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十月の読書小記録
ひとつきに読んだ本のなかから3冊を選んで、力を抜いてみじかい感想を残していきます。
積極的なネタバレはしませんが、未読の方はご自身の判断でどうぞ。
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🎡十月の三冊
マリはすてきじゃない魔女/柚木麻子
「わたしはグウェンダリンにはすてきな魔女より、しあわせな魔女になってほしいの。だって、わたしのたいせつな妻だもの」
食いしんぼうでおしゃれが大好きな魔女・マリと、ふたりのママ、算数が得意なスジと魔女に憧れるレイをはじめとする「石の花町」のみんなの物語。マリたち魔女は人の役に立つ「すてきな魔女」を目指せと言われるけど……?
この物語の舞台「石の花町」は日本に暮らす現代の私たちからするとかなり"進んで"いる。
おうちやごはん、着るものがちゃんとあって、だれもがタダで学校にいけること。 どんな理由があっても、だれかにいじわるをしたり、暴力をふるうことはゆるされな いこと。自然や資源をみんなでたいせつに守らなくてはいけないこと。肌やひとみの色がちがうからといって差別しないこと。女の人同士、男の人同士が結婚できること。生まれたときにわりあてられた性別がつらい人は、無理をしたまま決められた性別で生きなくてもいいこと。
いま、石の花町ではごく当たりまえになっていることはみんな、はるかむかし、当時は「数が少ない」とされてきた人たちがそれぞれ勇気を出して戦って、変えてきた結果なんだそうです。
そんな石の花町で「すてきな魔女」たちはその魔法を人助けのために使いながら人間と共に暮らしている。まるで理想郷のように見えるけれど、主人公のマリは「すてきな魔女」に疑問を持つ。
自分のために魔法を使うのは悪いことなのか?魔女として生まれたからにはみんな「すてき」にならないといけないの?
このマリの気づきは私たちの社会にもそのままつながってくると思う。たとえば私は「DIVA」と呼ばれるような女性アーティストたちが好きで、その強さとかっこよさに女として何度もエンパワーメントされてきた。一方で実際の私はDIVAとは程遠い。心身ともに超タフ!とは言い難く、ビジュアルや言動が特にかっこいいわけでもない。どちらかというと女性の負のステレオタイプを体現してしまっている部分が大きく、そこに負い目を感じることもあった。かっこよくなければ女性として尊重されない、わけがないのに。
これは女性に限った話ではなく、マイノリティはさらに苛烈に、いつも「すてきさ」を求められる。品行方正で知的、あるいは面白く、かつマジョリティを脅かさない──そういう条件を満たして初めて存在が認められるような空気がこの社会にはある。あたりまえの権利を持ち、ひとりの人間として尊重されることに条件が必要というのはおかしすぎるのに、社会はあくまで「私たちは多様性を尊重していますよ」という顔をしている。「すてきさ」を求められる者たちの傷から目を逸らして。
柚月麻子さんは大好きな作家のひとりなので、初児童文学と聞いてかなり期待していたが、期待以上だったのでとてもうれしい。
キャラクターもとても魅力的で、自分と重ねられるような人物を探してみるのも楽しいかもしれない。私が特に好きだったのは算数が得意な親友のひとり・スジ。知性で壁を超えるタイプのキャラクターにはいつもしびれてしまう!自分と重ねるためには勉強量が圧倒的に不足しているけど、それは今後の私に期待。
今読めてよかった、と強く感じた作品なので、ぜひ色々な年代の人に読んでほしい。もし子どものころに読めていたら、大袈裟ではなく宝物になる一冊だと思う。 (長く書きすぎちゃった)
私の胸は小さすぎる/谷川俊太郎
あなたがまだこの世にいなかったころ
私もまだこの世にいなかったけれど
私たちはいっしょに嗅いだ
曇り空を稲妻が走ったときの空気の匂いを
そして知ったのだ
いつか突然に私たちの出会う日がくると
この世の何の変哲もない街角で
谷川俊太郎の恋愛詩と恋愛論がたっぷり楽しめる一冊。
この本を読む前、谷川俊太郎は(というか詩人は)ロマンチストなのだと思っていた。上で引用した詩「未生」にも、運命論的な考え方が流石の表現で綴られている。生まれる前に「曇り空を稲妻が走ったときの空気の匂いを」いっしょに嗅いで、そしてこの先やってくる運命を劇的に悟る──記憶はないけれど、私も生まれる前にこんなに美しい体験をしていたとしたらどんなに素敵だろう!
しかし詩と詩の間に挟まれた恋愛論で谷川俊太郎は運命神話を否定している。
運命の人とある日ばったり街角で出会うという神話を私は信じません。運命の人は手間隙かけて自分でつくっていくものだと思う。
私は作家の作品外でのことばや思想を聞くのが好きなタイプなので、こういう現実とロマンの折り合いのつけ方、みたいなところに面白さを感じた。
ロマンを大切に抱きながら現実と向き合っていく、ということができるのか。それは私にとってかなり、目指したい境地かもしれない。
35歳からの反抗期入門/碇雪恵
もしかしたら、家庭を持っている彼女の方が自由なのかもしれない。誰といても自分の振る舞いたいように振舞えることの方が、私がひとりで頑なに守ろうとしている自由よりも、もっと自由なのかもしれない。
2019年から2022年まで、「遅れてきた反抗期」の日々を綴ったブログ記事をまとめたすてきな一冊。ZINEをたくさん扱っている本屋さんで出会って購入!
物事の捉え方や自分自身に感じる問題意識にかなり自分と重なる部分があって、とても面白く読み進めた。
人と距離を詰めたいけれど、一方的に近づかれるのはこわい。
好きな人には好かれたいが、他人から女としての査定はされたくない。
周囲から浮きたくないし、社会の物差しで測られたくもない。
このあたりはまさに今私が思い、悩んでいることそのものだ。
ひとから見ればわがままに思われるかもしれないけれどどれも手放したくない切実なもので、とはいえ手は二本しかないからあわあわ……としている。あと10年以上経ってもこういう状態が続くのかと思うと、絶望と同時になぜか少しほっとする気持ちが入り乱れる。もうゆるく覚悟を決めて、もがきながらやっていくしかないのかも。
また、映画の感想もとても興味深かった。
特に『花束みたいな恋をした』へ感じた違和感についての文章はウンウン頷きながら読んだ。
だけど思い返して見れば、『花束みたいな恋をした』を映画館で観た数年前の私はかなり手放しに作品を称賛していた。そういえば映画や小説、はたまたこの世界の様々な出来事に対して、なんか変だぞと思ったり怒ったりできるようになったのはいつからだろう。フィクションはフィクションとして純粋に楽しんだほうがいいのに、という声があるのもわかるけれど、私は怒れる自分のほうが好きだ、と思う。あー、こういう気持ちも忘れないうちにもっと残しておかなくては!
「書きたい」という思いが高まる一冊だった。
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秋は四季で一番好きな季節!
本やスイーツを冬眠前の熊か?というくらい買ってしまう。百歩譲って本は取っておけるけどスイーツはこの秋・最新の脂肪にしかならないのに……。
とはいえ年々短くなっている気がする秋のために、はしゃけるところははしゃぎ倒したい。
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![汐見りら](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/29617291/profile_32423d9d37f3fc0b008725d57b36373c.jpg?width=600&crop=1:1,smart)