エリートの気分で「大人」を再定義せよ! 笑いを捕らえよ!#4
大人になるとは…
それは「お洒落なカフェでApple社のイカしたMacやiPadで仕事をする」ということだ。
それが僕にとっての「大人」であり、それをすれば大人になれると思っている。
今、僕はコインランドリーの休憩室のカフェでこの文章を書いている。
ということは、僕は今日から大人になったということだ。
やったぜ!
免許取ろう!
とはならなかった。
身長152センチの僕は他人から見れば、ただの中学生だし、しかも保護者同伴だ。
やはりまだ子供なのか。
しかし、ここでまた疑問が湧き上がる。
そもそも「大人」の定義とは?
選挙権は、18歳以上と決められている。
なので、18歳以上が大人ではないか?
しかしそれは、法律で決められた「成人」であり、「大人」の定義を指し示したことにはならない。
では、この「大人」という二文字に隠された真意とは?
僕の現時点での解は、
「大人」=「自分が大人になったと思えた日」だ。
僕の父は個人塾の経営をしているが、父はいつも生徒たちにこう言う。
「受験の終わりは、自分がこれで試験に臨んでも大丈夫だと思えた日だ。」
僕はこの言葉にとても共感を覚えた。
そして、それは他のことにも当てはまるような気がした。
憶測だが、自分が成長した、社会に出た、様々な要因で人は「大人になったな」と思うはずだ。
それに明確な年齢や基準はない。
つまり、「いつでも大人になれる」というわけだ。
だから、30代でもまだ大人の意識がなければそれは「大人」とは言えないかもしれないし、中学生でも「大人」という自覚を持てば、それは「大人」になれるということだ。
「大人」になったからレベルアップしてHPが増えるわけではないが、「大人」になる自覚を持つ時点で「賢さ」があると思う。
だから、いつか胸を張って「大人になった」と言えるように、一日一日を過ごしていこうと僕は心に誓う。
ところで、何故こんな真面目な話を書いたかと言うと、カフェというお洒落な場所に身をおき、エリートの雰囲気に浸っていた、と答えるしかない。