#40「別れは感謝と共に~エジルに大きな拍手を~<前編>」
こんちゃ!どうも、いったーです。
今回は「別れは感謝と共に~エジルに大きな拍手を~」を書いていきたいと思います。
所属期間である約7年半を振り返るので前編+後編+各シーズンのピックアップモーメントの3部構成で投稿していきます。
<後編です>
これを書くにあたって、OMFエジルの個人のサポーターではなく、いち選手として、小さい頃からワクワクさせてくれた記憶をたどりながら、アーセナルに対して多大な貢献をしたOMFエジルに対して、リスペクトを表したいと思います。
前編では、「アーセナル加入から最大の理解者ヴェンゲル監督との別れ」を書いていきます。
もう、彼、メスト・エジルの退団のカウントダウンが始まってしまいました。今夏にはPL/EL登録問題では揉めに揉め、チーム最高給にもかかわらず、プレータイムは“0分”という異常な状態でした。ロッカールームの空気、経営面にも悪影響を与えると判断されたため、今冬に契約解除となりそうで、アーセナルでの約7年半の物語に終わりを迎えようとしています。
メスト・エジル(Mesut Ozil)
生年月日:1988/10/15 32歳
国籍:トルコ系ドイツ人
アーセナル:2013/09/02加入(←レアル・マドリード)
ーーアーセン・ヴェンゲル監督時代ーー
13-14 40試合7G14A FA杯優勝/UEFA Team of the Year受賞
14-15 31試合5G9A FA杯優勝/コミュニティーシールド(CS)制覇
15-16 44試合8G20A CS制覇/PL歴代2位アシストArsenal Player of the Year受賞
16-17 43試合12G14A FA杯優勝
17-18 35試合5G14 CS制覇
ーーウナイ・エメリ監督時代ーー
18-19 35試合6G3A EL準優勝
19-20 23試合1G3A FA杯優勝(メンバー外)
ーーミケル・アルテタ監督時代(19-20途中から)ーー
20-21 メンバー外。2021/01 トルコ・フェネルバフチェへ移籍。
エジルの”トリセツ”
稀代のボールプレーヤーとしてアーセナル加入当時、世界最高のOMFであり魔法の左足を持つ。ボールテクニックがずば抜けていることに加えて、あまりにも視野が広すぎ、神の視点としてOMFエジルにしか見えないパスコースがあると言われている。難点として繊細なボールタッチだけてなく、先生な心を持っている。そのため、彼のメンタルを安定させることが活躍の近道であるとともに、笑顔でプレーしてもらうことが勝利の近道でもある。
アーセン・ヴェンゲル監督時代
13-14 14-15 15-16 16-17 17-18 計5シーズン
13-14突如ロースロンドンに舞い降りた“最後の10番”
2013/09/02。誰もが忘れないあの夏の移籍市場、デッドラインデイ。あの天下のレアル・マドリードの10番で世界トップクラスのOMFがアーセナルへの移籍を決断した日だ。
まさに、“Out of the Blue” 青天の霹靂。僕が、中学3年の夏。デッドラインデイということで移籍市場閉幕まで当時は家のパソコンにかじりついていました。確かに噂で「エジル、レアル・マドリードと喧嘩別れか?」というまだ憶測にすぎない記事を読んだ記憶はあります。
しかし、現役最高のOMF稀代の“the Wizard”がアーセナルを選ぶとは思いもよりませんでした。倹約家で有名なアーセン・ヴェンゲル監督にクラブレコードとなる4240万£(65.5億円)の移籍金に即決でゴーサインを出させるほどの才能を持っていました。
後に、エジルの自伝内でレアル・マドリ―ドからアーセナルへの移籍時のエピソードを語っていました。以下の通りです。
“'Mr Wenger,' I said, 'I promised that you'd be the first person I'd contact if I were ever looking for another club. Now I am'.
「「ムッシュ」と私は言いました。私は次のクラブと契約を交わすときに、あなたに最初の電話を掛けると約束しましたよね。それが今、この瞬間です。」
“Arsene Wenger told me that he had been keeping an eye on me the whole time and that he liked how I'd developed. And all of a sudden I had that positive feeling again, the one I'd had during our telephone conversation back in 2010.”
「アーセンは私に、わたしは常日頃、キミに注目してるし、その成長ぶりを気に入っているよ。と言ってくれた。そして、すぐに2010年に電話で話した以来のポジティブな気持ちになれた。」
OMFエジルはWC2010で活躍を認められ、ブレーメン(ドイツ)からレアル・マドリード(スペイン)に移籍した際にも、アーセナルから移籍のコンタクトがあり、その頃からアーセン・ヴェンゲル監督とは信頼関係にあったことが分かります。
アーセナルは06年にエミレーツスタジアムをオープンしてから、建設費が莫大な額であることから、偉大な選手を売却せざるを得ない状況で、アカデミーや期待の若手をなんとか起用しながらPL4位以内を死守してきました。
売却した主な主力選手:セスク・ファブレガス/ティエリ・アンリ/サミル・ナスリ/ロビン・ファン・ペルシ/コロ・トゥレ/エマニュエル・アデバヨール/アレクサンドル・フレブetc…
移籍市場において、あのレアル・マドリードの10番を獲得し、かつクラブレコードの移籍金というセンセーショナルな出来事は、新時代の幕開けの合図であるとともに、アーセナルの本気を見たように思えました。あの瞬間の興奮は一生ものでしょう。
デビューシーズンには11番を与えられたOMFエジルですが、2013/09/14vsサンダーランドとのデビュー戦でいきなり魅せます。後方から来た浮き球をあのトラップは“トラップの天才“でアーセナルの大先輩デニス・ベルカンプの優雅さを彷彿させました。初アシストまで11分で、適応への心配は杞憂におわったことを思い出します。
ぶつかった最初の壁
4-2-3-1システムの「3」の中央に君臨し初年度からアーセナルの攻撃陣を操りながら、ヴェンゲル監督とも相思相愛の関係を築いていきました。PLでも久しぶりに首位に立ち、すべてが順調に見えましたが、最初の壁は2013/12/14に訪れます。
PLでも首位争いをしていたvsマン・シティ(@エティハド・スタジアム)でのゲームでまさかの3-6で大敗してしまいます。試合終了後、アウェイまで駆けつけてくれたサポーターに感謝の意を込めて、選手は整列することが慣例となっていましたが、エジルはその列には加わらずに、終了の笛と同時にロッカールームに帰ってしまいました。そのエジルに対して、ブレーメン時代ともにプレーし、ドイツ代表でもチームメイトであったDFリーダーのCBメルテザッカーにまるで“ヘアドライヤー”のような形相で激怒しました。
移籍する際にも相談した仲であり、ヴェンゲル監督も「彼らドイツ人たちにまかせてある。気にしてないよ。」とコメントしていました。この件に関して、OMFエジルは謝罪し、その後は気持ちを入れ替えて、また1つギアをあげました。
一方で、CL「死の組」を突破したアーセナルはCL Round of 16でドイツの象徴vsバイエルンとのゲームでした。ホームに迎えた1st legでは先制点のチャンスであったPKをOMFエジルはGKノイアーに完璧にストップされ、トータルスコア3-3のアウェイゴールで敗退しました。あのゴールが決まっていれば、、、と思うサポーターも少なくないでしょう。それ以降エジルにとってPKは最大の弱点として知られるようになります。
13-14シーズンはアーセナルにとってターニングポイントともいえる、FA杯優勝を成し遂げ、04-05以来約9年ぶりにタイトルを獲得し、冬の無冠時代から脱却することになります。FA杯優勝にも貢献し、特に準々決勝vsエバートンでは1G1Aと4-1で粉砕した試合で大きな存在感を示しました。また、アーセナルに移籍初年度から大きな影響を与えたこともあり、2年連続UEFAが選出するTeam of the Yearを受賞し、ワールドクラスぶりを誇示しました。
14-15 WC優勝し、コンディション調整に苦戦
ドイツ代表で8番を背負いながら、主力として戦った14WCブラジル大会ではドイツ代表を優勝に導きました。その影響からかPLではスロースターとして序盤戦はなかなかリズムに乗ることが出来ませんでした。
この年に、最高のパートナーになるLWGアレクシス・サンチェスが加入します。彼らのホットラインはPLでもトップクラスでした。セットプレーでの彼の左足は脅威であり、CKからのアシストや直接FK(vsリバプール)等精度の高い左足を十分に見せつけました。特に、ノースロンドン初ゴールとなったアウェイvsトッテナム(1-2)では手前の選手がさわり、コースが変わったボールをうまく、左足で面を作ってボレーシュートを決めました。PLは3位に食い込み、昨年よりも上位でフィニッシュしました。
お得意のFA杯ではまたしても優勝を達成し、2連覇を成し遂げました。準決勝vsレディング(2-1)では2アシストする形で、下馬評では圧倒するはずだった相手に苦しみながらも勝利に導き、コミュニティーシールド制覇、FA杯優勝、PL3位、CL Round of 16と昨季を上回る成績を残しました。
15-16 PL歴代アシスト最高記録に迫る1年
アーセナルに加入してから2年がたった2015年開幕前の8月にこれまで放任主義で自由にプレーさせていたヴェンゲル監督からプレーに関して少しばかりのアドバイスがありました。
“I also want more goals from him because he plays in a position [high up the pitch] and he’s a good finisher. He doesn’t take enough chances when he’s in a position where he can finish. He’s conscious of it and he wants to do it now.”
「彼は高いポジションでプレーしており、素晴らしいシューターであるので、より多くのゴールを決めてくれることを期待しているよ。シュートチャンスのポジションにいる時に、彼は十分なシュートチャンスになりません。今、エジルはシュートへの意識をも持ち、取り組んでいるところです。」
“His main aspect will always be the intelligence of his passing and his creativity, but he gets into positions where he can finish better and we want 10 goals per season from him.”
「彼の特性は、パスや創造性に関してのインテリジェンスです。しかし、彼のポジションならより多くのゴールを決めるためのポジションに飛び込めますし、そして彼にはシーズン10ゴールを決めてほしいと思うよ。」
この言葉のおかげか、PA内に入り込むチャンスが増えたのか、前半戦からハイペースでアシストを量産していきました。前半戦19試合でなんと16アシストを達成し、あのLWGアンリが持つPLシーズン最多アシスト記録20を上回る勢いでした。結局、前線のどこかの誰かさんが全くOMFエジルのチャンスクリエイトをゴールに結びつけられず、19アシストで終わり、PL歴代最多記録は更新することはできませんでした。
CLではバイエルン、オリンピアコス、ディナモ・ザグレブと同組でしたが、開幕3連敗を喫し、第4節は天敵vsバイエルンでした。OMFエジルにとっても、以前PKを失敗し、大敗を喫した相手です。この試合敗北すれば、17年連続Round of 16進出記録が途絶えてしまう大事な試合でした。この試合で、スタッツでは完敗していたにもかかわらず、OMFエジルの2-0となるダメ押しゴールを決めたのはOMFであり感情を爆発させたゴールパフォーマンスは新たな一面が見ることができ、心が高ぶりました。
このPLシーズンは誰も予想だにしなかったレスターが優勝したシーズンでした。アーセナルはここ10年で最高位であった2位でしたが、優勝したレスターにシーズン・ダブルした唯一のクラブでしたが、いつも通りの3月に絶不調に陥り、10ポイントも離されてしました。
天王山のゲームであったレスターに劇的勝利した2016/02/14は忘れもしません。後半アディショナルタイム+4分の本当のラストプレーであったFKでドラマが待っていました。OMFエジルの左足から放たれたボールはジャンプしたCFウェルベックにぴたりと合いました。ホーム・エミレーツで劇的逆転勝利を演出したのはOMFエジルです。正直あのゴール以来の熱狂に包まれたエミレーツスタジアムは見たことがありません。
16-17シーズン12G14Aと記録にも、記憶にも残る1年
ついに、PL4位以内をキープすることが出来ず、EL送りになってしまうシーズン、チームの不調と共に、OMFエジルも精彩を欠いた時期があったものの、絶好調時はもちろん誰も止めることが出来ずに、最高のパフォーマンスを見せてくれました。12G14Aという数字でも結果を残したのはこのシーズンでした。
この年からPA内に入り込んでのチャンスクリエイトよりも、右サイドに流れてからの内側を向きつつ、左足に持ち替えてからのアシストやチャンスクリエイトが増えた気がしました。ラストパスというよりも、クロスでのアシストが増えたイメージです。
<ビッグ6相手に躍動するOMFエジル>
苦手であったビッグマッチでも輝きを見せます。
vsチェルシー(3-0)では、自陣深い位置でパスを受けたOMFエジルは絶賛売り出し中だったCMFカンテのプレスを華麗なターンで抜き去りました。OMFエジルロングカウンターのときに自らがドリブルで持ち上がることは得意ではなかったものの、50m以上ドリブルをし、パートナーのLWGサンチェスにパスを出しました。そのリターンを受けるためにスペースに流れ、ロブパスを受けます。それをダイレクトで上から叩きつけるようにして、バウンドさせ、名手GKクルトワの頭上を越えるシュートを突き刺しました。前半だけで3得点と試合を決定づけるシュートでした。
また、キャリア初ハットトリックを達成したシーズンでもありました。他にも、CLvsルドゴレツではOMFエジル史上最高に美しいゴールを決めました。それはのちの「エジルピックアップモーメント」で紹介するので少々お待ちください。(以下vsルドゴレツ3-2 後半終了間際逆転ゴールを決めるエジル)
昨年連覇が途絶えたFA杯では4年で3度目となる優勝を手にします。このシーズンPL独走していたチェルシーをお得意のもはや“ホーム”ウェンブリーで2-1と退け、シーズンの締めくくりには最高のタイトルとなりました。
優勝した時のキャビネットからトロフィーを掲げるシーンで、ヴェンゲル監督と嬉しそうに抱擁を交わしているのが、微笑ましく、その写真を見ると時の流れを感じます。後にも先にも、このタイトルがOMFエジルとヴェンゲル監督が共に獲得した最後のタイトルとなってしまいます。
17-18シーズン 恩師ヴェンゲルとのラストシーズン
長年のペアであり続けたLWGサンチェスはマンチェスター・ユナイテッドへ。CFジルーは新加入CFラカゼットの控えとなってしまいました。また、CMFサンティ・カソルラもアキレス腱の手術から何度も長期離脱しており、OMFエジルと似た波長の選手が少なくなってしまいました。これまで阿吽の呼吸でゴールをアシストし続けた、OMFエジルですが、新加入選手らと新たな連携を築いていく必要がありました。
それでも独力でもチャンスを生み出してしまうのが天才OMFエジルでした。OMFエジルがワールドクラスの輝きを放った最後のシーズンと言えるでしょう。
この年は、序盤戦からゴール&アシストと多くのゴールに絡みました。特に、PA内に侵入する積極性が垣間見え、左サイドから抜け出して、左利きのOMFエジルにとっては角度がない位置から左足で何度もシュートを決めました。そのからくりは「バウンスシュート」といってボールを上から叩き、バウンドさせ、相手GKのタイミングをずらすシュートです。本来、一般人は左利きならファーサイドに転がすシュートを選択します。非凡の才を生まれ持ったOMFエジルは相手GKの頭上を抜くという誰もまねできないシュートを生み出しました。(以下、vsリバプール3-3△)
初めて参加し、優勝が義務付けられていたELでは準決勝敗退となりました。CLから脱落したアトレティコ・マドリーの術中にはまり、最後まで相手を崩せず、カウンターから自滅する、いつものアーセナルを露呈してしまいました。アトレティコ・マドリ―は、高いインテンシティと規律正しい4-4-2を使いこなし、ある程度自由と裁量を選手に委任する指導法を採用するヴェンゲル監督のサッカーの限界が示され、その申し子であったOMFエジルはvsアトレティコ・マドリーとのゲームでは沈黙してしまいました。
しかしながら、チャンスクリエイト数やキーパスのスタッツは、チーム内では断トツで、PL内でもトップクラスの数字を残していたため、このころはOMFエジル擁護の論調でした。
故に、冬にLWGサンチェスを手放したアーセナルは絶対的な存在であるOMFエジルとの契約更新に踏み切ります。3年契約で週給35万£(5460万円)となりクラブ史上最高額となり、来季には念願の#10を背負うことが決定的となり、名実ともにチーム内で絶対的存在になりました。
"When I signed the new deal, I thought about it very carefully and said it was one of the most important decisions of my footballing career. I didn't want to stay for just one or two more years, I wanted to commit my future to Arsenal and the club wanted me to do the same.”
「新契約にサインする時に、私は、熟考し、フットボールキャリアのなかでも最も重要な決断の1つになりました。私はここに1,2年ではなく、より長くいたいと求め、加えてアーセナルに将来を約束し、クラブも同様にそう思っていました。」
"You can go through difficult times, like this, but that is no reason to run away and I'm not going to. I'm here until at least 2021."
「困難な状況にぶち当たっても、訳もなく逃げ出しなりしないと約束する。2021年までここにいるよ。」
“I said that Arsene Wenger was a big factor in me joining Arsenal — and he was — but ultimately I signed for the club. Even when Arsene announced he was leaving, I wanted to stay because I love playing for Arsenal and that’s why I’ve been here for six years.”
「確かに、アーセンの存在が大きい要因でアーセナルに加入したといったよ、けど、根本的にはアーセナルというクラブにサインしたんだ。たとえ、アーセン退任の発表があっても、ここに残りたいよ。なぜなら6年間も所属している愛するアーセナルのためにプレーしたいからね。」
”OZの魔法使いの冒険もここまで”
まさに、OMFエジルはアーセン・ヴェンゲルの申し子であり、まるで親子の様な関係を築いてきました。高いインテンシティ、チーム内での決まり事、ディシプリン、サッカーが言語化される潮流に伴い、これまで感覚や天性の閃きという言語化不可能で、フットボールが芸術であることを表現し続けてきた、「ナンバー10」はもはや現代サッカーでの居場所はなく、生きた化石として扱われてきました。OMFエジルもまたその1人です。
また、アーセン・ヴェンゲル監督も、PL当初は先進的な監督で、クラブでは一般的なヘッドコーチではなく、全権委任された“マネージャー”として歴史に名を刻んできました。しかしフットボールの現代化により、毎試合毎試合、相手を研究し、準備され、約束事が複雑化した戦術が展開されるようになりました。加えて、「勝利は細部に宿る」ということから、各セクションに細分化され、経営も育成もスペシャリストが活躍するようになり、彼もOMFエジル同様に時代に取り残されるようになりました。
アーセン・ヴェンゲル曰く、「チームは“生き物”ではなく“マシーン”に成り下がった」という趣旨のコメントも残しています。晩年はいい意味で頑固爺さんだったアーセン・ヴェンゲル監督は、潮流に逆らうように、選手に裁量を与え、少ないタッチと即興的なパス&ムーブから生まれる、唯一無二のハーモニーを奏でるように、施しました。
アーセナルを率いる時代遅れの老将アーセン・ヴェンゲル&「最後のナンバー10」OMFエジルのフットボールの現代化に対するアンチテーゼのコンビが何とも言えない、哀愁漂わせるロマンを感じさせてくれました。
不甲斐ない敗戦から批判され、叩かれ続けても自らの意思を最後まで貫き通し、天から与えられた才能を最後まで発揮し、観客を魅了しようとしたこの2人の物語には、ハッピーエンドで終わってほしかったですが、この世界はフィクションではありませんでした。逆にまた、バッドエンドというのもアーセナルらしく、これもまた一興でしょう。
最後に、OMFエジルとアーセン・ヴェンゲルの関係性が分かるチャントを紹介して「別れは感謝と共に~エジルに大きな拍手を~」の「前編」を締めたいと思います。
Meust Ozil Uhhh. Meust Ozil Uhhh. ♪♪
I just don’t think you understand. ♪♪
He’s ArseneWenger Man. ♪♪
He’s bettter than Zidane. ♪♪
We’ve got Meust Ozil ♪♪
次回予告、、、
LWGサンチェスをほぼ0円で手放し、アーセン・ヴェンゲル監督が退任ということでアーセナルにとってアイデンティティを守るためにも、戦力的にもOMFエジルの契約延長は最優先事項でした。しかし、この相思相愛の契約延長がのちにクラブ史上最大の問題につながるとはこの時点で誰も知りませんでした。
To be Continued ...
それではこのへんで、、、
ばいころまる~