いつものウォーキングの途中、日当たりの良い田の脇の道で、ほんの一群れのレンゲの花を見つけた。春のゆるやかな風を受け、そこだけ明るい赤紫色に揺れている。
私が子供の頃は春になると、家の近くにも小学校のまわりにも一面のレンゲ畑が広がり、友達と一緒に夢中で花をつんだものだった。たくさんの花の中から、まだ色の浅いものや、盛りをすぎて濃い紫になったものを避けて、ぱっちりと瞳を見開いたような瑞々しい花を選んでつんでゆく。
広いレンゲ畑ではいつも、私たち子どもと無数の蜜蜂とが共存していた。お互い自分の仕事に夢中で干渉することはなかったのだけれど、一日中ずっと蜜蜂の羽音が通奏低音として、うねるようにレンゲ畑を包み込んでいた。
そんなある日のこと。放課後、ひとりしゃがんでレンゲをつんでいた私は、仲の良い幼馴染を向こうの通学路に見つけ、あわてて立ち上がった。ちょうどめずらしい白レンゲを花冠に編み込んだところで、それを彼女に見せたかったのだ。
急いで駈け出そうとした私はふと、ゆるく握ったこぶしの中、ブ、ブブブブ、とやわらかいものが手の内にぶつかるのを感じた。
「えっ……?」
こぶしをひらくと、一匹の蜜蜂が戸惑うようにふわりと浮き、レンゲ畑の空へと消えてゆく。どうやら立ち上がった時、手のひらで蜜蜂を包んでしまったようだ。
「ごめんね、びっくりさせたね」
もう見えなくなった蜜蜂に向けて、私は心の中で小さく謝る。
素手で触れたのは、後にも先にもこの一度きりだけれど、手のひらには今もはっきりと、蜜蜂のやわらかな翅の感触が残っている。
こんなふうに身近にあったレンゲ畑もいつの間にか消えてゆき、蜜蜂も子供たちも春の田の風景からいなくなってしまった。
物事の変化にはさまざまな事情が絡み合い、
「気候の変動で、すき込んだレンゲを発酵させるタイミングが難しくなり、化学肥料に切り替えた」
という話も聞いたことがある。
田畑は農業に携わる方たちにとって大切な生業の場。郷愁に浸る気持ちだけで、レンゲ畑の復活を願うのはちょっと違う気がする。
けれど……
今も私の眼裏には、彼方まで広がるレンゲ畑。無数の蜜蜂の羽音が遠く近く絶え間なく響いて、思い出の時空には、消えることなく懐かしい風景が広がっている。
幼い私がその時その場所にいた、ということを奇跡のように大切に思う。
ウォーキングの途中に出会ったささやかな一群れのレンゲも、野の花となって生き残っている、現在の風景のひとつ。
春は大きな変化の季節。郷愁は大切に胸の奥にしまいつつ、また新しい自然との出会いを期待してゆきたいと思う。
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