ドグラ・マグラ[上](1976)
作:夢野久作
評価:★★★★☆
日本三大奇書の一冊とだけあり、内容は一朝一夕では理解しがたいものだった。
この作品を初めて読んだのは大学2年か3年のころだった。その時は序盤で早々に心が折れた。
そこから7年ほど経った今、ようやく上巻を読み切ることができた。
読み切ったと言うだけで、内容がしっかりと自分の中に落ち着いたかと言えば自信がない。
そんな茫漠とした頭の中にも、印象に残った部分が一つある。
「われわれの全身三十兆の細胞は、かようにして、流れまわっている赤血球、白血球から、固い骨や毛髪の突端に到るまでも、我々が感じている意識の内容をソックリそのままの意識内容を、その一粒一粒ごとに、同時に感じ合って、意識し合っているのだ。(p213)」
この辺りは、自分が鬱病を患ったからこそ響くものがあったと思う。
頭と体が別になってしまう経験。
それを療養の中で一つに統合していく経験があったので、この文章に一種のありがたみを感じた。
一方で、胎児の夢(p233)部では、疑問に思うこともあった。
「……進化の程度の低い動物の胎生の時間が、割合に短いのは、そんな動物の進化の思い出が比較的簡単だからである。……だから元始以来、何らの進化も遂げていない下等微生物になると全然「胎児の夢」をもたない。祖先そのままの姿で一瞬の間に分裂、繁殖して行くという理由も、ここにおいてたやすく首肯されるはずである。(p257)」
胎児の夢あたりは、非常に感傷的に、聴く者の心に訴えるような表現が多いと感じた。
少なくとも、論理的ではないと感じた。
そのような内容にしては下等微生物の進化の過程を否定するような一文に多少の疑問を持った。
なぜに彼らは進化しなかったのか、分裂のみを繁殖としたのか、そこも尊重されても良いはずなのに、違うのか。
まあそこは論旨とは外れるのだろう…と確かめようのない疑問は忘れようとするしかなかった。
皆さんはどう思うか。