最近、瞑想の時間を変えてみました。
15分→10分へ
実は、
わたしの中で
この5分で負担が軽減したのです。
たった5分なのだけど、
1/4→1/6という
わたしの心の中の分量の違い。
10分なら取れるけど
15分はちょぃと長い。
ゆるふわっと生きたいはずの
わたしの思考の偏りに
ふと気が付いたのでした!
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出来ないことを
努力して頑張って
出来るようになった人から見て
いつの間にか出来ている人や
そこを頑張らずに
なんとかしようとする人たちが
苛々の材料になることがあります。
そんな時の感情は
どう受け止めたら良いのかを
考える機会がありました。
そんなとき…思い出すのは
息子氏のことばです
「努力してるって
言ってるウチは
未だ頑張ってないんやで。」
これ、結構深い!
本当にやりたいことがあるなら
他のことを見たり考えたり
ウダウダ言わずに
やっちゃってる↑
ってことらしい。
つまり、
人がなんと言おうと
勝手にやってしまうから
苛々することもないって
ことなのだそう。
だから
「頑張らない」とか
「好きなことしかしない」とか
言い切っちゃってたんだな〜って
改めて気が付きました!
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やりたいことをやらずに
モヤモヤしているくらいなら
やりながら考える派のわたし。
人から見た成果を
気にすることも
確かに大切なことだけども
それだけを
全てにしてしまうことも
またちょっと違う気がして
しかもそれを
楽しんでやっている
ウチは良いけど
そこに「義務とか犠牲」とかを
感じるようになったのなら
もぉーーーーっと
緩めてあげた方が良いのかな?
って思った訳です。
5分の差で
心がざわつくなら
5分短くすれば良いやん!
っていうことに気が付きました。
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瞑想の時間に関しては
自分の習慣のことだけど、
人の感情や思いに対しても
同じようなことが
言えるような気がして
わたしの中の当たり前は
相手にとって
当たり前だとは限らないし
わたしは
自分以外の誰かに
なれる訳でもないから
ほいっ!って
手放すというより
その人を信じて
その人任せにしてみる
その間、
わたしはウダウダ考えずに
その人の選択を聞いてから
それから考えて、
楽しそうだったり
良さげだったりすれば
検討の台に載せればいい!
このウダウダは
5分の短縮した時間と
似てる気がしたんです♪
わたしは超絶我儘なのに
私の周辺には
仕事も、プライベートでは特に
美しいひとが
集まってくださいます。
私の美しさの基準は
構造的なものではなく
佇まいです。
その佇まいは
年齢を重ねる毎に
洗練されて行かれる方々ばかり。
それは
わたしが少しずつ
この5分の塩梅を
選択してきた結果なのだろうな
と思いましたし、
手放すことも又、
その方を信頼することの一つ
なのかもしれないなと思うのです。
他人軸ではなく
自分基準で生きて行くこと。
その居心地の良さの中で
笑顔の選択をしながら
自分を表現して行く。
その一つに
このnoteっていう
場があることに感謝です。
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昨日、オーダーでお願いした、
joetmさんのピアスが届きました。
このレースの佇まいも又、
作ってくれた彼女の想いと
美しさがもたらしてくれたもの。
5分を切り捨てることで
集まった時間を使い
又、素敵な時間が持てました♡
Mahalo nui loa♪