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「バカにされる」のがイヤなときには
2500年前のブッダ曰く
「自分が自分を愛しいように、他人にとっても、それぞれの自己が愛しい」
"わたし"が「周りからどう思われているか」と、"自己のこと"を気にかけているように、他人もそれぞれ"自己のこと"をに気をかけている。
だから、他人からみたら、"自己のこと"ではない"わたし"に対して、さほど注目しているわけではない(自己ばかり注目している)。
現代の心理学の言葉でいうと「スポットライト効果」というものでしょうか。
「我々は、他人が自分のことにスポットをあてて観ていると思いがちだが、実はそれほど周りから注目をされてない」
結局、「"わたし"への評価」を気にしているのは、"わたし"だけかもしれない。
周りは、それぞれ自分の人生に向き合うことに、忙しいのだ。
だから、「周りからどう思われているか」など、気にせず生きれば良い。
自身の中に、自信を持って進めるだけの、信念や、哲学や、勇気を築いていけばよい。
そうすれば、周りからの評価に、さほど振り回されなくなるもの。
それが正論…。
…では、あるけど…。
…でも、どうしても、気になってしまう…。
周りからの評価が、怖い…。
そんなときもあるものでしょう。
まだ自分の中に、軸となる信念や勇気が育ってない時こそ、自信が沸き起こってこない時こそ、「バカにされたら…」と、気になってしまうものでしょう。
「失敗した」と思われたくない。
バカと思われるのは避けたい。
これは、集団でないと生き延びることが難しい我々の、「周りから捨てられたくない」防衛本能なのでしょう。
とはいえ「自信を持て!勇気を持て!」とアタマに伝えても、自信や勇気は、アタマから沸き起こるものでもない。
そんな時に、どうしたらよいか。
いつもの「早起き、散歩、挨拶、掃除」はお勧めですが、時間はかかる変化です。
すぐに、なら、ひとまずガハハと言ってみるという方法もありますが、
このブログでは、ちょっと違う「アタマ」からのアプローチの対処法です。
それは…。
「自分まるみせ劇場化」です。
自分を、ステージの上にのぼらせて、たくさんの観客の前で、
スポットライトをバンバンあたった状態をイメージしてみる。
想像上で、劇場のステージで思いっきりスポットを浴びて「まるみせ」な"じぶん"の状態をイメージしてみる。
大切なのは、「そのステージを観ている観客席の自分をイメージしてみる」ことです。
ステージ上に立ってスポットライトを浴びているのは、いわば、「自分が客席から観ている"じぶんというもの"」。
なので、ステージ上の、その"じぶん"がズッコけても、セリフをとちっても、自分がやらかしたのではないのだから、大丈夫。
暖かく見守ってあげればよい。
さらに効果的なのは、イメージ上の観客席には、自分が小さい頃、自分を見守ってくれていた人を座らせてみる。
おじいちゃんやおばあちゃんや、昔飼っていたペットなど。
みんな、自分といっしょに、時にハラハラしながらも、でも「頑張れ〜」って、応援しながら、ステージ上の"じぶん"を見守ってくれている。
そんなイメージを、アタマで考えてみては、いかがでしょうか。
前世で、自分は何か大きなチャレンジをする際や、そのチャレンジの途中で心が折れそうな時に、こんな妄想劇場を、一人脳内で繰り広げることで、随分救われた経験があります。
端的にいうと、自己というものを、自分(自我)から切り離した客観視をしてみることなのですが、「自分がどう観られているか」が気になって仕方がないなら、すでに集まっている自分への「注目」を、脳内で具現化してしまう、というやり方です。
重ねてですが、大切なのは、実際の「自分」は観客席に座り、他のみんな(とくに大切なひと)と見守ってみるイメージです。
もしかしたら、見守っている人は、劇場の席ではなく、雲の上からステージを覗いてくれている姿のイメージをもってみてもいいかもしれません。
「自分を観ている周りの目」が、いわば妄想や錯覚かもしれないのですから、その様子を劇場化して、妄想に味付けをしてみる感じでしょうか。
ご興味があれば、お試しくださいませ。
もしよろしければ、感想など頂けたら有り難いです。
今日もお付き合いくださり、有難うございました。
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