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志賀直哉ゆかり 城崎温泉

 文豪:谷崎潤一郎氏より、志賀直哉は"小説の神様"と称された。志賀直哉の小僧の神様ともかけている。特に、短編を多く描いた。中でも、この「城崎にて」「清兵衛と瓢箪」「小僧の神様」は、美文として昭和の国語の教科書に載った。
 ボクは大学を卒業し、テレビのない四畳半で「城崎にて」を教材ではなく娯楽として読んだ。まったく病むところのないボクなのに、「城崎にて」を読んで感動した。それは脳みそ筋肉のボクに精神世界を教えてくれたからだと思う。
 また当時、多読をしていた。その中で、秀でて文章が綺麗だった。それは、ずっと今も思い続けている。「網走まで」「鳩」も好きな作品だ。
かわせみ💎

【執筆背景】
 志賀直哉が宿泊したという三木屋 (城崎温泉)
志賀直哉は1910年(明治43年)に『白樺』を創刊し、作品を発表している。1912年(大正元年)には実父との対立から広島県尾道に移住し、夏目漱石の奨めにより「時任謙作」の執筆に着手した(この小説はのちに『暗夜行路』の原型となる)。

 1913年(大正2年)4月に上京したが、同年8月に里見弴と芝浦へ涼みに行き、素人相撲を見て帰る途中、線路の側を歩いていて山手線の電車に後ろから跳ね飛ばされ、重傷を負う。東京病院にしばらく入院して助かったが、療養のために兵庫県にある城崎温泉を訪れる。その後は松江や京都など各地を点々とし、1914年(大正3年)には、勘解由小路康子(かでのこうじさだこ)と結婚する。1917年(大正6年)には「佐々木の場合」「好人物の夫婦」「赤西蠣太の恋」などの作品を発表し、同年10月には実父との和解が成立している。
 事故に際した自らの体験から、徹底した観察力で生と死の意味を考え執筆され、簡素で無駄のない文体と適切な描写で無類の名文とされている。
 「城の崎にて」は1913年の経験を3年半後の1917年に作品化したものだが、その間に同じ題材を扱った「いのち」と題された草稿(1914年執筆と推定)が残されている。

【あらすじ】

串ネズミ 想像風景

 東京山手線の電車にはねられ怪我をした「自分」は、後養生に兵庫県の城崎温泉を訪れる。「自分」は一匹の蜂の死骸に、寂しいが静かな死への親しみを感じ、首に串が刺さった鼠が石を投げられて必死に逃げ惑っている姿を見て死の直前の動騒が恐ろしくなる。

志賀直哉散歩道 桑の木

 そんなある日、何気なく見た小川の石の上にイモリがいた。驚かそうと投げた石がそのイモリに当って死んでしまう。哀れみを感じるのと同時に生き物の淋しさを感じている「自分」。これらの動物達の死と生きている自分について考え、生きていることと死んでしまっていること、それは両極ではなかったという感慨を持つ。そして命拾いした「自分」を省みる。

【登場人物】
自分
主人公。山手線の電車に跳ね飛ばされて怪我をしたことから、その後養生に但馬の城の崎温泉を訪れた。城の崎に来た「自分」は近年になく静まって落ち着いたいい気持がしている。作中で『范の犯罪』という短編小説を書いたことを語っている。とかげは多少好きで、やもりは最も嫌いで、いもりは好きでも嫌いでもない。
医者
「自分」に対して「背中の傷が脊椎カリエスになれば致命傷になりかねないがそんなことはあるまい」と言った人物。
車夫
首に魚串が刺さった鼠に石を投げる40歳ぐらいの男。
子供
車夫と同様に鼠に石を投げている。2,3人いた。

「自分」に電車事故で負った傷は「フェータル(fatal=致命的)なものか、どうか?」と訊かれ、それを否定した人物。
  出典 Wikipediaより 撮影 かわせみ💎

城崎にて、串ネズミ話

2024年6月7日 06:56
 今年は、城崎温泉に行く予定だった。そんな年を、何回過ごしたかわからない。二桁はある。ところが、今年9月に行くことになった。姫路城→有馬温泉→城崎温泉→伊根の舟屋→天橋立。ボクにとってはゴールデン・コース。すてに、家内がツーリズムに申し込んでくれた。(8月は、息子が石垣島へ招待してくれている🛳️)

 なんで城崎温泉に行きたいかというと、志賀直哉作「城崎にて」が好きだからです。主人公は交通事故の養生に、城崎温泉にやって来た。そこでは、ニュートラルな彼は小動物や草花に触れた。
始め蜂の死から話が始まる。最後は、イモリの死を叙景的に語ることでリセット直前の心境を語る。まさに、蝉が脱皮した心地であろう。
ボクは「城崎にて」の中で、串ネズミの話が好きです。話の内容は好きではないが、志賀直哉が語った哲学に敬服します。
 主人公が外出したところ、人だかりができていた。よく見ると、竹串が縦に刺さったネズミが川に泳いでいた。そこへ石を投げる人々がいた。また笑う人間もいた。
 よく見ると、串が刺さっただけで痛いネズミが必死に泳いでいた。運良く石垣に登り隙間に潜ろうとすると、竹串で川に跳ね返されていた。最後に、大海に流された。

人間は、その姿を楽しむ。すべてはそうでないにしても、そうゆう性格が人間に宿っていると示唆していると思う。弱い物いじめもできない狭隘な存在であると。

 過日、しばらく扱っていなかった機器に触れた。以前の物は、あちこち壊れていたのでボクが購入をした。少し小さいのと、切り替え部がない物であった。
 日頃使う者に、指導を受けながら稼働した。クルマでいば、マニュアルとオートマの違いがあった。肩に力が入った。それを得意な人と全くできない人が、揃って冷やかしながら笑った。

これこそ、「串ネズミ」だと思った。

 日頃、おとなしく勤める彼らの本性を見てしまった。ナリッジマネイジメント(知識共有)みんなができればみんなが楽で良い職場が出来る。そんな思いはないらしい。もちろん承知だが。さらに、交通費の虚偽申告や居眠りなど。ボクはあと三回やればマスター出来ると思う。大した話ではなく、経験があるかで知能の差とは思えない。

一応、聞いてみた。
「そんなに、ボクがおかしいのか」と。(返事なし)

 一人は◯歳、もう一人は◯歳。いずれも、一見、紳士。一人は資産家で、もう一人は地元の名手らしい。氏も育ちもボクとは違う...、立派な家柄の長男だ。
 ただ、先の態度は自らの価値・出身や所属の価値・家族への価値を下げているように思うのは僕だけであろうか。捉え直せば、親までが立派であったと思った。実際に相続金を払えず一部を処分したとか。つまり、本人たちには楷書がなかったわけだ。そうであるからこそ、困った人を笑うわけた。

たった10分の作業で、串ネズミを思い出し、人間のいやらしさに触れてしまった。

 ボクは串ネズミに石を投げること思いつかない。また、狭隘な人間ではなく良かった💪

かわせみ💎noteより

かわせみ💎

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