガードナーの多重知能理論に基づいた神経心理検査っていうのが臨床に普及したかというとそういうのはないからね。あとテストに関しても書いてるところがあったな。これも身につまされる言い方で、まぁ確かに我々がやってるような臨床的な検査って、「欠陥」と「能力」に人間を分けてるだけだな、と……。
そのときのテストは、すべての神経学や心理学のテストと同じように、欠陥を明らかにするばかりでなく、彼女を分解して欠陥と能力にわけるようにつくられていた
ヤヤ なるほどね。まぁそうだなー、確かに……
狛 一体として現実世界を生きてる「ひとまとまりの人間」的なものっていうのを、出すようにはできてないっていう。これは身につまされた。それで、こういう問題意識だからこそオリヴァー・サックスは一人一人の物語を丁寧に、ナラティブに書いてるんだなっていうのが、象徴されるような話になってると思う。
ヤヤ まぁでも結局その、オリヴァー・サックスが問題視したものっていうのは、今の時代になっても解決されてないね
狛 そうなんです。で、だからこそオリヴァー・サックスって現代の神経科とか精神科の医者でも読んで学ぶべきものがあるなって思った。
ヤヤ そうね。
狛 この本の中は難しい話も入ってるし、観念論的な話もしてるんで、単なる症例集としてライトに読めないところもあるんだけど、医者だけじゃなくて、むしろ哲学に興味ある人とかも是非読んでほしいって思う。
ヤヤ 確かにね。認知哲学とか。
狛 そう、認知哲学とか心の哲学とか。哲学の人たちって、やっぱりどうしても、健康で、平均的な大衆よりも知的な人間をベースに、頭の中だけで考えてるじゃないですか。
神経学は「記憶というのは我々の実存のどんな部分を支えてるんだろう」とか、「現実性(リアリティ)っていうものが、私たちの人格に与えている影響ってどうなんだろう」っていうところを、思考実験ではできないところまで、すごくありありと見せてくれるじゃん。そういうところがすごく面白いんですよね。
ヤヤ そうね、確かに実際にあった症例だもんな。
狛 哲学のね、「もしこうだったら」みたいな思考実験からも学ぶべきものはあるんだけど、そういう人たちがこういう「現実」に触れると、もうちょっと刺激されるところってあるんじゃないかなと思うんです。
ヤヤ ただ、哲学の人がこういう症例に触れるのって、結局コンプライアンスとかの面で難しくなってくるから、そうなると哲学の考え方や素養を持った臨床医が増えないと解決できなさそうな問題ではあるよね。
狛 まぁガチでやるならね。でも「教養として」とか「考え方の引き出しとして」っていう意味では、基礎研究とか人文学の人たちにこういう手記みたいなものを読んでもらうと、ちょっと考えの幅が広がるかなって思った。
ヤヤ ああ、確かにね。そういう意味ではオリヴァー・サックスは本当に克明に記録してくれてるからありがたいね。
狛 リアルなんだよね、やっぱり。むしろ今の時代だとここまでリアルなものを書けないんじゃないかと思う。かなりガッチリ患者から同意とか得ないと。
ヤヤ 本当にね。
狛 まあ当時どこまで同意を取ったのか分かんないけどね……
ヤヤ ないでしょ、多分当時
狛 ないんじゃないかなーって思うし、でもオリヴァー・サックスさんの患者との関係構築の緊密さを見てると、むしろガッチリ患者からも「書いてください」ぐらいの勢いで言われてる可能性もあるなーと。
ヤヤ あぁ、まぁそれはあるだろうね。
狛 なんか信頼関係すごいんだよね。てか普通に患者の家行ったりしてるしね。
ヤヤ そういうのいいねーなんか。
狛 そういう意味でも、やっぱりちょっと時代的だよね。
臨床医学とミステリー
ヤヤ ちょっと話それるけど、患者の家行くタイプの症例報告って結構好きで。
狛 分かる。
ヤヤ 今でもたまに出てくる。救急に何かの食中毒になったおばあさんが来て入院させたら、翌日おじいさんも食中毒になって来て、ほんで色々食べ物を聞いてったら「これや」ってなったんで、若手を連れて家に行って庭を掘り返したらチョウセンアサガオを見つけたっていう。
狛 すげー(笑)
ヤヤ その行動力よ。入院患者の家に行って庭を掘り返すっていう
狛 ドクターハウスっていうアメリカのドラマだと、有鉤条虫かなんかの証拠を抑えるために患者の家まで行って冷蔵庫を開けてたりしてたな。
ヤヤ あー確かにドラマとかだったらね。やっぱりなんか、フィールドワークじゃないけどさ、病院の外で証拠を突き止めに行くのって、探偵っぽくてちょっと憧れるね。
狛 まぁそこまで行かなくても、家族とかに診察室の外の状況を聞くとかっていうのも良いよね。というか、そういう発想が生まれるところに面白さがあるよね。
ヤヤ そうね、患者の「肉体以外」を見る必要があって、それを見ることがヒントになるのって、やっぱり神経疾患診療の醍醐味でもあるね。例えばその人が着てる服がボタンなのかボタンじゃないのかとか、紐靴か紐靴じゃないかとか、それで巧緻運動障害とか分かることがあるし。靴の裏を見て擦り減り方に違いがないかとか。その辺って、ちょっとなんか探偵らしさがあって、診察の中の好きな時間でもある。そういう問診でバシッと決める楽しさっていうのは、追体験しようと思ったらオリヴァー・サックスを読むのが良い方法かもしれないね。
狛 そうだね。この「なんか変だぞ」っていうところから鑑別を広げるっていうのがね。まぁ、オリヴァー・サックスは必ずしも診断に至ってないこともあるんですけど。
ヤヤ そうなんだ
狛 「こういう顛末で、こういうふうになって、なんかおかしくなった人がいます」みたいなプレゼンテーションで終わってることもある。ちゃんと「脳波でてんかん捕まえました」とかって、答えが出てるのもあるんだけど。
ヤヤ なんか意外。そういう診断つかなくてもちゃんと本にする、誠実さというか、大胆さというか。
狛 まぁこれ医学論文じゃないからね。あとは時代柄もあって、具体的に「こういうエピソードがあってこういう人がこういうふうに生きてます」っていうところに優位性とか意義があったのかな。教科書じゃないからね。
「妻を帽子とまちがえた男」の病名は?
狛 「現代的に見るとこれって診断つくんじゃないの?」みたいな話がたまにあって、専門家的にはそういう意味でもちょっと面白いんだけど。
ヤヤ 例えばどんなの?
狛 この題名にもなってる「妻を帽子とまちがえた男」なんですけど、たぶん「posterior cortical atrpophy(後部大脳皮質萎縮症)」の腹側型じゃないかなって思うんだよね。「posterior cortical atrpophy」っていうのは、変性疾患で脳の後方を中心に障害が出て、視知覚障害とかが出てくるっていう病気。アルツハイマー病が大半を占めてて、ここ30年くらいで疾患概念が確立されてきたんですけど。一応アルツハイマー病の診断ガイドラインなんかにも、「atypical Alzheimer disease (アルツハイマー病非典型例)」っていう枠組みでちょっと紹介されてます。
で、この「妻を帽子とまちがえた男」は、おそらく中年以降で、緩徐進行性で、ただ視知覚以外の認知機能は保たれていて、運動機能障害はない。特に腹側の視知覚経路がかなり損傷されていて、「物体の対象物認知」と、あと「人物の顔の同定」がかなり苦手になってる。でね、これもすごく面白いことが書いてある。
はっきりとうまく言えないが、前にいる私に注意をはらっているのは耳であって、眼ではない。彼の眼は、私を注視していない。ふつう相手を見るときのような眼つきではないのだ。その視線は、つぎつぎと移って、私の鼻に向けられたり、右の耳へいったり、顎へおりたり、右の眼にいったりする。私の顔の各部分をじっと見つめるけれど、顔を全体として把握することはしていないし、表情をくみとろうとする様子もなかった。
ヤヤ ほー、なるほどね。
狛 これは相貌認知の障害と視覚性注意の障害が両方重なってるわけなんだけど、この題名になってるのは何かっていうと、「じゃあどうもお邪魔しました」って出ていく時に、帽子を掴んで自分の頭に乗せようとして、目の前にあった奥さんの頭を掴んじゃったっていう。
ヤヤ 本人は掴んだ後に感触で間違いに気づくのかな?
狛 多分気付いたと思う。あ、でも手袋は実物を触っても分からなかったって書いてあるから、視覚以外も完全ではないのかもしれないけど。
バラの花は、最初に渡した時には幾何学図形のように見て、
「約三センチありますね。ぐるぐると丸く巻いている赤いもので、緑の線状のものがついている」
ヤヤ 面白いねパーツパーツはちゃんと認識できてるんだ
狛 そう、これは視覚失認でいうと「統合型視覚失認」って呼んでるやつだと思う。で、匂いを嗅ぐともうパッと「これはバラだ!」って分かるんですって。
ヤヤ じゃあ本当に視覚情報の統合だけができなくて、概念は残ってるし、理解もできる。ただ視覚からのインプットだけができないんだ。
狛 そう。これはかなり純粋な視覚失認だと思う。おそらくね、この経過からすると、今だったらposterior cortical atrophyの腹側型って言われるような症例だと思うんですけど、まぁそういう診断は付いてないし、この時代なんで画像も撮ってはいない。ただ、こういうふうに記述だけで病巣が分かっちゃうぐらい細かい症例報告も多い。
ヤヤ いいねー。それぐらい、診断に必要な情報が全部残ってるわけやな。
狛 そう。だから専門家的にも面白いし、もちろん一般向けの本なんで一般の人が読んで「脳の異常でこういう不思議な現象が起こるんだ」っていうのを知るだけでも十分に面白い。
ヤヤ しかもそれをちゃんと読み物として成立させとるわけやからな。なかなか真似できへんね。
オリヴァー・サックスとコナン・ドイル
狛 オリヴァー・サックスさんもね、最近出してる本なんかは、こういう症例のことを克明に綴ったやつよりも、ちょっとエッセイ調になってたりするんですよね。
ヤヤ え、オリヴァー・サックスって今も本出してんの?
狛 えっとね……多分これが最新刊かな。『意識の川をゆく: 脳神経科医が探る「心」の起源』っていう本が2018年に出てる。
ヤヤ あ、たぶんね、それもしかしたらちょっと途中まで読んだかもしれん。なんかタイトルに見覚えある気がする。
狛 本人は2015年に死んでるから、この2018年は翻訳版が2018年に出たってやつで、これが最後の本みたい。まぁやっぱ20世紀の人だなぁ……あ、でも1933年生まれだから、今生きてても92か。ワンチャン今生きてた可能性あるな。
ヤヤ まぁ生きててもおかしくない年齢ではあるんよね。
狛 2015年に死んでるということは、オリヴァー・サックスの本、読もうと思えば翻訳版は全部読めるぐらいの冊数ですね多分。一応私は『レナードの朝』と、この『妻を帽子とまちがえた男』と、あと『火星の人類学者』と『音楽嗜好症』と『見てしまう人びと』は読んだな。
ヤヤ 確かに、意外とこれは全部読めそうな量やな
狛 読めるし、全部読むだけの面白さはあると思う。
ヤヤ なんか、絶対神経じゃなさそうな本が何個か混じってるな。『メキシコに広がるシダの楽園』とかさ、絶対神経じゃなく趣味の本なんだろうなって。
狛 なんかそういうとこもいいよね。すごい人生を楽しんでる感がある。
ヤヤ コナン・ドイルのなんか歴史小説みたいなやつやな。
狛 (笑) でもまぁコナン・ドイルもまず医者だからね、あれで。
ヤヤ あの人そうなんだ。へー。
狛 医者成分はワトソンに投影してるのかなーとも思うけど、それこそさっき言ったような、「病歴とかから探りを入れて傍証を~」みたいな、ああいう探偵小説的な考え方って、「探偵小説っぽい」というより、逆に「コナン・ドイルが臨床推論的な考え方を取り入れた」のかなって。
ヤヤ あー、なるほどね。まぁ言ったら今のいろんな推理小説ってホームズの影響と無縁でいられないから、今の探偵モノ自体が臨床推論のやり方から始まってる
狛 っていう可能性は十分あると思う。ホームズに、初対面の人と握手したらその手から職業を当てられるみたいな話があったんだけど、ああいうのってめっちゃ医者の診察っぽいよなと思った。
ヤヤ 確かにそうね、手を見たら「お、Split Handあるな」とか思うもんね。
狛 身体的特徴から、それを生んでる原因を想定して、状態を推測するっていう。
ヤヤ コナン・ドイルの全作品読破は、相当本気のファンじゃないとしんどいけど、オリヴァー・サックス全巻はまぁいけそうやな。しかも全部日本語訳が出てるな。
狛 全部かは分かんないけど、まぁ代表作はほぼ全部訳されてる。で、Kindleにも入ってる。
ヤヤ そして何冊かは「本のウィキペディアページ」まである。
狛 これね、だから「脳に興味があって、でも臨床医学系はちょっと苦手で」みたいな人は、サックスさんから入るといいかなって。意外と色んな疾患とか症候を網羅してるから、「あぁ、オリヴァー・サックスがあの本に書いてたアレね」みたいなの結構あるんですよね。
ヤヤ オリヴァー・サックス。確かにこれは良いな。
狛 というわけで、今日はオリヴァー・サックスさんの『妻を帽子とまちがえた男』を紹介しました。
ヤヤ ありがとうございます
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(書影はAmazon商品ページより)