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ハラスメント問題のその後

今回は私が適応障害になった後の会社でのお話です。原因は以前別記事をあげています(①〜 ③まであり)。貼っておきます。

私はハラスメントで一度訴えられたことがある。夢にも思わなかった加害者側。もちろん、私にも非はあるが、ハラハラ(業務上必要な指摘をハラスメントとして訴えること)だった気もする。周囲は労基に駆け込んだ方がいいと言った。でも鬱になった私にはその時間も気力も体力もなかった。

皆、いい人だった。ただ、無知で過去の負の遺産が大きく、私も未熟だっただけだ。

会社には代表が2人いた。創設者と私の直上司。創設者はより多くの仕事が出来る私の残留を希望した。直上司は優しい人で、どっちにも残って欲しいと言っていた。

私は部下にも直上司にも申し訳ない気持ちでいっぱいになった。2人は知識が全然ないのでトンチンカンで失敗ばかりではあったが、私がいない状況で協力し、楽しそうに仕事をしていた。2人の顔を見ると吐く。2人は私がいなければ仕事がやりやすいのではないか。部下は私には直接意見出来ないから、不満があれば上司の代表経由で聞き、陰口のように聞こえる。つい先週まで一緒にプライベートでご飯に行っていた子が、だ。

私は創業期からの決算修正というイレギュラー業務を終え、本来の業務である総務課長(ハラスメントを訴えてきた部下へのマネジメント)ができなかった。私が鬱になったことで、私の上司にも最後のトドメを刺し、彼も鬱になったと風の噂で聞いた。申し訳なくて、申し訳なくて。大きすぎる負の遺産、私の直上司を非難する声は多かった。それでも、彼の業務量は多かったし、私はとても尊敬していたのだ。彼と仕事が出来て楽しかった。それなのに。仕事を楽しんでいたのに、抜け殻になった私を見て壊れたことだろう。本当にごめんなさい。

私が休職から戻ったタイミングで、上場準備もあり、創設者の代表は会長として事実上引退した。外部から新たに代表を迎え入れ、私の直上司は副代表になった。新たな代表になった外部の方にとって、私のハラスメント問題は心底どうでもよく、早く解決したかったことだろう。私と副代表を天秤にかけ、彼を優先するのは当たり前だ。そのような会社の対応だった。

身を粉にして働いた結果がありったけの賞与でもなく、視力低下や睡眠障害などだけが手元に残ったのは笑える。それでも、今傷病手当も頂きながら休み、多くの恵まれた出会いがあったのは人生の財産だ。

上司と部下のことは忘れるように努めている。私は過去のいじめもかなり引きずった。心から許すことができればいいのだけど、それが出来るかはわからない。他部署の人たちは当時、かなり私を心配してくれたので、その人たちのことをたまに思い出す。最後に挨拶が出来なかった。

鬱になる可能性も、ハラスメント加害者になる可能性も誰にだってある。私は優秀なプレイヤーとして身に余る評価を頂いていた。マネジメントが初めてで、壊滅的にできなかったのだ。先日読んだ下記のようなマネジメントの本、もっと早く読んでいれば良かったな。

今後のことはまだわからない。不安な気持ちもある。派遣で超大手に行き、マネジメントの手本となるような人を見てみたい気もする。全然別の仕事を始めてもいいかなとも思う。1年休んだ私を肯定するために、ゆっくりと生きていく。


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