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「大きな事を成し遂げたい」方へ-佐々井上人からのヒント

「インパクトあることを成し遂げたい」
「何か大きなことを実現したい」

そんなご相談を頂く機会がある時に、お話させて頂くのが、自分の師匠である佐々井上人の生き様です。
それがひとつのヒントになるかもと、ご紹介させて頂いております。

佐々井秀嶺上人(90)は日本で出家したのち、仏教発祥のインドへ単身わたり、現地での壮絶な差別や貧困であえぐ人々の現実を知り、言葉も分からぬところから、仏教を通し「学び、団結し、自身の人生に闘う」ことで新たな生き方を呼びかけ、約60年にわたり人々の生き様に向き合い続けていらっしゃいます。

仏教は約2500年前にインドで始まりましたが、12世紀にはインドにてほぼ潰え、佐々井上人が約60年前にインドに渡った時には数十万人ほどしか仏教徒がいなかったそうです。
ですが、現在のインドでは、仏教徒が1億5千万人にまで劇的に広がっていると言われています。

そして、佐々井上人がいらっしゃるナーグプルという街も、以前は差別と貧困にあえぎ治安も悪かったそうですが、いまや教育レベルも高く治安も安定した街へと生まれ変わっています。

他のインドの街と比べても、朝早くから外の掃除をしている人も多く、挨拶も多くの方がしてくださり、「頑張って勉強し、外資でエンジニアで働けるようになって、おばあちゃんのために家を建ててあげたんだ」といった美談が(文字通り)ゴロゴロある、そんな素晴らしい街になっている。

一つの街だけではなく多くの人達の生き様を変えてきている。

これは、とてつもなく大きな「事業」だと思っております。

ですが、佐々井上人がやっていらっしゃることは、この60年近く、変わらず「ただ、目の前の一人ひとりに向き合い、仏法を説いて、生き方を導いてきた」

決して「大きな事を成し遂げよう」とか、1億5千万人という規模も、目標にされたものではなく、結果にすぎません。

本当に価値を感じてもらえることをし続けていたら、結果として規模がついてきた。

ここに大きなヒントがあるのだと思うのです。

何かを成し遂げようとする時には、数字の目標を設けるほうがよいとされています。

自分も、それは「手段」としては効果的だと思います。

ダイエットしたいなら体重計に毎日のって数字でチェックするように、自身の状態を知ることが、自分の改善への機会につながる。

そして、多くの人の生き方を善き方向に変えたり、勇気を与えたり、「大きな事を成し遂げたい」という目標を掲げることも、自分を成長させるモチベーションとしても効果的だと思います。

ですが、時に「大きな事を成し遂げる」ことが目的になることがある。
そのために数字の規模そのものが目的になることがある。

規模、といった数字の大きさは、「自身を測る」手段でしかないのに、手段の数字が目的にすり替わると、時に「我がまま」になるものではないだろうか。

「我が国」「我が社」「我が家族」「我こそが」と、自分(たち)ばかりの利益を求めて、周りの人たちの取り分までをも手にしようと躍起になってしまいはないだろうか。(自分の前世の反省です)

でも、本来「大きな何か」は、多くの人の支持があって成り立つべきものではないだろうか。
周りの人が手にできるかもしれないものまで「自分こそ」手にしようと伸ばした先に、本当に「大きな何か」は生まれうるのだろうか。

そう感じるのです。

とはいえ、人の世はそんなにキレイではない。
時に「憎まれっ子世に憚る」ように見えることもあるでしょう。

「我こそが」と、周囲を顧みずに幅を利かせているヒトが、社会的に「良い」とされる地位にいたり、権力や富を手にしているように見えることもあるでしょう。

でも、自分は思うのです。

他人様は他人の人生を生きるけれど、自分は自分の人生しか生きられない。
自分は、どう生きたいのか。と。

自分は、できれば、人様を肘で押しのけて自分こそと生きるのは、前世でさんざんやってきて、もうこれ以上はできるだけ避けて生きていきたい。

それでも、自覚なしにそうしてしまうことはあるでしょう。なにせ、他の生命を食事として頂いてしか生き続けられないのが、生き物としての定めゆえに。
生きるだけで「我がまま」なのはさがなのですし。

でも、できれば、周りの人が悲しんだりイヤな顔をする生き方をするよりも、幸せそうな顔を作れるように生きていきたい。

それは、ボクのワガママでしょう。

人それぞれの、「我がまま」があるものでしょう。

規模を目的にすることが悪いとは言いません。
でも、世間が「規模が拡大することこそ良い」と言っていたとしても、自分がそうである必要はない。

だって、人それぞれの「我が道」があるものだから。
だって、それぞれが自分の人生しか生きられないのだから。

でも、だからこそ、自分が自分の生き方を大事にしたものだから、

他人の生き方を損なわないように生きるのが大事なのではと。

「大きい事を成し遂げたい」ことは、素晴らしい志と思います。

でも、「大きい事」には、多くの人が関わるのでは。
多くの人の「我が道」「生き方」が関わることでは。

だからそこ、規模だけではなく、その「中身」が大切になるのではないでしょうか。

ただ人様に飯を食わして頂くだけの生き方の無職のハゲアタマにすぎませんが、今日もお付き合いくださり有難うございます。

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龍光ブログ
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