カウセリングで気づいたついつい、やりがちな事
こんにちは、昨日カウセリングに行ってまいりました。
水曜は病院に行き、精神手帳の手続きの更新の申し込みも含めて行ってきました。
そこで、今の自分の状況を話しました。
まあ、置いといて、カウセリングで鬱の時にやってはいけないことにやっていってしまう行為を3つほど話して行こうかなと思います。
長いので、1だけで充分です。
1 過去の自分と比較してしまう
過去の自分は、毎日学校に行けていたり、今のこの時間帯も学校に行っている時は、授業を受けていたりしていた。
父も今は昼休みが終わり、働いている。
もし、就労移行支援が続いていたら、もう1年以上経つので、色々と職場に見学に行っていたかもしれない。
そう思うと、時に虚しく感じ、涙が出てしまう事がある。
今の自分は、精神面的に出やすく、体力もない。
週に1回、30分、1時間以上いると、ぐったりして、昼寝することが多い。
行くだけでも疲れちゃうんですよね・・💦
過去の自分や普通に働いている方々が何でこんなに長時間いれるの!?とか思ってしまう位です。
後は、病院が私の通っていた中学の隣なんですよ。
それだけではなく、帰る頃は小学生が下校する時間帯で、今の私って通っている日数、時間も考えると、小学生以下!?と驚いてしまったことがあります(;^_^A
また、散歩の時に保育園が近くあるケースにたまたま、通りかかると、私保育園や幼稚園児以下!?とも思ってしまう。
その位、鬱から休息して外に出るというのが疲れる・・。
慣れていないという事もあるし、まだまだって感じですね・・。
しかも、鬱だけではなく、不安もあって、鬱以前に厄介な病気もある為、元からストレスに非常に弱いです。
ストレス感じると、お腹痛くなったり、おならしたくなったり、本当に調子悪いと吐き気するように感じたり等。
ストレスのアンテナが前以上に敏感に感じるようになった。
まあ、このように、昔の頃に戻りたいなとか思う事がある。
本当は良くないですけどね・・。ちょっとした成長を喜べるような自分になりたいです。
2 他人と比較してしまう
1と凄い似ていますね。あの子はもう、自立したんだ、凄いな・・とか、
特に妹と比べがちですね。
妹は現在受験生なんですが、どうして、精神病まないんだろう?とか考えてしまいますし、父も働けていて私は何で出来ないんだろうとか、母もパートで土日通っていますが、たまに日曜だけの時もある。6時間働いていて凄いな・・とか感じる事がしばしば。
オンラインゲームやっている為、バイト行ってきますとか、仕事だ、残業だとか聞くと、何で働けるの?凄いな・・って感じます。
ちょっと1と似ているので、少し省略します。
3 もし、自分がいなかったら幸せだったんじゃないか?
これは、ちょっと鬼滅の刃の話と似ているかなと思って、自分鬼滅の刃見ていた時に、重なって、分かるな、気持ちがと同情してしまったシーンがあります。もし、見ていなかったら、ここの部分は見なくていいと思います。
ネタバレになりますので・・。鬼滅の刃の遊郭編の最終話で、十二鬼月の上弦の鬼の妓夫太郎の過去のシーンだった。
同じように鬼で、妹の墮姫、後に過去のシーンで妹の名前が梅だと知ることになる。
鬼になった二人、その際に、妓夫太郎は鬼になって悔いはないと言っていました。でも、唯一の心残りで妹の事を思い当っている時、同情してしまいました。少しわかるなと思うのは、梅、お前にはもっと違う道があったんじゃねえかってことだの部分だった。
というのも、自分自身、今の自分は役に立っていないと思って、自分がいなかったら、家族がもっと幸せだったんじゃないかなって考える事があります。
私ではなく、他の○○ちゃん(明るく、コミュ力が高い陽キャ)が良かったんじゃないかとか。その○○ちゃんは私でも凄く憧れてきな存在でした。
コミュ力が高く、どんな時でも明るい、中学の時は少しちょっとワルくなってしまったんですが・・。小学5年の頃に私の学校に転校してきて家も近い事があり、登下校の時に暗かった私でも声をかけてくれたり、本当に偉大だった。化粧や女子力も高く、誰とでも仲良くなれる性格だった。
だから、こういう子が生まれてきたら、きっと違っていたんじゃないかって。自分で決断できる子だったから。
もし、ドラえもんがいて、タイムマシーンに乗せたら、父と母二人に会わせないようにして、私、妹まで巻沿いになるけど、生まれてこないようにすればよいじゃないかとか考える事があります。
何より、母は一人暮らし、独身の頃の楽しいエピソードを聞いたとき、高校時代の楽しかった青春の頃の話を聞いたとき、私が生まれてきたことで全てのこれからの楽しみを奪ったんじゃないかって。
母は私が発達障害だということもあり、一生懸命障害について勉強したり、私の為に、色々な場所に行って、言語能力を高めようとしてくれたり、将来に対する不安が凄かったため、母はピリピリしていた。
相談しても、反論しか返ってこない。
でも、見えない場所で、私の為に、色々と模索して考えている姿を見えた時に涙が止まらなかったです。
鬱の時に、どういう反応するかな?と思ったら、ゆっくり休みなと声をかけてくれて、勿論、母は、鬱にかかった事ない為、たまに苛々している時に憂鬱な気分で私が降りてくると、怒られるんですが・・。
鬱で食欲ないというのに、私を少しでも元気づけようと、私の大好物のハマっている唐揚げを作ってくれたり、チキンスティック用意してくれたりと、してくれた。後に分かった事なんですけど。
あの時は、食欲ない時に何で、私の好物ばかり用意するの!?私嫌いな食べ物多いから、そっちにすればいいのに・・と思ったけど、後に知ることになる。
鬱から2ヶ月くらいの時に話した。
その時に母はいなく、母は思った事をはっきりズバズバいう性格ですが、こういうのは恥ずかしいタイプなので、父に声をかけると、
父 お母さんは、アルゴンを少しでも元気づける為に、好物を用意したんだ
もし、私がいなく、3人とそしてペットの犬だけだったら幸せだったんじゃないかなって思ったことが何回かある。
今の年齢で、大学行っていなかったとしたら、普通だったらどこかしら働いていたり、就労移行支援で色々と職場体験に行っていたからだ。
お父さんは、私が鬱になっても特別扱いすることが無かった。
勿論、体調が良くなってきた頃に、色々と頼みごとをすることが多くなった。
鬱になっても特別扱いをしない所に感銘を受けた。
今が辛いというのも父は感じ取ってくれた。
新しい環境の中、慣れていくまで、体や心が追い付くまで、大変だというのは父も感じ取っていた。
昔、父も鬱になる手前になったことがあるかららしい。
郵便局で働いていた時に、どうしても人間関係が上手く行かずに、仕事を無断欠勤することが多かった。後に辞めることになる。
そんな時に支えてくれたのは、友人だったという。
友人と夜までずっと麻雀をやったり、ビリヤードやったり、気を遣わなくていい信頼できる友達と休日夜遅くまで一緒に何かすることがストレス解消になった。
そして、今の母と出会い、結婚してから、元々プログラミング好きで勉強していたが、それを生かして仕事しようと決めた。
だが、中々最初は上手く行かなかった。
どこも使えないとクビにされて、散々な日々だった。それが私が生まれる直後からの話。
でも、今は努力して、父の本とか見ると、SEの本とかズラリ並んでいて、本とかもボロボロで必死に家庭の為に勉強してきたんだなって。
父 家庭持って良かったと思っているよ。もし、家庭持っていなかったら
今頃引きこもっていたかもしれない。
疲れている時に皆の元気な姿や母のご飯が出来ている事にとても疲れが
癒される。後は、皆がそれぞれ眠ったり、部屋にいる時に自分一人だけの
時間が一番ストレス解消法だけどね、ダラダラして。
家庭にも恵まれているのが本当に分かっているし、中には、お金が無くて高校に行く費用がないという家庭も中にはいる中で、普通の高校から通信に移動したとき、多額のお金が必要だった時に、私がもし、大学行くための費用をコツコツ貯めてくれて、それを使ってくれた親には感謝しかないし、母が独立していた頃に私が将来困らないようにある程度の貯金を確保している事にも感謝しかなかった。
有難いと思う同時に、特に母は私といる時間が多いからこそ、もっと違う人生があったんじゃないかなって思う事が多い。
他の方と結婚して、普通の子が生まれていたら、きっと楽しかったんじゃないかって。子供産んでよかったと思っていたんじゃないかと。
もしくは、独身を貫いて、母の場合、上手くストレス発散、自分の理解が高い為、逃げる事も上手いし、融通も利く。
ただ、真面目で完璧主義なのはあれだが、このようになってしまったのは、私が原因だというのも知った。
私の育児に追われて、自分の子供をちゃんとしないとと思っているうちにそうなったんじゃないかと考えていた。
そして、高校2年の時に、母から手紙が渡されて、その時に、父と母、私で話し合っていた時に言われた言葉で母が育児を失敗したと語った。
母 今まで苦しめさせてきて、ずっと辛いのに我慢させてきて、普通の子に
育てようと頑張っていたけど、結果的にアルゴンの体や心を蝕むように
させてしまって、ごめんね。普通学級に行かせずに、養護系に行けば、
もっと違う道見えていたかもしれないのに・・。本当にごめんね。
アルゴンはアルゴンの道があるし、今は色々と頼れる支援がある。
そこを使って、利用して、上手く生きて行ってほしい。
この時母は、泣きながら話しているのを見て、母は私が想像している以上にずっと考えていて、私が不安の中、仕事ないじゃないかと考えている時に調べてくれたり、今のB型で合っているじゃないかと探してくれたのも母親だった。泣いている母を見て、私も涙が出てしまいました。
私が元気になって、病気と上手く付き合えるようになって、経済的に余裕が持って、自立できるようになったら、思う存分、残りの人生楽しんでもらいたい。そして、いつか何でもいいから、お金を私が奢って、寿司とか食べに行きたい。
母は父と旅行に行きたいという密かな夢があるから、その夢を叶えるために、自分が自分と向き合って、少しずつ前に向かって進んでいきたい。
まとめ
暗い話になってしまいました・・・(;^_^A
ついつい、考えてしまう人もいるのではないでしょうか?
本当に親孝行は出来るようになりたい。
妹に言いたいこともあって、それは大学に行けることに感謝して、受験自分が逃げた分まで受験勉強頑張ってほしいとの切の願い。
妹は将来看護師を目指している為、看護学部の大学に行く予定。
ただ、私立に行くと、奨学金がある為、母は奨学金は厄介だから、ちゃんと勉強して国公立に入れるように頑張りなさいと言っている。
母 でも自分の人生だから、頑張るかどうかは任せる
特に私がやりがちなのは、1ですね。つい、過去の自分と比較してしまいます・・。
第二の人生歩めるように、少しずつ前に向かって進みたい。
でも、時には波がある為、どうもそんな気分になれないけど・・💦
最後まで見てくださってありがとうございましたm(__)m
特に3は長すぎましたね。
1だけでも大丈夫です。
3は私の思いが強く出すぎて、文章長く書き過ぎました。
鬱になって、結構過去の自分と比べがちなのは自分でも驚きました。