【遠距離介護】切ないけど母が選んだことだから…
だまされて施設に入れられた⁈
10月の半ば、母のいる九州に、娘と行ってきた。本当なら帰省と書くところだけれど、実家には立ち寄ることもできなかった。だって私は鍵を持っていないから。
父の仏壇に手を合わせることもできない。この話はまた今度。
母から電話があった。混乱して怒ってる。
場所はどうやら施設からだった。
「だまされて施設に入れられた。絶対に許さない」
母は近くにいる親族のことをなじっていた。
とても汚い言葉で。
私は、母がショートステイを繋ぎながら、そのまま施設に入居することになるという事すら聞かされていなかったから、混乱した母の電話に驚いて言った。
「だからお母さん、今のままなら施設に入ることになるよって言ったやん」そう言っても母の耳には入らない。
ただただ怒るだけ怒って、一方的に電話は切られた。 ガチャン!
とても気になったが、電話口で「充電器がないからあまり話せない」
と言っていた。
そして「充電器も取り上げられた」とも言っていた
そんなことある?
日にちを開けて電話をしてみると、母は親族の名前をあげて
「○○ちゃん、いつ連れて帰ってくれるの?いつ迎えに来てくれるの?」
と死にそうな声で言った。
唸り声のように聞こえて、切ない。
私は次女で、その名前の親族ではない事をいくら伝えても
「○○ちゃん、いつ迎えに来てくれるの?」と繰り返していた。
混乱して、せん妄になってる。切なくて胸が張り裂けそうだった。
その後も、母は電話のたびにころころ変わった。
話が通じるときは少なくて、たまに通じても、すぐに電話は切られた。
「こうやって認知症は進むんだ…」とぼんやり思った。
あまりに私がしょげ返っているのを見かねて、娘が直接、施設に連絡を取った。
コロナアケ対策と元々ショートステイ利用の方の面会はないということで面会時間は15分。
15分で何が話せる? ずいぶん気が重かったが、それでも私たちは九州に向かうことにした。
お母さんに会って、もう一度ちゃんと話をしないと…。
本人の同意も得ず、ショートステイから、なし崩し的に施設入居? お母さんは、自分の人生を、自分で選ばなくていいの? 私はずっとそれを思っていた。
順番を重んじる母
母は車いすにちょこんと座って表れた。
前回会ったときは、病院のベッドの上だった。
あれほど「歩けるようにリハビリをしてほしい」と頼んだのに、
母は小さくなってこじんまりと車いすに乗っていた。
その時のケアマネは、「歩けるようになるわけないじゃん」と決めたいるのが私にはわかった。「だから私の所に来てリハビリしようって、もう一回歩こうって言ったのに」
「お母さん‼」
私は、その後の「歩けなくなっちゃって…」の言葉は飲み込んだ。
母は終始ニコニコしていてご機嫌だった。
話もよく通じたし、認知症なんて微塵も感じないぐらい、しっかりとしていた。
でも肝心の「大阪に行こう。私お母さんと暮らしたいねん。もう一回歩けるようにリハビリしようよ」と言い出すと
「大阪にはいきません。なぜなら順番を違えたらへそを曲げる人がいる。それはダメだからです。そして、お母さんはご先祖様を守らないといけませんから」と理路整然と答える。
順番というのは次女の私の意見は二番目ということ。
それも一理あるよ。
それでも私が誘い続けると「もうその話をするなら部屋に帰ります」という始末。
娘と私は、15分から延長してくれた面会時間を、大阪に誘うために使うことをあきらめて、楽しく会話することにシフトチェンジしていた。
「ママ。おばあちゃんに、これ以上大阪の話やめよ」娘の心の声が聞こえた。
私は心の中で「お母さん! お母さん! 一回だけ私の言うことを聞いて!大阪で一緒に暮らそう。リハビリしよう」と叫び続けていた。
でもせっかく会えたのに、母を怒らせることはできないと、それ以上口に出すことはできなかった。以前に歩けるようにしてくれる、ディサービスの小冊子を送ったことも、なぜ歩けるようになるのかを、長々手紙に書いて送ったことも、なんか全て全てむなしくなった。
「京ちゃん、お母さんはなほんとは京ちゃんと暮らしたいんで。だけどそれはずっといっちゃんの介護をしていた京ちゃんが、あまりにもかわいそうすぎる。だからお母さんの最後の愛やと思って、もう誘わんで…」母の目の奥がそう言っていた。18年間、重度障碍者になった夫の介護をしている娘が不憫でならないのだ。自分まで転がり込んだら、娘はつぶれてしまうと思っているのだ。それでも私は心の中で叫び続けた。
「お母さん、お母さんはほんまにそれでええの?歩けないままでええの?どんどん認知が低下していっていいの?」
全員が同じ方向を向いていた異様な光景
延長してくれた面会時間が終わり、母はショートステイのホールへ吸い込まれていく。
自動ドアが開いた。
そこには全員が同じ方向、テレビの方向を向いているお年寄りが、整列していた。誰も動かない。
テレビを見ているのか?後ろ姿だけではその表情はわからない。
誰一人動かずただボーっと同じ方向を向いている人たちの中に
母は吸い込まれていった
あの光景が目から離れない
あんなに韓国ドラマが好きだったのに、母は、いつからか、もうテレビを見ることはなくなっていた。一方的な情報を、キャッチできる力がないのかもしれない。
そこに吸い込まれた、車いすに乗った母の後ろ姿が切なくて
思い出すたび涙が出る。
でも私には何もできない。
近くにいる親族が母をだまして、施設に入れたように、私も母をだまして、大阪に連れてくることはできないのか?そんなことを考える日々…
前にアドバイスしてくれた人の言葉がよぎった。
ボタンを掛け違うとスタートからつまずく
多くのそんなご家族を見てきたからこそ、ちゃんと納得して来てもらって
介護をスタートしないと、
壊れた信頼関係から構築しないといけない
それは容易ではない。
その言葉がまさしく母の「騙された」って言葉になるんだ。
私、遠くても、毎日お母さんが、安全で安心して過ごせることを祈ってる。
少しでも笑える時間が多いことを祈ってる。
今、私にできることはそう祈るだけ。
そして、自分と、重度障碍者のオットの老後は、
2人の子供たちがそのことで仲たがいしないように、
しっかりと「こうしてほしいと」と伝えておかないといけないと思う