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語彙力のある人が好き、だけど

人の使う言葉の美しさや丁寧さに惹かれることが多い。

どんな言葉を使うか、どんなふうに言うかにその人の感性や品性がすべて表れている気がする。私は人と少し話すと、だいたいどんな人かわかってしまうのはそのせいかもしれない。素敵な人も、面白くない人も、一瞬でわかってしまう。

話し方も、ちゃんと言葉を選んで言っているのが伝わるような感じが好き。私に何か伝えようとしている、丁寧に接してくれているのがわかると嬉しい。

LINEでも「おはよー」より「おはよう」、「ありがとー」より「ありがとう」と言ってくれる人のほうが好きだし、まともな人が多い気がする。あとは平仮名ばかりよりも漢字を使ってくれる人のほうがいい。LINEでは伝わらないことも多いけど、こういうところにちょっと気が遣える人は素敵だなと思う。



でも、「あなたの語彙力が好きです」「言葉が素敵です」とは恥ずかしくってなかなか言えない。

たとえば大学のピアノの先生。「寂寥感」とか「清涼な感じ」とか「人に何か深く考えさせるような音」などと言葉を使って教えてくださる。言い方も、静かで落ち着いていて、先生と話すと心が豊かになる気がする。
そんな先生がCDを出して、もちろん買って聴いて、感想を聞かれた。
演奏は本当に本当に素晴らしかったのだけれど、私はCDブックレットに書かれた先生の文章に釘付けだった。作曲家や曲に対する想いが書かれていたのだけど、語彙力の豊富さや想いの伝わる文章にもう感動してしまった。ここに全文載せてしまいたいくらい…。
なのに、それが言えなかった。感想を聞かれたら言おうと思ってたのに。言葉は喉まで出かかっていたのに。ただひたすら「演奏が素敵でした。先生みたいに弾けるようになりたい」としか言えなかった。

noteやXでは、本に出てきた素敵な言葉たちを惜しみなく好きだと、心を動かされたと言えるのに人前だと言えなくなるのは何故だろう。
もしかしたら、「本当に好きになった人には素直になれない」みたいな感情に似ているのかな…。
でも私にとって語彙力が素敵な人はそうなのだ。外見のいい人をかっこいいと思うみたいに、魅力的な言葉をかけられたら身悶えするほど嬉しいし、憧れるし、心が動いてしまう。恋愛的な意味ではない。老若男女誰にでも当てはまる。

好きだと言ったら、伝えてしまったら、いつか忘れてしまうと、どこかで思っているからかもしれない。心の奥にしまっておけば、永遠にしておける。言えなかった思いというのは、そう簡単には消せないものだから。

だけど、私がそんなふうに感じたってこと、知られたくない。なんだか恥ずかしい。
伝えたいって思うけど、どうしてもいつも言えない。



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