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誰かへのアドバイスは、自分への自戒でもあったみたい
2日前の夜、ライターという肩書きでイベントに登壇した。毎日noteを書いていることを知ってくださっている方がいて、嬉しかった。
「毎日書かれてますが、ネタがない日はどうしてますか?」と質問をいただいたので、自分の経験を振り返る。意気揚々と「ネタがないってことをネタにします!」とお答えさせていただきました。
そして今noteを書いているこの瞬間、たった2日後の今日、まさかネタがない日が来るなんて。張り切ってお話していた当時の私には想像もできなかっただろう。なんて恥ずかしい。と思いつつ「ですよね、ネタないですよね」とちょっと薄々気づいていたのも事実で。
余白のない生活はアンテナが折れるのでネタに気付けない
最近の私、なんか余裕ない。
あれもこれもといろんなことをはじめすぎたのかもしれない。いいことなんだけど、心の余裕が明らかに減ってきている。エネルギーゲージが“ぶーっぶーっ”て危機感を煽るような感じになっている。(私の頭の中で鳴り響いている妄想ゲージです)
こういうときにnoteを書くネタがなくなるのは、今までの経験上予想できたなとも思う。
noteに生かされている私、noteが心のバロメーター
心に余裕がないと、目の前のことに精一杯になる。自分の心に注目する瞬間が減る。同じような日常を過ごしていても、心が動く瞬間がまるで減るのだ。
私のnoteのネタ探しアンテナが、折れていたことに気づく。
そうなると、日常のなかでネタに気づくことができないし、いざnoteを書こう!と思ってアプリを開いても、心が躍らないんです。
アンテナがない日常によって、私の心の余裕のなさに気づく。つまり、私はnoteで心の尺度を測っていて、noteに生かされている類の人間なのかもしれない。ということにも気づく。
どんな人間やねんと思う。不思議な人間だなあと思う。それが私らしい。「ぱん」という名前でnoteという街に住む、1人の住人らしい。
noteの住人、編集画面を見つめて思う「この白色って…?」
話がかなり逸れてしまいました。
かなり遠回りしたけど、まとめると今の私の脳内には書きたいネタがなく、ネタを探す余裕もなかったようです。そんな状態でも習慣化されたnote、とりあえずアプリの編集画面を開いた。
真っ白のエディタがただの画面にしか見えなくなる。楽しく書けるときは、すらすらとキーボードに指を滑らせているのに。真っ白の編集画面が、白色であるなんて意識にも目を向けず夢中になって書けるのに。
ぼーっとnoteの編集画面を見ていると「この白は200種類あるうちのどの白色?」と、アンミカさんのようなことを考え出した。危険です。
でも不思議とアプリを開けば「ちょっと書こうかな」から始まり、こうやって一応記事にはなってそうで。私もよくわかってないけど、記事の書き始めってこれくらい“ふら〜っ”としててもいいらしいよ。力を込めて書くのもええけど、毎日続けるならほそぼそとやるのがええんかもね(多分)
誰かへのアドバイスは自分への自戒なのかも
私にも「ネタがない1日」がある。人へアドバイスをした身の私も、偉そうに言えるもんじゃないなと。
誰かにアドバイスをすることで気づく、私も当事者の1人であることを。noteで記事を書く1人のクリエイターであり、同じ悩みに直面することを。
だから、経験をもとに誰かにアドバイスをしたとしても、その言葉は自分にいつか返ってくるんだということを覚えておこう。
(ネタないとか言いつつ結局ここまで書いてしまった。すごく楽しく書かせていただきました。書き切った後の爽快感がたまらん。完全にnoteに生かされている民なのです)
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