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「お父さんとお母さん、寂しいでしょうね」

11年勤めた職場を退職した。
パートナーと同棲するために
他県に引越をしたことが理由。  

本当は、まだ仕事をしていたかった。
それでも私はパートナーと生きることを決めた。


パートナーと生きる道を選んだ。


一人暮らしの家は実家からそれほど遠くなく、すぐに会える距離に家族がいた。

私が実家暮らしを選ばなかったのは、
私の生活スタイルへのこだわりが強く、
家族とは距離を置くべきだと思ったからだ。

一人暮らしは3年間とちょっとだったけど、
自分のペースで好きなように生活できてとても心地が良かった。

今回の引越を決めた後に、
職場の人等、周りに退職を告げた。

多種多様と言われている現代。
なんとなーく察してくれて、
多くは触れずに「あなたが幸せなら」と声をかけてくれた人もいた。
私のセクシャリティを知っている人は
「楽しみだね」「無理せずね」
とも声をかけてくれた。ありがたい。

そんな中、引っかかった台詞がある。
「お父さんとお母さん、寂しいでしょうね」

遠くに行ってしまうから。
なかなか会えなくなってしまうから。

そう言葉をかけてくる人は大体子持ちの方だった。
それはあまり関係ないのかもしれないけど、
もしかしたら、親目線でそう声をかけていたのかもしれない。

正直私にとって押し付けだった。

そう言われた後、
「私はいけないことをしているの?」
「悲しませているの?」

と、ネガティブな思考になりがちだった。

相手はそこまで深くは考えていないだろう。

ただ、
そう伝えて私に何を感じてほしいのだろう。

親孝行しなさい?
好き勝手やらずに親のために生きなさい?

私は、私というたった一人の自分の人生の中で、
自分の信じたパートナーとの暮らしを見つけて
前に進もうとしているだけなのに。


「自分の幸せが親の幸せ」と思いたい。

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もちろん両親の中に寂しい気持ちはあると思う。
なかなか会えないことや、
遠くに行ってしまうことで、心配も増えるだろう。

だからって、近くにピッタリとくっついていることが正解なのか?
親のために生きる、と長年思っていた。
でもそれは間違いだと気がついた。
きっと後で爆発してしまうのだから。
結果的に親を悲しませてしまうだろう。


自分の幸せのために生きることが
親にとっての幸せ。

今は、そう思っている。

その考えが揺らぐほどの威力が
「お父さんとお母さん、寂しいでしょうね」にはあった。

中には「次会う時は、赤ちゃんを抱っこしているかもね」
なんて衝撃的なことも言われたりもしたけど、
それは多種多様な思考以前のことで。
デリカシー0な発言だな、と。
結構引いてしまった。


所詮は他人の人生だろうに。

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要するに言いたいのは、

他人の人生を主観で物言うのはやめてくれ、と。

考えすぎなのかもしれない。

でも、興味本位で色々聞いて来られるより、
知ったような口を叩かられる方が嫌だし、
失礼だ。と思う。これは考えすぎなのか?


ずーっとモヤモヤモヤモヤしてた。
前に進むと決めて周りに伝えたときからずっと。


だから何?
と強気でいられたら良かったのかもしれない。
そうだ、私が弱かったのかもしれない。

言い返してやれば良かった。
だから何?って。


そんな強さがなかったから、
後になってここに書いている。
それで良かった。




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