見出し画像

読書日記88 【傷口から人生 メンヘラが就活して失敗したら生きるのがおもしろくなった】

  小野美由紀さんのエッセイ。この前の「人生に疲れたらスペイン巡礼 ~飲み、食べ、歩く800キロの旅~」の内容と被る部分もあるけど、強烈なメッセージ的要素の入った内容になっている。慶応大学3年の時に海外に留学をしている。何回もパニック障害になって、その度に立ち上がっている凄い人なんだけど。そこら辺の時系列がわかってくるエッセイ。

 お父さんが学生運動をしていて、今は大学教授の人らしい。それから10年以上は経っているし、今はまた違うのかもしれない。中学・高校と学校を休みがちで、その後に就職の時にリーマンショックがあって、なかなか上手くいかずに、スペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼道を歩いている。

 前半はだいぶその本と重なる部分が多い。面接に失敗したり、普段自分達の思うことを、そのまま代弁してくれたり、ネガティブを力に変えたり、自傷をやめたりしている。注射器で血を取って、それを母の食卓に置いた。というのは、スゲーなぁ~と同時にビックリもする。仕事で夜中の12時に帰るというのは、正直それ以外考えられない程、母親の方が追い詰められていたと思うし、時には嘔吐物も老いていたというのは、確かに異常な部分はあるなとは感じる。

 親は学校の生活、特に学歴しか見ないというのは、日本は学歴社会だからで、大学に行けないもしくは、いかない人は社会的に低い立場に置かれる。伝統芸能の人でさえ学校に行くのが顕著になっている。それが前提にあるから言うというのも、大人になればわかることで、高校時代にわかっていれば良かったのに、とは思うけど、母親は片親で大変だったなとは思う。

 そこを著者は鈍いと書いている。相手を思いやる感情が鈍いんだと、それは学校の問題となって、バスケ部の子が「トイレで吐いているの、気持ち悪い」という。まあ、当たり前だよなとも思う。問題視している側は、彼女のその変な行為が、気持ち悪いと思っているのだから、それと「それ、言っちゃうんだ」という反応もそうで、彼女の感じた「わたし、気持ち悪いんだ」普通の反応のように思える。

 それをすごく深く捉えて、「自分の身体は自分の好きなように、扱っていいものではないらしい」ということに気づいて、自傷行為はなくなったらしい。露骨に書く分、著者の考えることがすごくよくわかる。

 希望の大学に行けず、処女喪失の逃して、大学に通いながら仮面浪人をし、予備校代を稼ぐために、キャバクラに通い始める。そこら辺は面白く書かれていて、衣装を借りたら、クリーニングも出されていなくて、ワキガの臭いがすごかったとか、キャバクラの聖地、六本木をせめたるわ!的な感じで六本木のキャバクラに、面接にいきまくる様子は、「あれ、就職活動で、パニック障害になって、スペイン巡礼をしてた人だよね?」と突っ込みたくなる。面白くて笑える感じも好感がもてる。

 元男性である、キャバクラのナンバーワンのマキさんに、何故か可愛がられていた。夜の世界を感じながら、自分のルサンチマン(弱者)の醜態をさらしながら、大学卒業まで夜の世界で仕事をしていたらしい。マキさんのおまたの中を触らせてもらって、衝撃をうけたり、夜の世界で社会勉強をしたらしい。

 就活の厳しさも教えてくれる。この失われた世代に、就活がどのように襲い掛かったのかも、しっかりと書いてある。有名な政治家の孫でさえ、企業に就職できない時代であったんだと、いい意味で教えてくれる。友達のT君の話はシュールに聞こえる。慶応が滑り止めだったというのは、すごく頭のいいことなんだろうけど、そこからまだ頑張っている世界の中に、こんな蠢く確執があるんだと思える。

 25歳になった時に母を殴る。わかってほしくて殴る。強烈な意思表示をしめす。それを善とはしないし、そこら辺の内部がわからないから、こういう表現は困るけど、それが高校生じゃなかったのに、正直びっくりした。お母さんは65歳で、おばあちゃんは91歳だったらしい。どうとるか?は読者の判断だけど、母親の気持ちがわかったような感覚の文章は、ちょっときついなとは思った。

 もし、東大に合格して普通に、就職をしていたら?というのはある。こういうのを読むと、子育てに委縮したりするけど、大体、子供の能力を過小評価しているというか、ほっといても大体伸びる過程は、一緒のような気がする。子どもが減って義務教育や、お金がふんだんに使えるからなのかもだけど、家庭を持つ方としては、大変だろうなと思う。

 シェアハウス(まれびとハウスと言うらしい)に住んだり、同じ、未来を悩める人が、次の進路が決まって、このシャアハウスを出ていく中、自分だけが少し取り残されている。しかし、その足踏みの中、色々な人と出会いをしていく。それも、著者の糧となっていく。仕事も上手くいかずに、何回も仕事を変えて、最後にたどり着いた、「書くこと」への執念。

 私はその、染み出してきたものを、少しずつ、少しずつ、書き溜めていた。

 そして、気づいていく、文章を書いて、人に評価されたいと、 今は文章を書いたりすると、母親に読んでもらったりしていると、noteに書いてあった。父親とも連絡をとっていたり、いい感じになっているらしい。凄く感度が高い分、感情移入もしやすいし、読みやすい本だと思った。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集