信仰を都合よく。
明日は、クリスマス・イブ。子どものいない生活では、ケーキの入用がない。少し寂しくは思うが、間食をしないので不自由はない。
反面、うちの年末は掃除と仏事で締めくくる。掃除に関しては秋の終わり頃からコツコツとやる。仏事は、菩提寺の都合が優先だ。ただ、年末の仏事は、お寺様への挨拶と墓参りだけだ。
墓参りは年末に家内と都合が合う日に行っている。お寺様への挨拶は12月20日前後が都合が良いとのことなので、ボクが行くのが習慣となっている。今年は、一昨日(12/21)に行って来た。お寺様への挨拶は、盆暮と報恩講(親鸞聖人の命日)と、年三回だ。
今年も、お寺様より法語カレンダーをいただいた。表紙は野鳥三昧なので、仏間のあるボクの居間にかけることにした。
ただ、ここで考える大事なことがある。特に、熱い信仰を持つわけではないボクらだが。一応、檀家としての教えは教えとしてありがたい話しと聞く。それは、こんなことだ。
「お釈迦様は、多くの偉大な弟子たちに人の死後について話した。人が死ぬと何億年もかけて極楽浄土へ行くと。そこは、金銀などの砂の池や綺麗な花が咲いている。そして、鳥などの生き物がいる。そこに、阿弥陀様が誰をも導いてくださる」と大筋は、こんな感じだ。
ここでだ。本来、鳥などの生き物は畜生と仏教界では位置付けられている。人間よりも、卑しい存在なわけだ。しかし、阿弥陀様が導いてくださる極楽浄土には、鳥などの生き物がいる、ここに、阿弥陀様の解いた極楽浄土におおらかさを感じざるを得ない。
宗教は西洋史と三角関数よりも苦手なボクだが、阿弥陀様が導いてくださる極楽浄土は理想郷に思ってしまう。ただし、仏事の式典の時だけと(ここが不謹慎)
たまたま今年いただいた法語カレンダーの表紙が、なんともカワセミということがはなはだ嬉しい。
この15年間で、父母の介護から見送りまでを行った。少しは、羽を伸ばしても良いとの許可を聖人よりいただいたように思う。
来年は、母の1年と父の13年の法要がある。そこは、ボクなりに計画している。それ以外は、24.10.01に計画したとうりの人生を楽しむ予定だ。
かわせみ💎