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注文の多い料理店(1996)
作:宮沢賢治
評価:★★★★★
宮沢賢治の短編集。全部で9作の童話が収録されている文庫本を読んだ。
この間、ふと昔からずっと有名な作者の小説も読んでみたいという気になって、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を読んでみてから、すっかり彼の作る話が好きになってしまった。
彼の作る話ももちろんだが、特に言葉選びや比喩表現がとても好きになった。
透き通るような、きらめくような、うっとりするような言葉遣い。
もう少し例えるならば、長い時間山道を登ってへとへとなときに見つけた、つめたい湧き水のような言葉たち。
ようやく見つけた水を嬉しさのあまりごくごく飲んでしまいたいけれど、
もったいなくて少しずつ飲むような感じで、読んだ。
今回読んだ『注文の多い料理店』にも、「これだよこれ!」となる表現が多くみられて、とても満足だった。
まだまだ宮沢賢治ビギナーな私ではあるが、『セロ弾きのゴーシュ』や詩集なども絶対に読もうと思う。
烏の北斗七星、水仙月の四日
この2作に共通してときめいた表現が「桃」の表現だ。
私が個人的に桃が好きなので、より心に響いた。
桃の果汁(しる)のような陽の光は、まず山の雪いっぱいに注ぎ、それからだんだん下に流れて、ついにはそこらいちめん、雪の中に白(しろ)百合の花を咲かせました。
この一文は、『烏の北斗七星』内にある表現だ。
まず私は、日光が「桃の果汁(しる)」に見えたことがない。
その初めの11文字を読んだだけでもう驚きを隠せなかった。
日光を桃の果汁に例え、その先も「注ぎ」、「流れて」など、液体に使われる表現を重ねることで、私はその日光はまるで桃のネクターのようにやわらかくとろっとした光なんだろうなと想像を膨らませた。
ギラギラのお日様がお登りになりました。今朝は青みがかって一そう立派です。日光は桃色にいっぱいに流れました。
こちらは、『水仙月の四日』内にある一文だ。
これもまた「桃」の表現が使われている。
ただし、その前に対立するような「ギラギラ」「青み」という言葉がある。
どういった意図なのか推し量るための知識がなく難しいが、物語の舞台は冬なため、冬の太陽のいろいろな顔を表現しているのだろうか、と想像した。
確かに、冬に晴れた日の太陽は、空気が澄んできらめいて見え、朝ならば澄んだ青空に青く映るかもしれない。そして冬は太陽が遠いから、日光は柔らかく降り注ぐかもしれない。
という解釈は少し贔屓しすぎだろうか。
山男の四月
この作品は今回の短編集の中で一番好きな作品だ。
なんといってもこの山男の心の中でつぶやかれる言葉が、山男という属性とはギャップがあってかわいらしいのだ。
同じようにこの作品を好きと思う方が居てくれたら私はとてもうれしい。
(ぜんたい雲というものは、風のぐあいで、行ったり来たりぽかっと無くなってみたり、俄かにまたでてきたりするもんだ。そこで雲助とこういうのだ。)
この文章は、山男が日当たりのよい芝の上に寝ころびながらぼんやり考えていることの内容だ。
どうだ、かわいらしいとは思わないだろうか。
雲について考え、「雲助」というあだ名を考える山男である。
(あのいぼのある赤い脚のまがりぐあいは、ほんとうにりっぱだ。群役所の技手(ぎて)の、乗馬ずぼんをはいた足よりまだりっぱだ。こういうものが、海の底の青いくらいところを、大きく眼をあいてはっているのはじっさいえらい。)
今度は、山男が町へ訪れた際に見つけた、魚屋のゆで章魚(たこ)についての回想だ。
私はもしや山男=宮沢賢治なのではないかとすら思った。
並外れた想像力がないと、章魚をえらいとは思わない。
私はここの文章がこの本の中で一番好きだ。たこはえらい。
以上が、今回読んだ短編集の中で特に感想を持った部分である。
すでに持っている『銀河鉄道の夜』についても、もう一度読み直して感想をまとめたいと思った。
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