ギリシャ神話の水の妖精ウンディーネの物語は、1800年代以降、小説にオペラにクラシック音楽に…と、ジャンルを越えて芸術家達のモチーフになり続けて来たらしい 私も漫画家·山岸凉子の短編『ウンディーネ』を持っている アンデルセン童話の人魚姫も、ウンディーネがモデルになっているそう おそらく西洋の人々にとっては、日本人にとってかぐや姫が月から来た宇宙人ってことと同じくらい、常識なのだろう ウンディーネは人間を愛し、そして不幸な道を辿る… だからクリスティアン・ペッツォルト監
話題の『ジャンク ヘッド』をやっとこさ観た カルト! めっちゃカルト!! もう、すっごいカルト!!! 私はカルト映画に甘い カルトを作る人は変な人だ 変な人じゃなきゃ作れない (堀貴秀監督ごめんなさい) んでもって、私は変な人が好きなのだ! だいたいカルト作品なんて物は、私には理解不能だ そもそも理解しようと思っちゃいけない だからワケ解んないけど、カルトを作る人は凄い人なのである 素晴らしいレビューは、人気の書き手さんに任せて、私は「ワケわかんないけど凄いよねー」っ
二十歳の頃、1本の映画に恋をした その恋しい相手にはその後1度も会えず、恋心だけを残して記憶は薄れて行った その映画がデジタルリマスター版で復活 F市のKシネマで掛かるという 1回だけの上映 しかも夜 勿論、そんなことは構わない 昔好きだった男の子に同窓会で会う気分 二十歳の頃のように愛せるかしら? 主役が佐野史郎なのすら忘れてた 微かに覚えているのは、淡いピンク色の花びらが降りしきるなか、パラソルを差しひとり佇む女性の姿 着物は橙色か蜜柑色 手を差し伸べ、桜の花びら
ついに観ました 『シークレット・ヴォイス』に続いてカルロス・ベルムト監督作品 どんだけ毒気作品かと、期待…いやいや、恐れつつ観たけど『シークレット・ヴォイス』程、毒気を楽しむ作品ではなかった この作品は「負の連鎖」が容赦なくこれでもかと続いていく怖~い作品である なんだって、こんなに悪いことが起こるのか? 次から次へと悪い方、悪い方に話が連なっていく 監督、相当にねじ曲がった性格なんじゃない⁉️ それを夢中で観る私はもっとねじねじに曲がりくねった性格⁉️ 始まりは病気の少
下北沢にはタバコがよく似合う 高校生の頃、仲良し5,6人で放課後に下北へよく行ったわ わざわざ学校から数駅離れた下北に行くのは喫茶店でタバコを吸うため 男の子達はタバコとコーヒー 女の子達はアイスミルクティー 因みに喫茶店は「サ店」 アイスミルクティーは「アイミティー」と呼んでた これ、80年代の話 歳、バレたな ネタはばらさないよ 『街の上で』を観た時、はじめは80年代を描いているのかと思ったの だって、みんなタバコを吸っているんだもん 昨今の若い子は「タバコなんてダサ
ぱっつん前髪…チコちゃん⁉️ いやいや、年齢を考えたら、チコちゃんより、インパクト強い しかもチコちゃんはまっすぐだけど、リラはラウンド型だ❗️ などと、おふざけを言ってはいけない この髪型、実は結構重要 「ぱっつん」がではなく、インパクトが強いことが 中毒性のある映画だ 良く練られた、でも毒気のあるストーリー 計算された美しい、でも毒気のある映像 映画サークル仲間のA子さん カルロス・ベルムト監督を推しまくり! A子さんの期待に答え、ストリーミングで鑑賞 凄い!毒に当た
私は自分の本棚を人に見られるのが苦手 子供の頃はお友達が遊びに来る度に、大事な本を隠したりした 本棚はその人を写す鏡だから 麦くんのような人に出会えていたら、本棚をそのまま見せていただろうな 若い頃の私は、思えばいつでも麦くんを探してた 白馬に乗っていなくていい 絹ちゃんと麦くんが出会ったM駅で、K王線に乗って現れてもいいわ 何なら、40年前はよくM駅前に出没していた、ちんどん屋さんの最後尾のチラシを配る人でもいい(おじいさんだったけど😅) 観る映画が同じ 読む本が同じ
シャーロットは愛してくれる人を求め、メアリーは慈しむ相手を欲した 荒々しい波の絶えない海岸 薄寒いグレーの空 幾重にも連なる地層が剥き出しの岩肌 それがイギリスの海辺の原風景か 2人の出会った場所だ さらさらと白い砂のように涼やかなシャーロットが、頑ななメアリーを少しずつ少しずつ解いていく メアリーはいつ笑顔を見せるだろう 解けるスピードはとても遅い それでも少しずつ少しずつメアリーの表情は変わってくる 2人が愛を交わしあい、今度こそメアリーの笑顔が見られるだろう で
彗星の如く赤い唇の彼女が現れた… って、シャアか⁉️ シャアは唇は赤くないぞ 軍服とモビルスーツが特注の赤 こういう事を言うと勘違いされるのだが、私はアニメは観ない 私のアニメは『風の谷のナウシカ』で止まったし ガンダムは一作目で終わった …じゃなくて『エヴァ』である 何故に彗星かって言うと、全く何の情報も無いままいきなりチラシが映画館に出回って、来月から上映です…だったから コロナでハリウッドの大作が延期、延期、ずーーっと延期 スカヨハの『ブラック・ウィドウ』が
1930年代 世界大恐慌の真っ只中 テキサスの荒れ果てた広大な土地 南の国境の向こう側は、太陽の輝く夢の国だったのだろう 見たことさえない青い海、白い砂浜 国境を越えれば幸せが待っている きっと 無垢な17歳の少年と、その無垢を失った自分に罪悪感を感じる美しい犯罪者 2人はそれを信じてた 死ぬかもしれない…だとしても 1度も都会の出てこない荒れ果てたテキサスを延々と写し出す映像が、2人の思いに説得力を持たせた ナレーションの入る作品はあまり好きではない でもこの作品は
「アメリカは大きな田舎」 誰の言葉だったかな? 「都会はほんの一部分」 本か、映画の台詞か… その田舎は圧倒的な力強さで、私の視界に拡がり続けた 「美しい」と評論家は言う でもその景色はあまりにも壮大で、寂しくて心細くて恐怖さえ感じさせた ロードムービーが苦手 ロードムービーを観ている時のあの心のよりどころの無い不安感が辛い ひとり旅の好きな私が、何故だろう? 自分でも矛盾を感じる 帰る場所があるからひとりが好き ひとりが辛くなったら家に帰ればいい ファーンには帰る場