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福祉現場の無理ゲー参上。敵も味方も、やり方次第。

僕たち支援員と利用者との間には、良好な関係を保つ必要がある、、とよく言われる。


良好な関係って何だろう。

ただ単純に想像される、友達や同僚における良好な関係とは少し違うように僕は思う。

無理矢理に言葉で表現するなら、支援員のそれは、「ある種、良好な関係」とでもしておこう。

そのある種良好な関係を保つこと、それを福祉現場では当たり前のように語られるのだけれど、

その実、この関係を保つことはかなり難しいと僕は思っている。

なぜって、そりゃ、

利用者も人間なら、支援員も人間で、そこには必然と感情というものが存在する訳で、

学生時代に何十人、何百人もいる同級生の中で、なんとなくの「好き、嫌い」を感じ取って人との距離感を計っていたように、

いくら専門職とは言え、支援員がその「なんとなく」を打破することは容易ではない。

とは言え、それはそれ。

それほど高難易度な注文にも関わらず、相変わらず支援員は利用者と良好な関係を保つ必要があると語られている。

つまりそれは、

支援員が目指す良好な関係というのが、先に書いたような感情ベースの気が合う合わない、好き嫌いといった話じゃないからだろう。

当たり前だよね。

感情ベースの良好な関係を求められた人がいたとして、人為的にというか、作為的にというか、どうにかこうにか作り出す関係が「良好」であるはずがないもの。


じゃあ、良好な関係って何なんだ

僕は、目的(目標)を共有している関係だと思っている。

つまり、

あの利用者(支援員)が嫌いだから支援がストップしている、目的に近づけないなんてことは、支援現場にはあり得ないことで、

極端なことを言えば、

良好な関係が保たれているのであれば、利用者と支援員がどれだけいがみ合っていても、必ず目的に近づくことができる。

ただ、これが難しい。

目的を共有するには、出来得る限りのコミュニケーションをとる必要があるし、目的は大小細かく生活の中に点在している。

それを共有している、それがどれだけ難しいかは、親子の関係を思い浮かべれば納得させられる。

親子でもお互いに何がしたいか(目的)を的確に共有している関係は少ない。

しかも、その目的に向かってお互いが成すべきことを実行することが福祉現場では求められる。

こんなの無理ゲーだよね。


でも救いはある

目的を共有しているということ、つまり支援員にとっての良好な関係ってのは「0」か「100」かの問ではない。

共有することを意識すればするほど、その濃度は深まっていくし、

それが深まれば深まるほど支援は好転し、その速度を増していく。

利用者と目的を共有する、当たり前のようで一番難しいことだと思っている。

たぶん、この先もマスターすることはないんだろうなぁ。。。

おしまい!

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